融通が利かない人にかつて起こっていた悲劇
融通が利かない人は、なぜ融通が利かないのでしょう?
周りをイライラさせるのが楽しいのでしょうか?
世の中に、人をイライラさせる行動を意図的にとり、あまつさえそれを人間関係が崩壊するまで繰り返す人がなぜいるのか。
今回はその理由に迫ってみたいと思います。
皆様、いつもお読みいただきありがとうございます。
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この 絶対バグらないシステム作ろうぜの会 は、トラブルの起きないシステム、トラブルを起こさないチーム運営をしていくうえで大事だと思うことを、なるだけ面白くお読みいただく主旨となっております。
私はIT業界の波に揉まれてン十年、そこいらへんの一般人の中島です。
ブラックな会社、変な人が多い会社、ホワイトな会社などなど、いろ~んな企業を一回りするくらいの年数を、エンジニアとして過ごしております。
さてさて。
皆さんの周りにはいらっしゃるでしょうかね。
融通が利かない人。
たとえば――
とかとか。
まぁ、例を探せばいくらでも出てくると思いますが、そういう人達って本当に何を考えているんでしょうか?
1. 問題はこちらの指示を聞き入れない点ではない
指示を出す側の気持ちとしては「言う通りやれよ!」って言いたくなりますよね。
プログラミング大会のケースでは、友達同士の集まりなんだから人数分のパソコンを主催者が用意できないことくらい、常識で判断してほしいところです。
また繊細な子の多い部署では、メンバーにちゃんと仕事をさせるためには繊細なストレスコントロールが必要となるのであって、スポ根方式のマネジメントなんてもってのほかのはず。
彼らは、なんでそんな簡単なことが分からなかったのでしょう?
でも、ケース1 と ケース2 それぞれ、よく見てみてください。
問題のポイントは、本当に彼らの行動の部分にあったのでしょうか?
もしシナリオをこう変えたら、話が変わってくると思いませんか?
ほら。
一発逆転、指示を出した側が悪役になりました。
それぞれのケースで、登場人物達の行動の部分は特に変わっていません。
変わったのは、彼らが自分の行動について正しい説明ができてるかどうかだけです。
そう――。
一般に融通が利かない人とは、多くの場合は問題行動を起こすことが問題なのではなく、自分の行動の理由を上手く説明できていないだけのケースが圧倒的に多いんです。
つまり彼らが問題行動を起こすためには、その前提として、指示を出す側が “言う通りにやってくれると思い込んでいる” ことが前提になるんです。
ようするに、彼らの問題の本質は自分の行動の説明を上手くできない部分にあるのであって、行動自体には必ずしも問題がないケースも割とあるんです。
(もちろん全部じゃないけど)
2. 理由があるのに言えないとはこれ如何に
コミュニケーショントラブルに遭遇した経験が少ない人には、もしかすると “理由があるのに言えない” という状況そのものが理解できないかもしれません。
あるいは、「自分自身のことを言えないってどういうこと? 口止めでもされたの?」と考えるかもしれませんね。
常識で考えて言えるはずのことが言えないタイプの人は、その背景としていくつかのパターンがあります。
パターン1. 行動に対して説明力が釣り合っていない
高度なスキルを持っている人は、それを見える化していくために、相応に高度なトークスキルを求められるのが昨今の世の中です。
ですが技術力とトーク力は特に関係がない個別の能力ですから、もし鍛えるんだったらそれぞれ個別に訓練しないといけません。
それゆえ、理由の説明に難しい語彙が必要とされる場合、聞き手側が「それって○○ってこと?」といった補助をしてあげながら会話することもありますよね。
でも今回問題にしているのは、そのような補助が必要ないと思われる簡単な状況で、それでも巧く喋れなかったり、または変な言い方をしてしまうケースです。
そういうパターンの人は、とりわけ身内に「は? どういうこと?」といったイラだった返答を何度も繰り返す人がいて、そういう人の元で育っていることもあります。
いわゆる、“説明責任を強く求めすぎる人の子供” です。
そういう人の元で子供時代を過ごした人は、「易しい言い方だと理解はしてもらえない」と認識しているケースが多いものです。
だからそういう経験を多くしている人は、自分自身にすら使いこなせないような、難しい言葉をあえて選ぼうとしてしまいます。
なので、“自分に使いこなせない言葉を”“理解して使いこなす” という矛盾にぶち当たって何も言えなくなったり、あるいは正しく意味を把握していない言葉を無理に使ってしまって誤解を与えたりするわけです。
つまり説明が成立した経験が少なすぎるために、どんな言葉を選べば説明になるのかが理解できていないってことです。
パターン2. 理由を説明することに恐怖心を持っている
難しい語彙力は特に必要ないと思われるのに、それでも説明をしようとしない人は、説明することそれ自体に恐怖心があるのかもしれません。
HSP気質などの心が繊細な人達の中には、「は?」「え?」などの疑問を含む相槌を返されただけで、人格否定されたように感じるケースもあります。
たとえば体質的に低音でハスキーな声質な人は通常、自分が恐怖心を煽りやすいの声であることを理解していません。
