見出し画像

「生きる」を求めてスリランカに行った話。

なぜスリランカへ


 大学1年が終わり2年生になろうとしていた頃、友人の訃報を受けた。友人は、自ら生きることをやめるという選択をしてこの世を去った。

 そして僕は、大学2年生も中盤から後半に差し掛かりインターンや卒業後の進路を考え始めるあたりで、生きることに迷った。
「世間一般に良しとされる『大学を出て、いい会社に入って、ある程度のお給料をもらって、安定した暮らしを…』みたいな敷かれたレールの上を歩むような人生が、本当に自分の幸せなのだろうか」「これといった趣味もなく、特にお金の使い道もない自分が安定したお給料や暮らしを手に入れてただ銀行口座の貯金額が大きくなっていくのを眺めていることが、本当に自分の幸せなのだろうか」「『幸せ』ってなんだ」「なんのために自分は生きているのか」「自分がこれから生きていく意味はなんなのか」「『生きる』って、なんだ。」
友人の死、自分の将来を考えるタイミング。そんな流れも相まって改めて考えるようになった「生きる」ということ。そのベクトルは、気がつけばいつの間にか自分自身へと向いていた。だけどそれは、いくら考えてもわからなかった。
 だから僕は、大学を休学して日本各地の農家さん・漁師さんのもとで住み込みで働かせてもらう旅に出た。農業や漁業といった命のやりとりが行われる一次産業の現場には、「生きる」があると思ったから。
 
 ある漁師さんのところへ行かせてもらったときのことだ。僕はアパートというか、もう誰も使っていない古い下宿のようなところに泊まらせてもらっていた。漁師さんの話ではその辺りには数十年前まである大学の海洋系の学部のキャンパスや研究所があって、そこへ通う学生向けに貸し出していたとのことだった。でももう長らく使われていなかったから、僕が泊まらせてもらったときには洗濯機もなく、シャワーも壊れていて使えなかった。だから体を洗うときは浴槽に溜めたお湯を洗面器で汲んで使っていたし、服は2,3日に一度、せっけんをお湯に溶かして泡立て、手で洗っていた。
それは、僕にとって初めての経験だった。現代の日本にいるはずなのに、シャワーや洗濯機がない、つまりは最低限を遥かに上回る機能が備わった便利なもので溢れた完成された社会を生きてきた自分にとっては生活に必要なものが十分とは言い難いその状況は、初めのうちは不便で、煩わしいように思われた。だけど、やってみると意外にも妙な達成感を感じたというか、不思議な充実感があった。そのとき、「満たされていない環境」が心を満たしてくれたり、生きる喜びを感じさせてくれる一つの要因になるのかな、となんとなく思った。
 
 そして1年間の旅も終盤に差し掛かったあたりから、「日本のいろんなところで住まわせてもらいながら一次産業に関する経験をいろいろさせてもらってきたけど、他の国の農業だったり暮らしはどんな感じなんだろう?」という、日本を出た他の国への漠然とした興味を持つようになった。

 1年間の旅を経て大学に復学したときには感染症もだいぶ下火になり、流行前とそれほど大きく変わらない生活が送れるようになっていた。海外への渡航制限も少しずつ緩和されていき、人の移動の流れが徐々に再開されつつあった。僕は「海外に行ける!」と思った。でも、僕が海外に行ったことがあるのは高校の研修旅行で台湾に数日行ったくらいでほとんど海外経験はないようなもんだったし、国際線の航空券の買い方すらわからないような海外のことについて右も左もまるでわからない状態だったから、不安とかそういうレベルの話じゃなくて、海外へ行くにはどうすればいいのか・まず何をすればいいのかわからなかった。それに僕は、観光地を巡ったり観光客がたくさん訪れる人気のレストランで食事をしたりといったようにお金を払ってサービスを受ける、いわば一方的に「消費する」のではなく、現地に暮らす人と交流したり現地の人と同じレベルの、現地のリアルな生活に入り込めるようなことがしたいと思っていた。そこで、NPOなどの団体が主催しているスタディツアーやボランティア活動に参加すれば、現地の人たちの暮らしなど、「リアル」を感じることができるんじゃないかと思った。
Instagramで「#国際ボランティア」と検索すると NPO法人 good! という団体の投稿が目に入った。ホームページを見てみると国内では広島や静岡、長野、富山など各地で主に農業系のボランティアをしていて、海外のボランティアはこれまでスリランカとモンゴル、タイで行われていたようだった。オンラインの説明会(説明会といっても堅苦しいものじゃなくて、スタッフさんとただZoomでお話しするような和やかな感じだった。しかも偶然かもしれないけどわざわざマンツーマンでやってくださった。)に参加して費用や滞在期間、現地での活動や生活についてなどの話を聞かせてもらい、現地集合ではなく他の参加者やスタッフさんと一緒に行くこともでき海外初心者の僕にとっては行きやすいことや、ビザや航空券の手配をはじめ準備でわからないことがあればスタッフさんにサポートしてもらえること、約2週間というある程度の期間現地に滞在できること、現地でホームステイをできるところや費用も含め、総じて「いいな」と思った。そして、次回の海外でのワークキャンプは2023年の2~3月頃にかけてスリランカで行われるとのことだった。

