寝坊助な妻が神様に見える時がある。
あなたのそばにいる欠点だらけに見える人にも、必ず強みがあることを、今日、ひとつだけ思い出してみる。
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小さな身体を丸めて、大きな大きなソファーを占領する妻。
他愛もない家族との時間。子供と話す妻の声、いつしかそれが無邪気な子供の声だけになった時 ー
妻のゴロ寝がはじまる。
そっと静かな寝息を立てながら、朝、昼、もちろん夜、すべての時間において、妻は”寝ること”を好む。ゴーゴーと唸るような寝息じゃないことが唯一の救いか、もしそうなら離婚だ。
要は、僕の妻を一言で言うなら”寝坊助”。それですべて説明がつく。
今日も朝から、二度寝の妻。
「いいかげん、起きてよ」
「うーん」
そして三度寝。
なんとも言えない沸々した気持ちが込み上げてくるが、僕は決して怒鳴ったり、発狂したり、手を出したりすることは絶対にない、心優しい僕。たまに、少し泣くくらい。それとたまに、書斎の部屋に閉じこもるくらい。
「ほんと僕がいなきゃ何もできないんだから」
よくある映画のオープニングで流れてきそうなBGMを聴かせながら、そんな言葉を、もう何百回と喉の奥に飲み込んできただろう。
とは言え、こうも言える。
妻には僕がいなくちゃ。それと対象的に、僕にも妻がいなくちゃ。
人は生きていると、毎日の中で数多くの選択肢を迫られる。それをすべて自分だけで選択していくのはかなり至難の技だ。
そこで、僕の数多くの選択肢を一緒に紐解いて処理してくれるのが、理屈上は人生のパートナーである、寝坊助の妻だ。
寝坊助とは言え、それは「何もしない」訳ではない。あらゆる人が持ちわせている“強み”が妻にももちろんある。(僕の強みはココ。)
それは”僕のメンタルをコントロールする”こと。
例えばそれは、洋服を選ぶ時に起こる。
「お!この服、めっちゃ良いじゃん!」と思い、その服を買おうとすると、妻の「それはやめておいた方がいいよ」の一言で、めっちゃ良いじゃんと思っていた服が、良くない服に早変わり。逆に、「この服良いと思うんだけど、どうしようかな」と買うのを悩んでいる時に、「それ良いじゃん」の妻の一言で、買うのを迷っていた服が、あっけなくレジを通過していく。
例えばそれは、人生で悩んだ時に起こる。
「職場の上司と意見が合わず、理不尽な態度を取られて、辛かった。」という人間関係の悩みを持ち帰ったとしても、「あなたが正しい」という妻の一言で、ムシャクシャしてた気持ちが、スッと消えて、上司のことを理解しようという気持ちが芽生える。
寝坊助な妻が、神様に見える時。
でもそれは、普通に生きていたら気づかない。相手の欠点だけじゃなく、自分との関係の上で成り立っているモノゴトを、ちゃんと見なくちゃ気づかない。
つまり何が言いたいかと言うと、あなたのそばにいる誰か(ここでは妻と仮定)は、あなたの人生における選択肢を、消化する役目を担っているということ。それは、人生をより効率的に、そして生産性を高めるためのパートナーシップである。
そして今日も、寝坊助な妻の横で、もっと小さくなって眠る僕がいる。
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これを読んでくれたあなたへ。あなたのそばにいる欠点だらけに見える人にも必ず強みがあることを、今日、ひとつだけ思い出してみて下さい。
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