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引きこもりの兄と小さな妹だったわたし

アナと雪の女王の「雪だるまを作ろう」
あの歌の映像を見ると、いつも少しだけ胸が痛む。

雪だるま作ろう
ドアを開けて

とノックをして歌う幼いアナ。その姿に私は私の子供の頃の姿を見る。

そしてその、アナの呼びかけに応えず、もしく拒絶して

あっち行ってて

とドアの内側から顔を出さないエルサの姿。
その姿に、子供の頃の兄の姿を重ねてしまう。


部屋から出てこなくなった兄とその小さな妹だった私。

ノックする以外の素手を持たず、大きくなるとアナのようにノックをせずに兄の部屋を見ないふりするようになった私。

今、思う。
私はあの時、なにができただろうか。そういうことを考える。
家族の前に顔を出さず閉じこもる。「ひきこもる」を選んだ家族。その家族である子供・きょうだいは、いったい何ができるのか。

私が子供時代を過ごし、兄が部屋から出なくなったのは
ちょうど「ひきこもり」という言葉が出始めた2000年前後。

社会問題として、ひきこもりが扱われ始めた季節。「ヒッキー」という言葉が作られ、揶揄された時期。
それゆえ、家族は子供がひきこもることへ敏感だったと思う。そして当時センセーショナルな、もしくはからかいの言葉になる点でも、そのことを恥として隠してしまうことが多く、まだそのこと自体への支援が十分でなかった時期。そうして今彼らが中年期のひきこもり問題として先日ニュースで扱われたりする。


今書いていきたいのは、兄が家族の子供としてひきこもった当時のこと。
またそんな兄を直近で見ていた妹の私が、小学校から高校生になり大人になるその当時の話。

当時、子供だったわたしが思っていたこと。その時その時の年齢に私ができたこと、私ができなかったこと。

もし、今の時代ならできる選択肢、手を伸ばせるかもしれない選択肢。

当時、ひきこもりの兄弟として感じていた困惑、苦痛。
見ていた家族の経過。

「ひきこもる」は本人と家族、そして社会の問題として扱われる。家族とは主に養育者である両親になる。きょうだいはその少し外側にいる。
その現象にいるきょうだい児に触れる視点は少ない気がするし、語りも多くない。(もし本とかブログあったら知りたいです。)

ただ自分のことを振り返っても、あの状況を通して多くのことを学んだし、子供として、人としてすり減らしたと思う。



ひきこもりってむずかしい。

親戚にいる、実は兄弟が、中学の友達が、とかは街で聞く。

推定何万人もいるだろうひきこもり。


そのきょうだい、親戚、知り合い、友達。
キーパーソンの親、家族の核として扱われない立場の人たち。
彼らはそっとひきこもった彼のことを気にしている。

でも彼らからの、できることが見えない。
踏み込んでいいのかもわからない。


ひきこもりって難しいね。どうしたらいいんだろうねって、思う。


だからこそ、子供で力が何もなかった頃のできなかったころのわたしを書くことで、誰かができるを見つけることができるのではないかって
そんなことを考えたりする。

わたしのできなかったが、今の子供たちへのできるに繋がったらいい、そう思う。わたしのように磨り減ることなく。
できることはあるはずなんだから。

という思いを持って、
いままであまり頭の中でまとめることがなかったのだけれど
あえて、いろいろ書いていく。

ひきこもりを社会問題として考えた時に、主に問題視されやすい、社会人や就労を目指す前の段階の、過去のこどもの時代の話を。

引きこもった兄と小さな妹だったわたし。


当時のことを書いたり、子供時代のことを分析したりしつつ
まとめていこうと思う。


ニンニ


(ニンニはムーミンの姿が見えなくなった女の子から。)
(言葉の断片や、作りかけのものはツイッターに未完成でも載せつつ、継続して色々書いていく予定です。ツイッター@snowman_is_here
(ひきこもりが身内にいる人や思っていることがある人コメントとかでお話しできたらと思ったりしてます。気楽にDMください。)
(自己分析中で、あまり社会支援まで学び途中なのですが、家族会とかって、その青少年期と20台以降とかで別れていたりするのかなーとか気になっていたりします)


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