ですから自分の周囲の子供に対しても、常に恐怖心を煽る声で話しかけ続けてしまいます。
(本人としては「そういう声なんだからしょうがないじゃん察しろよ」と思うかもしれませんが、相手に察することを求めるんだったらこっちも察そうね、ってこと)
そうすると必然的に、そういう人の元で子供時代を過ごしたHSP気質者は、“何を言っても常に怒られる” ように感じることになります。
もし、そんな大人が2人3人とたくさんいる中で子供時代を10年以上過ごし、なおかつ「あれは怒ってるんじゃないんだよ」と言ってくれる人もいなかったら、その子はどうなるでしょう。
言うまでもなく、親に何の悪気も落ち度もないのに、子供が勝手にふさぎ込んだ自信喪失者に育つわけです。
厄介なことに、そういう子の中には、自分は説明するのが怖いのだと、自分でも自覚していないケースもあります。
本人は “自分は言い返せないのではなく、あえて言い返さない性格なのだ” と認識しているのです。
そのような場合だと、大人になったその子は、一見するとキチンとした受け答えができるように見えてしまいます。
なのに、いざトラブル発生となると途端に説明能力を失うことになり、普段との態度の落差が周囲の人達を驚かすことになります。
パターン3. ルールに対する非常に強いこだわりがある
本人の中にマイルール等があって、そのルールが崩されることに強い恐怖を感じているパターンです。
本来であれば、そういう人達には「怖いものは怖い」と素直に言って欲しいところですが、それはできません。
とりわけ “ルールが崩されることが怖い” という感情は極めて原始的・本能的なもので、自分が恐怖を感じていること自体を自覚するのが難しいからです。
そもそも本質的に、人間は “ルーチンワークが崩される” ことをリスクと捉える生き物です。
なので、ルーチンワークを崩されることが怖いことそれ自体には理由がありません。
「なんでいつも通りに固執するの!?」と怒ることは、「男はなぜ美女が好きなの!?」と怒るのと同じことなんです。
本能ですので理由なんかないんです。
ルーチンワークが壊れることが誰にとっても怖い証拠に、指示を出してる側は「○○を××に変えるだけじゃん。なんでそれができないの?」と思う場合であっても、逆に妥協して「だったら逆に××を○○にしてもいいじゃん」と考えることは怖いはずです。
たとえば。
廊下で見ず知らずの顧客とすれ違った際に挨拶ができない社員に対し、上司は「挨拶するだけじゃん。なんでできないの?」と思うでしょう。
ですがよくよく考えてみると、その挨拶は本当に必要なんでしょうか。
自分がお客さんの立場でよその会社へ出かけていくとき、廊下で見ず知らずの人から挨拶などしていただかなくても、取引に影響するほど心象が悪化することなんてありませんよね。
つまり、全く見ず知らずの相手に、挨拶する必要なんかないんです。
にもかかわらず多くの人にとっては、挨拶すべし という社内ルールがすでに出来上がっている状況で、これを 挨拶不要 と変更することに不安を感じます。
なぜならば、人間はいつも通りでなくなることに恐怖を覚える、そういう生き物だからです。
“挨拶すべし” ⇒ “挨拶不要” というルール変更が不安になるのは当たり前のことなんです。
実際にそういう状況になったら、私だってそんなルール変更は嫌です。
これは逆にいえば、“挨拶不要” ⇒ “挨拶すべし” というルール変更にもまた、人間は恐怖を覚えることも表します。
今まで挨拶なんてする必要がなかった人が、ある日突然それをやらないといけなくなると、何の理由もなく怖くなるんです。
そんなとき通常であれば、挨拶に返事がもらえるというメリットがあると理解することで恐怖がなくなります。
メリットが恐怖を上回ることで、自分の中でのルール変更が容認されるんです。
ですが、マイルールに対するこだわりの強い人は、この恐怖心を人よりも強く感じることが知られています。
中には(ごく一部ですが)相当高いメリットでないと、恐怖心を拭い去ることもできないケースもあります。
たとえば “暴力を伴うパワハラがやめられない” という心の病気を抱えている人の中には、“パワハラをやめれば訴訟リスクを回避できる” というメリットがあることを、本人がちゃんと理解していることもあります。
それでもやめられないのは、その人にとって “ルール変更そのもの” に対する恐怖が、それだけ強いからです。
3. 対処例
だったらそれらの人々にはどういう対処法が考えられるでしょうか。
ここでは上記3パターンへの対策について、それぞれ例を挙げてみます。
パターン1. 待っていても一向に説明が始まらない場合
このパターンの場合は、相手は「難しい説明を求められているに違いない」と勝手に勘違いをしています。
ですので、「ぶっちゃけどう?」などの言い方をすることで、ざっくばらん・フランクな言い回しで構わないことをアピールするのも一案です。
あるいは「違うかもだけど、もしかして~」などの言い方で、こちらの仮説を試しに言ってみる、なんて人も多いかもしれません。
ただしこの、試しに仮説を言う という方法論には1つ注意点があります。
この 仮説を言う という行為は、相手の思考を手助けする意味以外にも、「これくらいの粒度に噛み砕いてね」というお願いも含むものです。
