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生きる。|生きる行脚#14@人生
僕は大学で学んでいることや「大学」という環境、自分の将来のことなど、いろんなことについてとにかくもやもやを感じていた。
そんな中REIWA47キャラバンでの株式会社ポケットマルシェ(現:株式会社雨風太陽)のCEO、高橋博之さんとの出会いをきっかけに、大学3年生(2021年度)の1年間を休学し、日本各地で一次産業を生業とされている方の隣で一緒に作業をさせてもらう旅、「生きる行脚」をすることを決めた。
生きる行脚とは、一次産業を生業とされている日本各地の漁師さん・農家さんのところに住み込みで1週間~1か月ほど滞在し、漁師さん・農家さんが普段やっているようなことを隣で一緒にやらせてもらう修行の旅である。
一次産業という産業のなかで物理的に命を扱ったり命と向き合ったり、一次産業を生業とされている方の生き様などを通して「生きる」とはどういうことなのかを感じたり、考えるため、2021年の3月8日(火)から2022年の3月28日(月)までのおよそ1年間、この「生きる行脚」を実施した。
このnoteでは、この1年間で日本各地の漁師さん・農家さんのところへ行かせていただいたときに僕が見てきた景色や、僕が感じたことや思ったこと、考えたことを綴っている。
30歳で一度旅に出て、旅先で仕事を見つけながら生活をしていたことがある人。
「動物に関わる仕事がしたい。」という想いを捨てきれず、最後の勝負をかけるチャンスは今しかないと見切って40歳を過ぎたときに公務員を退職してきた人。
専門学校卒業後はホテルの厨房で働いていたものの、持病の悪化により辞めることを余儀なくされここへ行き着いた人。
前職ではホテルマンとして接客をしていた人。
その養豚場では「その道一筋」みたいなプロフェッショナルがいなくて、まったくの畑違いな職業や分野から移ってきた人たちが働いていた。
生きることのハードルは、そんなに高くない。
「大学を出ていい会社に入らないと飯を食っていけない。」
「安定した職業に就くのが一番。」
みたいな風潮は今でもあると思うし、小さな頃からそういう俗に言う”常識”を、様々な場面で色々な大人から叩き込まれてきたように思う。
僕は、少し前まで素直な人間だった(笑)。だから、「大人の言うことだから正しいのだろう。」と思って、そのいつの間にか植え付けられた価値観を疑うというか、考えたことがなかった。それに、働いたことがないながらも大人が言っている「大学を出れず、いい会社にも入れなくて飯を食っていけない」状況を想像すると、住む家もなく、その日食事にありつけるかも分からない路上生活者になった自分が思い浮かび、恐怖を感じた。
だけど、ここで出会った人たちだけでなくこれまでに出会ってきた人たちのことも含めて思い返してみると、「それって本当なのかな?」と思った。
世間に広く名の知れた大企業で働いていなくても、今自分の目の前でこうして生きている。しかも、自分で思い思いの道を歩んできた人たちはみんな、何だか満足そうな顔をしているというか、納得しているような顔をしている。僕は、”常識”を鵜呑みにして、「生きるって結構大変なことなんだな。」と自分の中で生きることのハードルを高くしていたのではないかと思った。
また、こんな風に「自分で決めて」人生を歩んできた人と出会って、人それぞれ、人の数だけ人生があることを知ると、「人生は真っ直ぐでも、一本道でなくても全然いいし、自分の中にいる自分をそんなに押し殺さなくてもいいんじゃないかな。」と思えた。そうすると「とりあえず生きてさえいれば、どうにだってできるんじゃないかな。」と思えてきて、将来への漠然とした憂鬱さや不安といった背負い込んでいたものがだいぶ軽くなったような、生きることのハードルがぐっと下がったような気がした。
混沌とした中を生きる。
これまで僕は、社会に出て働いている人はみんな、「これだ!」とか「こんなことがしたい!」みたいにはっきりと思うタイミングがあった上で働いているのだと思っていた。だから、「そういうことにまだ出会えていない自分はどうしよう…」みたいな漠然とした不安とか、「こんな風に悩んでいるのは自分だけなんじゃないか…」みたいな孤独感や焦りを感じていた。
だけど、これまでを思い返せば、早いうちから自分のやりたいこととか自分がありたい姿が決まっていた人ももちろんいるけど、そうじゃない、「なんかわかんないけど、こっちなんじゃないかな。」みたいなように感じながら、迷いながら、悩みながら人生を歩んでいる人の方が多いように感じる。
大人と言えばいいのか社会人と言えばいいのか、どう表現すればいいのかよくわからないけれど、僕よりも先を歩いている人たちも
「自分はどうありたいのか。」
「自分はどんな人間になりたいのか。」
「自分はどんな”想い”を大切にしたくて、それを表現するにはどうしたらいいのか。」
といった模範解答のような答えのない、自分しか答えがわからない、だけど自分でも答えがよくわからない問いを自分に投げかけ続け、自分も変わり続けながら、探り探り生きてるんじゃないかな、と思う。
そして、「悩んでいるのは自分だけじゃない。自分より何年も何十年も長く生きている人でさえも悩んだり、迷ったり、考えることなんだ。」ということに気がつくと、「自分が悩むのも当たり前のことだし、全然悲観する必要のないことだったんだな。」と思えて、だいぶ気が楽になった。
だから僕は、これからもこのぼんやりとしてはっきりとしない「わからない」感覚を、大事に大事に抱えながら生きていきたい。
ここで出会ってくださった従業員の皆さん、短い間でしたがお世話になりました。温かく接してくださりありがとうございました。
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