good!の詳細はこちらから ⇩


 スリランカ - 人口およそ2,200万、面積は北海道の約0,8倍ほどの、インド半島の南東に位置する島国だ。1983年~2009年にかけてスリランカ政府軍と反政府武装組織「タミル・イーラム解放の虎(通称: LTTE)」の間で29年間にもおよぶ戦闘(内戦)があり、2022年には「デフォルト(=債務不履行: 国が借金した国債を返金できなくなり、金融市場におけるその国の信用が失われること。)」に陥り暴動が発生、困窮した市民が大統領公邸を占拠して大統領が国外へ逃亡、その後首相が「国家破産」を宣言するなど激しい混乱に陥った。またOECD(経済開発協力機構)が作成した援助受け取り国・地域リストにも記載されている、紛れもない発展途上国だ。

 しかし行く前はそんなことは知らず、井戸や道路づくりのボランティアへ行くと聞いていたことから、生活に必要なモノやインフラが十分に行き届いていない、いわゆる「途上国」というイメージがなんとなくあるだけだった。でもそんな「満たされていない」スリランカにこそ、僕の思う「生」、漁師さんのところで便利とは言い難い生活をしていたときに感じた妙な達成感や充実感に近いけれどそれよりもさらに強烈な「生」 ー 「生き生き」だなんてかわいいもんじゃない、ギラギラとした空気感というか、「生を渇望した生」、生気がとめどなく溢れてたぎるような「生」、まっすぐな「生きる」があるような気がした。僕たちは便利なモノやサービスで溢れた日本で生きている。欲しいものがあればスマホを使ってAmazonでポチれば翌日には家に届けてもらえるし、ご飯だってUber Eatsやら何やらを使えば出来上がって間もないお店クオリティの料理を食べることができる。家から一歩も出なくても、生活していくことができてしまう。でもこれほどまで満たされ切った世の中を生きているのに、物質的には満たされているのに、どんよりと曇った表情をした人が多く、社会全体として疲れているかのような雰囲気で、人々の心は、人々の「生」はどこか満たされていない(ように僕は感じる)。だけど、日本とは違った「生」がスリランカにはあるんじゃないかと思った。僕はそれを自分の目で見て、耳で聞いて、体で感じて確かめたいと思い、その2023年の2/28~3/14にかけてのスリランカのワークキャンプに参加することにした。

 長くなったけど、わかりやすそうでわかりづらく端的に言うと、
       スリランカには、「生きる」があるんじゃないか。
と思ったからこのボランティアに参加してスリランカに行こうと思った、ということだ。

 
だから正直、「良いことをしたい」だとか「困っている人を助けてあげたい」って感じじゃなくて、「日本とはまったく違う、全然知らない世界を見てみたい」みたいな気持ちから行くことを決めた感じだった。


スリランカへ行って


 成田空港から飛行機で約9時間、スリランカのバンダラナイケ国際空港に着いた。夜に着いたので周りの景色はよくわからなかったけど、空港を出た瞬間の、寒さが残る日本とは真逆の、むわっとしたぬるい空気や見慣れない文字から「うおぉぉ…、ほんとにスリランカに来たんだ!」と思い、興奮した。そして、そこからバスで3~4時間ほど(だったはず…)行ったところにあるポロンナルワという県(?)地域(?)にある宿泊施設へと向かった。