ですので、「もしかして地球が爆発するとか思ってない?」とか「もしかして著作権法とか気にしてる?」などの大袈裟な言い方をすると、それぞれ「根本的な哲学的返答をしてほしい」「法的な観点から回答してほしい」と相手には伝わってしまいます。
ですので、「もしかして怒られるの怖かった?」など、現実的にありえる仮説を提示してあげなければいけません。
パターン2. 難しい説明を無理にしようとする場合
説明はしようとするんだけど、それが難解であったり、または不相応な難しい言葉を無理に使おうとする場合、言われている側は「もしかして煙に巻こうとしてる?」と思うかもしれません。
とりわけ難しい言葉を使おうとするケースの中には、言葉を勝手に作ってしまう造語症というのもあって、たとえば「なぜ英語の勉強をしないのか」と聞かれて「真っ赤なジャーピーなら当然でしょ?」などといった意味不明な単語を突然作り出すこともあります。
このような重度の場合も含め、本人には煙に巻こうとする意識は全くありません。
むしろこの言い方が一番分かりやすいと信じて発言している場合が大多数です。
(とりわけ造語症の場合は、説明は短く簡潔であるべき という話を、短ければ短いほどよいと過剰解釈することによって発症します)
そういう場合は、時間がかかってもよいので、説明を理解しようとする態度を相手に見せることが重要です。
「は? どういうこと?」とか「言ってることが難しいんだけど」など、理解をそもそも拒否するような言い方はダメです。
それは、言い換えることを相手に丸投げにしているだけです。
そもそも分かりやすい言葉への言い換えができないから、難しい言い回しをやむをえずやっているのですから、できないものを無理にやらせたって、できないものはできません。
本人は「理解できないならもういいよ」と思ってしまって、この時点で人間関係は破綻します。
たとえ遠回りでも、「それって○○ってことで合ってる?」などの丁寧な確認や、「なるほどね」「そういうことか」などの肯定的な相槌を意識的に使うことが重要です。
パターン3. マイルールへのこだわりが強すぎる
先述の通り、人間誰しもルール変更は怖いもので、それはお互い様なのです。
ですので、マイルールを変えたくないと思ってる人に、「我慢してでもやりなさい」と強く迫るのはダメです。
それだと相手には「私は我慢したくないから、代わりにあなたが我慢しなさい」と伝わってしまい、とてもわがままな発言に聞こえるのです。
本人にマイルールを変えさせなければならないケースでは、まず “どういう目的で変えるのか” をハッキリさせることが重要です。
またそのルール変更を行うにあたっては、ルールが変わることによって “誰が喜ぶのか” を明らかにする必要もあるかもしれません。
なぜなら、本人の中でルール変更が容認されるためには、メリットが恐怖を上回る必要があるからです。
自分と無関係な顧客にも挨拶はしなさい、というルール変更であれば、“俺が個人的にスッキリするから” なんて理由では話になりません。
それでは本人に何のメリットもありません。
あるいは “お客さんの気持ちがよくなって商談成功につながるから” という理由も微妙です。
それは会社のメリットであって、中にいる社員のメリットではありません。
商談成功につながって直接喜ぶのは当の担当者であるため、金銭的あるいは達成感的なフィードバックは全くなく、本人のメリットになりえないのです。
(第一、お客さんの中にも知らない人から挨拶されるのを怖がる人はいるはずですので、担当者本人のメリットになるかどうかすら怪しいものです)
ですのでこのケースの場合だと、たとえば “挨拶の声を周囲にも聞かせてあげることで、あなたのいる、あなたのチームの雰囲気がよくなるから” といったものの方が、本人も多少は受け入れやすいでしょう。
あくまでも、本人が得をする理由を考えることが大事です。
また、暴力を伴うパワハラのような多少労力をかけてでも対処すべき状況で、なおかつ、いきなりガラッと変わるのが難しいときは、「だったらどこまでならやれる?」を本人と話し合う必要もあるかもしれません。
いきなり完璧に直そうったって、それができたら注意されるまで努力を怠ったりしないからです。
4. 説明したこと自体を叱ってはいけない
説明を受けた結果本人に非があると分かった瞬間、大義名分を得たとばかりに叱り始める人がいますが、これはダメです。
いきなり説教が始まると、相手には「説明したことそのものに対して怒られた」と伝わってしまい、次からますます説明をしなくなってしまいます。
そういうとき大事なのは、“叱る” んじゃなくて “手順を修正する” ことです。
そもそもこの世の全ての仕事とは、何らかの作業を手順通りにやれば終わるものであって、本人はその手順を間違えたから怒られているわけです。
決して、人の気分を害したから怒られるのではありません。
ですので上司としては、「次からはこうしようね」という正しい手順が伝われば目的達成のはずで、本質的にこちらが怒っていることが相手に伝わる必要などないんです。
相手に手順を変えなければならないと理解させ、そのメリットを理解させること。
そしてできれば、ちょっとずつでも本人の説明能力を向上もさせていくこと。
その2つが、融通が利かない人に融通を利かせるためのポイントなんじゃないかなと、私なんかは思うわけです。
ではまた。