対人関係で失敗した私の話
自己紹介でも書いたように、私の過去の人間関係での失敗も自らの整理のため、同じ悩みを持っている方への新たな知識や一助になればと思って書いていく。
1.専門家の言うことには
今思えば、どこで間違えたのか何となくわかるような気がする。これは今後、書いていくであろうことたちにも大きく関わってくるだろう。
それはたったひとつ
親とどう関わってきたか
これ以外に指摘されたことがない。どんな医者にかかろうが、カウンセラーと話そうがここに尽きてしまう。
では、何がそんなに影響を与えるのか。専門家では無い、まして患者サイドの私が聞いたことを少し書いてみる。
初めに誰もが口を揃えてこれを言った。
「なんでそんなに親に支配されてるの?」
そんなことは私が聞きたい。
この尽くしぐせ、後々とんでもない恋人たちを生み出していくのだが。それは追追、書いていくつもりである。
専門家に言わせれば、これが特徴のひとつらしい。子供でいられない子供時代を過ごした典型のような、そんな教科書に載せたいレベルの行動パターンのようだ。
今はよく聞くようになったAC(アダルトチルドレン)にも関わってくるところだが、そこまでは言われていないので割愛することにする。
兎にも角にも、子供にとって親は社会そのもの。生きる術であるため、確実に嫌われない確証を得ようとするらしい。それが上手くいかなければ、大人になってから生きづらさすら感じる様々な状況に陥るそうだ。
これが巷で言われる愛着障害というものだ。
2.安全基地を求めて
前項に書いた愛着障害というもの。
これはなんなんだ?
愛着ってなんだ?
そう思われる方が多いと思う。
ざっくり言えば
愛着=主に親や育ててくれた人、自分に深く関わっている人から与えられる無償の愛
哲学的にはなるが、神からの無償の愛(アガペー)と似たような概念と思っていただければ、わかりやすくなる方もいるかもしれない。
この愛着は無償の愛を与えてくれる人、即ち安全基地がなければ形成されないそうだ。
専門家が生育歴を必ず聞いてくるのはこういったことを炙り出し、治療方針を決めるためなのだろうなと合点がいった。メンタルは二次障害、三次障害になって初めて原因がわかることも多々あるそう。それは生育歴や過去のことを聞きたくなるわけだ。
私の場合は親との関係が原因だった。
期待に応え続けること
機嫌を取り続けること
面倒を見ること
この3つこそ私の生きる意味と同義であった。
今もこの発想が消えずに苦しんでいるところではあるが。
なぜそうなったのか、というのが親との関係である。
この3つ、ひとつでも破れば長時間、正座で説教をされたり、包丁を取り出されたりと無事に過ごすことが叶わなかった。常に携帯は鳴り続け、返事が遅くなれば学校や警察に連絡され続けた。
これが一番のネックと専門家すら悩ませるレベルで根深い。
条件付きの愛情が当たり前が故に、俗に言うダメンズにハマるダメンズウォーカーと化していた。
そう、家庭内に安全基地がなく外にそれを求めてしまったのだ。
相当なヤバい人のダメな部分をこれでもかと言うほど伸ばしてしまった。
機嫌を取って面倒を見る条件を満たせば、相手の要求を飲めば、愛情を貰えると錯覚していた。安全基地になり得ると思ってしまっていた。
3.第1の失敗に思うこと
散々、書いてきた通りに“親に求める”ことを“他者に求める”という悪行をした結果がこの通り。
とんでもない都合のいい女の出来上がりである。
第1の失敗と書いてはいるものの、これだけははっきりさせておきたい。
誰かに認められたい、愛されたいと思うことは失敗でも間違いでもない
至って当たり前の心の作用であることは忘れないでいて欲しい。勿論、度を越さないのは当たり前だが。
原因があってこその結果ではある。その原因が誰のせいであろうと、結果がある時点で解決というのか、折り合いをつけられる点はある程度は見える。
酷なようだが、自分が変わらねば周りは変わってはくれない。恐らく、人というものは熱いようで冷たい生き物なのだ。
だからといって、万人が万人そうである訳では無い。救ってくれる、糸口を示してくれる人はいる。すぐ、目の前にいなくとも。
暗闇の中を生きているように感じている時の1点の光は、どんなにくすんだ色であろと鮮やかで輝いて見えるもの。その罠に嵌らないように、嵌ったとしても抜け出す力をどうやってつけてきたのかを今後は触れていきたいと思う。
長々と読んでいただきありがとうございました。
不定期に更新していくと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。