ミュージックビデオ4作品YouTubeサムネ

ミュージックビデオ製作回顧録 その3

全身が震えた

さて、回顧録その3です。
ミュージックビデオ製作の経緯などは前々回の投稿「~回顧録 その1」に記していますので、そちらも見てもらえると大体のことが分かるようになっています。たぶん。
上の動画は中ムラサトコさんのブックレットアルバム「私の中に住む街」に収録されている「空き地」のミュージックビデオです。
例にもれず、こちらも歌詞はありませんのでさっそくブックレットを見てみましょう。
『古い建物が多いこの街は、あちこちに空き地がある。~ここにはどんな家があったのかを想像する。ここに住んでいた人々は、毎日どんな生活を営んでいたのだろうか?この場所で住んでいた事を、たまにふと思い出したりするのかしら?~その草むらの中で、かすかに残る思い出の歌を虫達がうたっているように聴こえる。」
はい!これはそういうミュージックビデオです。そのまんまです。

幸せになってくれ

この作品では家族が団らんしている日常パートと空き地にいる、人の記憶とか建物の痕跡とかを具現化した妖精さんパートとがあります。

まずは家族パート。お父さん、お母さん、女の子という構成の3人家族ですのでまず父母はこの2人だろう、と声をかけました。忽那さんと杉浦さんは私の別の作品で夫婦役を演じてくれたこともあり信頼感があったのと、そのときに演じた夫婦はあまり幸せと言えない関係になってしまったので今回はとても幸せな夫婦をやってもらいたいという思いもありつつ。

新しい作品に取り掛かるときは今までやってないことに挑戦したいという思いがあります。なので今作では子どもを登場させようと思いました。子どもに演じてもらうってハードル高いと思うんです。ちょっと恐怖でもあります。未知の世界ですから。年齢によるけど、こちらの言うことをちゃんと理解して動いてくれるかな?何回も同じことをする場合に途中で飽きてしまわないかな?そもそも、私の言うこと聞いてくれるのかな?必要に以上に危惧していたわけですが、作品のためには絶対必要であるからやるしかないんだと自分を鼓舞してのぞみました。とは言え、まわりにそんなこと頼める、そして興味持ってくれそうな子どもさん、小学生の高学年くらいがベストなんだがなぁ、ぴったりな女の子なんてそうそう見つか…あーちゃん!!
ということで、あーちゃんの登場です。もうピッタリだったのです。

あーちゃんはもうすごかったのです。こちらの要求する動きを瞬時に理解してそのとおり動いてくれましたし、何度もやってくれました。例えば、寝っころがって本を読んでいるシーンのときけっこう長めにカメラを回しました。途中で「あ、あの本、けっこう重いんじゃなかったかな?」と心配したのですが平気な顔をして読んでいる芝居をしてくれているので「あ、大丈夫なんだな」と思ってこちらも平気でいました。ややあって「カット」と声を掛けると「あー、重かった!」とあーちゃん。彼女は、どういう画が必要なのかを理解してくれて、カメラが回っているあいだは平気な顔をしてくれていたのです。なんとすばらしい人!すぐさま謝りました。

こちらも撮影の進め方を配慮しなかったわけではありません。撮影の本番のときに「よーい、スタート!!」とか「よーい、はぁぁい!!」とかのスタートの合図をかけないようにしました。いつ撮っていて、いつ撮ってないのか、リハーサルなのか本番なのかを無理に意識させないようにつとめたつもりです。時と場合によって。その結果なのか、というかそもそも小学校高学年の女子のことを私が全く理解していないということがただただ露呈しただけなのかもしれませんが、上映会後、あーちゃんのご家族から「あーちゃんがとても自然だった」と驚いてくれました。「どうもありがとうございます(?)」と言いながら、それはすべてあーちゃんのおかげなんだけどなぁと思わずにはいられませんでした。

映っているものはすべてコントロールせよ

まだまだ家族パートについてです。
家族のだんらんということをイメージして3人で食事をしているシーンをいれることにしました。ここで、過去の過ちをすべて解放したい!と思い食べている食材をきちんと手間をかけて準備しようと決めました。そんなの当然じゃんかと思われるでしょうが、私のような未熟な人間は、過去の作品において2度ほど食事のシーンを撮影しましたが、すべて、手間がかからないと言う理由で食材を準備していました。すみません。劇映画では、例え数秒しか映らないものだったとしても、そこにある物にはすべて意味があり、演出されたものであるべきだとようやく考えられる人間になったのです。それに芝居をする役者さんにしても、目の前の食事が美味しそうであるならば断然いい芝居ができるだろうし、普通にテンションがあがるでしょうしね。すみません。私が敬愛する映画監督の方がインタビューで「音声スタッフを1人増やすよりも、小道具や美術のスタッフを増やす方が作品にとっては良い」というようなことをおっしゃっていたのを覚えています。ようやくその言葉の重みを理解できたと思います。撮影の最後が食事のシーンだったのですが、彼ら3人は「本当に美味しい」と言いながら、食事をしていない私の目の前で本当に幸せそうな芝居を続けていくのでした。ありがとうございました。

妖精っぽい人?!

