ミュージックビデオ製作回顧録 その4
ここからすべて始まった
2017年6月25日。松山市高浜港待合所。興居島行きの舟を待っている集団のなかにいました。そこで中ムラサトコさんに三津浜のことを歌った曲があり、そのミュージックビデオを作ってくれないか?というようなことを言われました。その話を聞いて断る理由などなかったので、その場で「やります」と返事をしたと思います。
制作費のために三津浜の商店街など周辺の人たちにカンパを募るというお話で、それはそれは、という感じで聞いていましたが、あっという間に〇万円集まりました!という報告があり「あれ、なんか大きなことになっていってる」というドキドキとワクワクが入り混じるなか、少しづつ準備を始めました。
この段階では、あと3本作る企画ではなくて上の動画「あなたの音はどこから?永遠に続く音、音、音」をということでした。おなじみブックレットアルバム「私の中に住む街」を開いてみますと、そこにはタイトルだけが書いてありました(汗)。ということで、ブックレットアルバム全体を読んで物語を作ろう、そして三津の街を歩いて気になるところを撮影場所にしようということでシナリオ&ロケーションハンティングを行いました。
撮影監督をおねがいします
今作では撮影を三浦彰浩氏(映像制作アルトー)にお願いしました。これは心強かった。ほとんどの場合、撮影(画の構図とか色とか)と演出(役者さんへの演出とか)を兼ねて作品をつくるんですよね。時間がかかる、どっちも疎かになる危険性あり、であったのが今回は演出だけに集中して取り組めました。2人で来る日も来る日も三津浜を歩いたんですが、日を重ねれば重ねるほど分からなくなってくるわけです。いろんなことが。例えば、三津浜ってどこからどこまで?三津浜と三津ってなんか違うの?という今思えば何故そんなことを考えていたのかさっぱり分からないんですが、「ザ・三津浜」という画は撮りたくなかったんですね。そんななか三浦さんのおかげで自分では探せなかった視点やアイデアをいろいろ出してもらって非常に助かりました。
物語
物語はブックレットアルバムのなかの「オルゴール」という曲と付録の「ひょうちゃくぶつすごろく」を絡ませるという方法で構築いたしました。
《あらすじ》
彼女はもう何十年もそこにいる。
目をつぶれば風の音、波の音、人の声、いろんな音が聞こえてくる。オルゴールを回す彼女は記憶の旅に出る。記憶の中の彼女は三津浜を歩く。
ということです。おばあさんがオルゴールの音を聴いて記憶の中にある懐かしい昔の三津浜を旅するということですね。昔よく聴いてた曲を聴いたら、例えば、学生時代のことを思い出す、とかそういうことって誰しもあるじゃないですか?そういう感じです。
風と潮のローマンス
「ひょうちゃくぶつすごろく」を皆さんはやったことありますね?私はありません。漂着物とは、海岸に打ち上げられた物です。日本は四方を海に囲まれていますから太古の昔より海岸に遠くは異国からも椰子の実とか流木などが流れ着き、それを見つけた太古の日本人は神からの贈り物として奉ったかもしれないし、不吉なものとして畏怖したかもしれません。また、ビンに手紙をいれて海に流し、流れ着いた先で拾った人と交流を持つというドラマチックに描かれることもあります。この「ひょうちゃくぶつすごろく」を考案したのは京都から松山へ移住してきたtomtomさんです。彼は昆虫博士でありDJでありサーターアンダギー屋でありチンドン屋であり漂着DECOリストであるのです。三津浜近辺にも漂着物はたくさん流れ着いております。その中から魅力的な漂着物を拾い集め合体させアート作品へと転化するのです。ブックレットアルバムには『こうしている間にも漂着物は海を旅し傷を負い、またどこかの砂浜に打ち上げられている。そんな時、輪廻という言葉がパッと思い浮かんだ。(中略)輪廻から抜け出したモノは「漂着DECO」となり、転生するのだ。(いろいろ中略)」。「海辺の民俗学」という本があります。石井忠さんの著書です。彼も漂着物に魅せられた一人で、福岡県の自宅近くの海辺でたくさんの漂着物を拾い収集し研究の対象としたのです。その著書の中に、柳田国男の一説が「漂着には風と潮が大きな役割をはたし、とりわけ冬季、大陸からの北西季節風は沖の漂着物を沿岸まで運び寄せる」とし、漂着物を「風と潮のローマンス」と称しました。また、島崎藤村は「椰子の実」という詩を執筆。これは伊良湖岬に滞在した柳田国男が浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、その話を元に創作したものです。「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ~」という書き出しから始まります。石井氏は「海を漂い、岩に打たれ砂にもまれながら、いつしか角がとれ(中略)違った別の美しさを醸し出す」ものと評していました。それを読んだときに三津浜の人たちを思い浮かべました。サトコさんやtomtomさんがそうであるように現在の三津浜にはほかの地域から移住してきた人たちもたくさんいます。別々のいろいろな街から流れ着いた三津浜の街で新たな生活をして今までの自分とは別のものになる。これだ!となりましてミュージックビデオのラストには漂着物アートがたくさんある部屋へ彼女は辿り着くわけです。
極寒のなかの薄着の女
そういうことであとは出演者です。渡邊沙織さん(情熱’ダイヤモンド)にお願いしました。私のほかの作品でもお世話になっているのでいろいろとこちらの考えとかを理解してくれると思ったので頼みました。あと、衣装は白いシャツに長いスカートにしました。いつの時代の人かわからないようにそういう組み合わせにしました。しかし、これは後々の撮影時の苦労の一つとなってしまうのです。
撮影は2017年の11月からスタートしました。11月にシャツ1枚。そして三津浜は港町、海の近く、風が強いということであの白いシャツの裏側には無数の貼るホッカイロが貼られていました。。カットがかかるごとにダウンジャケットとかベンチコートを貸してあげようかと声をかけますが「脱いだ時に余計に寒く感じるからいいです」とダウンコートを着ている僕たちには全く理解できない理論で頑なに薄着で撮影に挑んでくれました。最後の建物の中のシーンではさすがにここは外よりかはマシだろうと思っていたのは大きな間違いで底冷えする室内で休憩スペースにはストーブを焚いて暖をとりながら撮影は容赦なく続きました。
街の形
2017年11月から2018年10月末までおよそ1年間を通じて三津浜で作品を作りました。そのたった1年間のあいだにも街の形は変化しています。あちらの家が取り壊され空き地になり、こちらの家も取り壊されたりということが起きています。映像作品にはあまり気にされない重要な役割があると思っています。その時代、その時代の街の景色を作品の中へ記録するという役割です。「東京物語」に映る尾道や東京の街並みがどうであったか、今の街とは大きく違う景色がそこに映り、作品を観るたびにその時代の記憶を呼び起こしてくれるのです。映像作品に時代の記憶を呼び起こさせる力があるのなら、この作品にもその力が備わるように撮影をしたいと思いました。10年後、20年後、もしかしたら100年後。この作品を見た人が現在の時代の記憶を呼び起こしてくれたら、この上のない喜びだと勝手な妄想を膨らませています。
「ミュージックビデオ製作回顧録シリーズ」はこれで終わりです。
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