キャンプに参加するメンバーと成田空港で合流
バンダラナイケ国際空港に着く直前の機内からの景色
空港を出たところの街の様子。
むわっとした空気と見慣れない文字で「ほんとにスリランカに来たんだ!」って少しずつ実感が
湧いてきた。


「こんな思いをしているのは自分だけ…」という思い込みと、「話す」ということ。

 スリランカに着いた次の日は、宿泊施設で改めて自己紹介というか自己開示というか、「自分はなぜ今ここ(スリランカ)にいるのか」という話を一人一人した。僕はこれまでに書いたような話をした(つもりだけど、その場で的確な言葉を選んで話すのがあまり得意ではないからうまく伝えられたかはだいぶ怪しい)。みんなの話を聞くと、家族とのこと、仕事のこと、友達のこと、将来のこと、これまで歩んできた足跡(経験してきたこと)。 ー いろんなバックグラウンドだったり、想いや感情を持った人たちが来ているんだな、と思った。プライベートなことだから具体的に言うのは難しいけど、同じような体験をしていたり境遇が似ている人がいて共感する部分もあったし、体験したことがないがゆえに僕が想像できる範囲を超えた煮え切らない感情だったり過去と向き合っている人もいた。何かあると「こんな思いしてるのは自分だけなんじゃないか」って自分だけが不幸を背負ってるような気持ちになりがちだけど、「自分が煩わしいなとか面倒だなと思うことはたいてい他の人にとってもそうだし、なんだか普段自分が頭を捻らせてることなんて案外ありふれててちっぽけだな。」と思った。人それぞれ悩んだり思いを巡らせる対象は違うけど、みんな葛藤があったりどこか晴れやかな気持ちになれないことがあるのは当たり前で、そんな混沌としたなかで生きているのだから、何かあってもそこまで悲観的になる必要はないんだな、と思った。
そして、みんな何かしら必ず自分のなかに思ってることはあるんだけど、日常的にそういう話をしてないだけなんだな、と思った。だから、「話す」ってなんだろう、と思った。
 
 

研修(宿泊)施設でミーティング
サロンを買った帰りにさっそく大きな貯水池(ほぼ湖)で水浴び!
夕日がすごくきれいだったのでみんなで記念撮影


道路づくり

 3日目にはワークをする村へと移動し、ホームステイをさせてもらいながらワークに明け暮れるという、このワークキャンプのメインイベントが始まった。
ワークの内容は、長さ数十m(たしか30~50mくらいだった気がする。)の未舗装の道路をコンクリートで舗装していくというものだった。その道は通学バスの通り道で雨が降るとぬかるんでバスがはまってしまい、村の人たちが困っているとのことだった。
セメントと砂利、砂、水をスコップを使って自分たちの手で混ぜてコンクリートをつくり、それをバケツリレーで運んで流し込む、という作業を何度も繰り返した。セメント、砂利、砂、水をスコップで混ぜ合わせる作業は自分の想像の二回り半くらい重く、大変な作業だった。農業や漁業の現場で働かせてもらっていたときはどこへ行っても1人で自分と同じ立場の人なんていなくて、きついときは自分を押し殺すというか無にするしかなかったから、誰かと一緒にやれて、「大変だね」とか言いながら共感できる仲間がいるのっていいな、と思った。そして、大人になるというか年齢が上がるにつれてユーモアを忘れてお堅くなりがちだけど、今回のワークキャンプを通して「不真面目なことを真面目にやる、バカになって何かに取り組むのって大事だな」って割と真剣に思った。
 
 

日本語で書かれたゲートでお出迎えしてくれました。
ホームステイでお世話になったサンク一家。(村を離れる前日に撮ったからちょっと寂しそう笑)
スコップで混ぜてコンクリートを作っている様子。見た目の2.7倍くらい重い。
たまにゃこんな顔もしてないとやってらんないね。 (ずっとこんな顔してました)