さて妖精パートです。前述しましたが、人の記憶とか建物の痕跡を具現化した妖精です。まず衣装について。衣装担当の八木さんとお話しをしてこちらの最初の意見としては「大正時代のレトロなワンピースを着た女の人」という今考えると、そういう人が立っていると妖精というよりオバケじゃないか、と自分でツッコミをいれたくなりました。これに対し八木さんは全く違うご意見。「白いふわふわとした服でお花とかいろんなものがアクセサリーとしてついている」そんなようなことをおっしゃったと思います。まさに天使のような妖精。即八木さんのアイデアですべて行ってもらうことにしました。
つづいてキャストです。妖精の役ができるような人、というか妖精のような衣装を着こなせる人、どこかに居ないものかと周囲の人に相談しましたが、はい、この人!というかたには巡り会えず。
まだ決まらぬまま他のキャストの衣装合わせで忽那さんと打ち合わせ。そのときに「あ!」というひらめき。忽那さんのお知り合いにピッタリな方いました。ということで中野さんに決定しました。
撮影場所は三津浜商店街の途中(?どこまでが商店街か分からない)にある空き地です。撮影の日は小雨が降っていて、雨待ちとかでいろいろご不便おかけしたんですが、最大のトラブルは三津の蚊でした。草むらに座ってもらうとか、立ってるというシーンが多いのでぷーんと寄ってくるわけです。しかも小雨、そして三津。すぐに虫よけスプレーや虫刺されのクリームを購入して対応しました。休憩中も蚊がよってきて大変だったのですが、唯一の救いは中野さんがほぼ刺されず、手伝いにきてくれた忽那さんがめちゃめちゃ刺されたことでしょうか。ありがとうございました。
妖精さんのいしょうについては八木さんが自作でいろいろやってくださったのですが秒数とかもろもろの関係ではっきりと映っていなかったりします。が、この妖精パートは8ミリフィルムでも撮影していました。本編には使われていませんが。撮影後、現像して映写しましたがそちらの方が衣装がどういう雰囲気だったか分かると思います。フィルムで上映する機会があればそのときに見てもらえたらなと思います。無編集の簡易テレシネ版はこちらにあります。ご興味あるかたは。

完成。そして。

回顧録その1でも少し書いてますが、「三津浜の今を映像に残す」プロジェクトの冬編である「あなたの音はどこから?~」は前年の2017年11月から撮影をし2018年の2月には完成していましたので、こちらの秋編である「空き地」がプロジェクト最後の作品となりました。
編集作業が佳境となり音楽にあわせてシーンが繋がっていきます。途中、順番を入れ替えたり、長さを調整したり試行錯誤の上でおぼろげながら完成形がみえてくるものです。どの作品でも撮影に入る前に完成形をだいたいイメージしてのぞみます。撮影中も自分のイメージしたものに出来るだけ近づけよう、イメージを超えるものをと悪戦苦闘するのです。こんなことをいうと参加してくれた方々に申し訳ないのですが、往々にして最初にイメージする画と実際撮影をしてみた画はけっこう違っています。撮影前は無責任に最も理想的なイメージを持ってしまいますのでハードルがあがった状態で実際の撮影にのぞむわけです。なので最初のイメージに近づけよう、越えようとしつつ結局ダメで妥協しつつ...ということも、まああるわけです。すべてじゃないよ。
今作は撮影していて「うん、これだな」という手応えは感じていました。微調整をするくらいで迷いなく進めていけたという気がしていました。そして、実際に編集でつなげて完成させたものを見ると「これは完璧なんじゃないか!」「思い描いた通りの映像になってるのでは!!」という気持ちになり身体全身が震えました。まじで。寒いわけでもトイレに行きたいわけでもなく、「すげえもんができた」という達成感とかそんなような的確な表現ができませんが、そんなような感情が頭から身体全身から溢れてきて震えました。こんな経験は初めてでした。
しかし、これは見る人にとってはまったく関係のないことで制作者の個人的な感情でしかありません。ただ、プロジェクト最後の作品が完成したときにこの4本作って良かったと思えたことは幸せだし、まだまだやろうという次へのモチベーションになりました。


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