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【紙媒体について】枠の中で自由になれる。


限られたスペースに「何を書かないか」が大事

過去の実績を持ってお話をしに行かなきゃ、と言う状況になり、久しぶりに資料を探したら10年前のものしかなく。再度作る時間はないため、この古い資料に最近の原稿をいくつかコピーして持っていった。

私は「A4サイズの紙の中」で長く生きて来たせいか、「自由にいっぱい何かを書く」状況になると途端に不自由になる。


何を?
どこから?
どのように?


枠が決まっていれば情報を整理して、強みや魅力を精査しながら言葉を選ぶ。
でも発注の時点で「情報を分析して、競合他社の売り出し方を調べ、その中で半歩先行く表現の材料」まで作り込めている状況はほぼない。
だから「枠がなければ」無限に書くことが溢れてくる。
でもそこに意味はある?
「何を書かないか」が大事なのでは?



自分の力不足感と戦う

20代の時にモデルさんにお願いして撮影をしようとした時、ヘアメイクさんから「この撮影のテーマは? メイクのニュアンスはどんな感じにしますか?」ときっちり詰め寄られ、この世の果てまで逃げたくなるほどタジタジした記憶が鮮明にある。


私は常に「ノーディレクション」でオーダーしていたのだと思う(迷惑すぎる)。
でもその度に経験豊富な大先輩たちが助けてくださり、いつもなんとか形になっていた。本当は「こういうページで、こんな意図があり、だから雰囲気はこうしたい」と言えなくてはいけなかった。


そして。
今。


自分が発注を受ける側になって生きていると、「ノーディレクション」はこの世にたくさんあることがわかる。そこまで手が回らないのだと想像できるが、だからこそ私は今「このページの意図は? どんな人が読むの? どう言う材料で言葉を作るべき?」と詰め寄らねばいけないのだと思う。


が、できていない。
むしろなすがままで流れていて、そこがとても良くない。



枠の重要性を言葉にした人にちょっと救われる

そんな感じで、自己肯定感は常に低めをキープしているので、「枠がないとうまく書けないのは力不足」と思って生きている。


けれど、さっきツイッターをぼーっと見ていたら、「テレビやラジオ、新聞などは、尺や紙幅という分量制限がコンテンツの質を高めている。無限に書けて、誰でも発信できる今だからこそ、枠の価値は高まる」というようなことを編集者の方が呟いていた。

おおおお。
それ。

私の「枠がないとうまくいかない」を、逆方向からいい具合に解釈してくれるコメントだと。

枠があるから、「書くべきこと」「書かないこと」が選択され、コンテンツはより成熟する方向へ昇華される。


文字数の制限がない場合でも、言いたいことの方向性、言葉の取捨選択の基準となる「文字量以外の枠=ディレクション、編集」のラインがあればおそらくもう少し動きやすい。ターゲットの性別や年齢を絞るだけでも。


「自由に喋ってください」「自由に書いてください」「好きなようにやってください」は、この世でもっとも不自由な言葉なのかもしれない。

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地方の出版社を経てフリーの編集ライターとして活動しています。
○ライターの仕事を続けるには
○単価アップを叶えるには
○そもそもライターってどんな仕事?
○編集の視点とライターの視点の違い
などについて、自分なりの解釈をしていきたいと思っています。


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ライター和田知子:CLANG CLANG クランクラン
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