否定から入る人間にはなりたくないなあ
こんにちは
漫画や小説とかを読んでいたりすると、矛盾点に目が行っちゃって集中できなくなることがよくあります。例えば人気漫画「鬼滅の刃」で、主人公の炭治郎が罠のある山で人間の匂いを頼りにしながら下山する修行を日々行うのですが、これ雨降ると匂い消えますけど、その時どうするんですかね。基本的に超人的な感覚に頼っている序盤はそれが阻害されるとスペックはただの一般人と同等になってしまうのでは、、、もしかしたら茨城のヤンキーのほうが強いのでは?と思ってしまいます。
揚げ足を取るのが無粋というか、ナンセンスだなという一般的な感覚は持ち合わせています。要は「そういう作品」として、空気を読んで黙って楽しむというのがセオリーなんだろうなっていうのも理解はしています。
でも、曲がりなりにも社会的に評価されている創作作品なのですから、そのへんはちゃんと矛盾なく描写してほしいですね(甘露寺蜜璃の発言にも明らかな矛盾があります。探してみてほしいです)。別に僕は鬼滅の刃を否定しているわけではありません。悪しからず。
本題
何かを提案したり喋った時に、必ず否定から入ってくる人がいますね。あれ何なのでしょうか。「1+1は2ですよね」「いや、2だけど、時には~クドクドクド」とか言ってくる奴がいますよね。2やん。「いや」いらんやん。「そうだよ」でええやん。その程度の事、なぜすぐ同意してくれないのでしょう。明らかにこちらが普遍的に正しいことを言っていても第一声が「いや」の人いますよね。プライドが高いのでしょうか。
否定から入る人って、多分深い意味とかなくて、癖に近いのではないでしょうか。何でも反射的に「いや」って言っちゃう。時には場の空気が悪くなる可能性だってありますよね。
そんな人間にはなりたくないなと思うから、僕は友達が何か言ったとき絶対にまずは「そうだね」って言うように気を付けているのです。一度相手の言ったことを受け止めて、咀嚼して、嚥下して、それからレシーブを返すようにしています。当たり前ですが、これ、意外と気を付けないとできません。人間は思ったよりも自分の思考の外にある事や反対の事を排他する傾向に多くあるからです。
「いや、そんなこと当たり前じゃん」と思った方。
頑張りましょう。
空気を読むのが大切なんだなという事ですね。
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趣味で短歌を詠んだり小説を書いたりしているのですが、僕が自分で作った中でよいなと思った短歌を不定期にあげていきます。完全な自己満足です。
・ブリッジをして踏ん張ればわが部屋もまだ見ぬ景色 盆の夕暮れ
・夜行バスの時刻表だけを見る人よ 夜にだけ咲く花のかなしさ
・「恋は盲目」君は笑って言うけれど 私にとって恋は猛毒
ありがとうございました。
……
おわり