スリランカに「生きる」はあったのか。

 前にも述べたように、「スリランカには『生きる』があるんじゃないか」ということを確かめるために僕はスリランカへ行った。

 結論から言うと、スリランカに「生きる」があったかどうかはわからなかった。

 日本では冷えた飲み物をコンビニなり自動販売機でいつでも買って飲むことができて、電車やバスに乗れば冷房がガンガンに効いていて寒さすら感じることもある。でもスリランカでは冷えた飲み物を飲める環境はなくて、ワーク中に水の入ったペットボトルを外に置いておくと気温が高くてぬるま湯というか白湯が若干冷めたような感じになってるし、移動のバスにはエアコンがなくて窓を全開にして走っていた。だけど、ワーク中に飲むぬるま湯みたいになった水は最高にうまくて、窓全開で風を切って走るバスは気持ちがよかった。普通に考えたら、日本で暮らしてる自分からすれば到底満たされているとは言えない環境のはずなのに、爽快で、充実感があった。スリランカの生活よりずっと便利な暮らしを知っているなずなのに、理論的に考えたら物足りなく感じるはずのスリランカの暮らしに満足している自分が不思議だった。
 

窓を全開にして風を切って走ったバス


 
 実際にスリランカに行ったときからもう約2年が経とうとしているけど(もっと早くふりかえれ)、スリランカの人たちのあの表情というか雰囲気がすごく印象的で、今でも忘れられない。
優しくて、他の人に与えることができて、楽しそうで、柔らかいというか穏やかというか和やかというか。でも強さもあって。一言ではとても言い表せない、いろんな感情が混ざり合った、すごく人間らしい顔つきをしていた。
物質的には日本より恵まれていないのに、お世辞にも到底便利とは言い難い環境にあるはずなのに、紛れもない発展途上国のはずなのに… ー 何がスリランカの人たちをそうさせているのか。不思議だった。
スリランカの暮らしのなかにいて、スリランカの人たちと一緒にいると、「『豊か』ってなんなんだっけ。」「幸せってなに?」「『生きる』ってなんなんだろう。」
って、これまで考えることにすら至らなかった常識というか当たり前のようなものが、急にわからなくなった。

 でも、自分の目で見たものだったり自分の感性を尊重したいところではあるけど、こんなのは僕のこじつけかもしれない、とはまったく思わないわけではない。
先回りしすぎかもしれないけど、僕たちが来ていることを嬉しく思ってくれて、単に珍しさから今はこういう表情になっているのかもしれない。
村の人たちが僕たちの日本での暮らしを知ったら、どう思うのか。
それでも今の自分たちの暮らしがいいと言うのだろうか。
スリランカの人たちは、望んで今の暮らしをしているのだろうか。

そんなことを考えると、頭がぐるぐるして、わからなくなった。


一緒に遊んでくれた村の子たち
お母さんたちと一緒にお昼のカレー
四六時中一緒に遊んでた(ほんのちょっと)やんちゃボーイズ
スリランカはほんとに自然豊かで景色がきれい!
朝はワークの場所までホームステイ先の家族と一緒に
お母さん、ツボに入ってしまったご様子。
村を離れる前日にはお土産のお菓子を作ってくれました。
スリランカを思い出させる甘い味付けでした。完食しました。おいしかったよ、ありがとう。


おわりに


 完成されていない、発展途上国のスリランカにこそ、「生きる」はあると思っていた。だけどそれは、わからなかった。スリランカに行けば答えがわかると思っていたけど、今思えばたった2週間いたくらいで答えを得られると思っていた僕が安直だった。「そんな単純じゃないんだよぉぉ!!!」と大きなハンマーでガンと頭を殴られたような気分だ。
 でも、これでいい。ほんの2週間いたくらいで「スリランカの人たちは生き生きとしてた」「スリランカには『生きる』があった」だなんて美談で片付けたくはないから。わかったフリなんてしたくないから。

 まとめようにもうまく言語化しきれない、まとまりきらなさがちょっとある感じもするけど、これが今の僕の消化できるベストなので、このままここに残しておこうと思う。
 
 一緒にキャップに行ったみんな、村の人たち、コーディネートしてくださったgood!のスタッフさん・テッロ・ジャヤアイヤ、ありがとう。2年が経とうとしている今でもここに書けるくらい記憶に残るキャンプでした。ありがとう。


最後に村の人たちと。


 スリランカにはまた行きたい。いや、絶対に行く。


 


いいなと思ったら応援しよう!