日本政治に“第三極”は存在しない

日本における二大政党制は、2020年現在確立されているとは到底言い難い。55年体制下で「自由民主党(1955~)」に対抗する軸として存在感を示していた「日本社会党(1945~1996)―後の社会民主党―」、本格的な政権交代を実現できず、(1)非自由民主党の多党で組んだ大連立政権か、(2)自由民主党と連立を組んだ上で非自由民主党系総理大臣の実現、しかできなかった。
2009年に本格的な政権交代を果たした「民主党(1998~2016)」は、三年という短い期間で下野し、「民進党(2016~2018)」・「国民民主党(2018~)」へと名前を変え、支持率の低迷が続いている。現在、一部の野党議員が声高に主張する『政権交代可能な二大政党制を日本に実現』は、もはや目的と手段の逆転をした主張が多いように思える。こういった意味では、日本において二大政党制が確立したとも定着したとも言えないのは、大多数の感覚ではないだろうか。
そんな中、“第三極”と呼ばれる政党が時折存在感を示したり、消滅したりを繰り返している。例えば、「みんなの党(2009~2014)」「日本維新の会(2012~2014)」「希望の党(2017~2018)」などといった政党である。これらの政党は、時に“ゆ党”と揶揄されているが、果たしてこれらの政党は“第三極”であるのだろうか。“第三極”とは一体何なのか。こうした素朴な疑問に対して述べていく。
1. 日本政治の定着しなかった二大政党
 日本における二大政党制は2020年現在確立されているとは到底言い難い。“55年体制”下では、与党「自由民主党」と最大野党「日本社会党」の構図がほとんど固定されたが、「日本社会党」が「自由民主党」の議席を超えて政権を奪うことは一度たりともなかった。
一方、1993年第40回衆議院議員総選挙において議席の過半数を得られなかった「自由民主党」に対し、“新党ブーム”によって躍進をした政党たちの大連立政権によって非自由民主党政権が成立した。この時、8党派(「日本新党」・「日本社会党」・「新生党」・「公明党」・「民社党」・「新党さきがけ」・「社会民主連合」・「民主改革連合」)による大連立による組閣に至り、首班指名を受け総理大臣となったのは細川護煕(在任:1993~1994―日本新党―)であった。長らく最大野党を務めていた「日本社会党」は、議会第2党の議席数は保ったものの、反自由民主党票が保守系新党に流れたため大きく議席を減らした。この選挙によって、“55年体制”は崩壊した。
この後、さらに「日本社会党」は追い討ちをかけられることになる。1994年、与党8党派に加え自由民主党から離党した議員によって結党された3党(「自由党」・「改革の会」・「新党みらい」)が羽田孜(在任:1994―新進党―)を首班指名し、総理大臣に就任する。この時、「日本社会党」の影響力低下を目的とした「新生党(1993~1994)」・「日本新党(1992~1994)」・「民社党(1960~1994)」・「自由党(1994)」・「改革の会(1994)」の5党が統一衆院会派「改新(1994)」を結成する。これに反発した「日本社会党」は連立から離脱を表明し、閣外へと出ていくこととなった。
2. 初の本格的な政権交代と定着しない二大政党
1994年、政権復帰を目指した「自由民主党」は、連立を離脱した「日本社会党」と新党さきがけと連立を組み村山富市(在任:1994~1996―日本社会党―)を首班として内閣が組閣された。1996年村山富市が辞任をすると、後任には「自由民主党」の橋本龍太郎(在任:1996~1998)が就任。その後、再び長期に渡った「自由民主党」による政権が定着する。
時を同じくして、1996年には「新党さきがけ(1993~2002)」や「社会民主党(1996~)」の一部、「市民リーグ(1995~1996)」によって「(旧)民主党(1996=1998)」が結党。その後、「民政党(1998)」・「新党友愛(1998)」・「民主改革連合(1989~1998)」の合流によって、のちに政権交代を実現させる「民主党」が誕生した。
橋本龍太郎の後、小渕恵三(在任:1998~2000)、森喜朗(在任:2000~2001)、小泉純一郎(在任:2001~2006)、安倍晋三(在任:2006~2007)、福田康夫(在任:2007~2008)、麻生太郎(在任:2008~2009)と自由民主党政権は続く。その間、「社会民主党」は、一向に議席を伸ばすことはできず、かつての「自由民主党」に対抗する最大野党の姿は薄くなっていた。その立ち位置を得たのが、「民主党」である。「民主党」は少ない時には113議席であったものの、多いときには177議席と全体の三分の一を確保することで「自由民主党」に代わる新しい受け皿として存在感を示した。そして、2009年の第45回衆議院議員総選挙では308議席と全体の三分の二の一歩手前まで議席数を伸ばし、初の本格的な政権交代を果たす。
しかし、民主党政権は、マニフェストで訴えた数々の政策に対して財源の確保ができず失速。鳩山由紀夫(在任:2009~2010)の普天間基地移設問題や菅直人内閣(2010~2011)で起きた尖閣諸島中国漁船衝突事件の対応を巡っては政局が混乱し、極め付けには東日本大震災・東京電力福島第一原子力発電所事故が発生したことで大きな困難に直面することになる。そして、野田内閣(2011~2012)は「自由民主党」・「公明党(1964~)」との三党合意に至った税と社会保障の一体改革を最後に、第46回衆議院議員総選挙で完敗をしてしまう。再び自由民主党政権が誕生する。
3. 二大政党の兆しが見えず
 2012年政権交代によって再々度政権に舞い戻った「自由民主党」は、野党時代の大部分を総裁として活躍をした谷垣禎一(在任:2009~2012)の後任となった安倍晋三(在任:2012~)が再び総理大臣として就任をした。第2次安倍内閣は、“アベノミクス”と呼ばれる経済政策・金融政策をタッチーなキーワードで国民に浸透させ、また保守層には“憲法改正”を訴えることで熱烈な支持を確保した。対して「民主党」は政権時代のマニュフェストの非実現率や国民の高まった期待に対して成果を示せなかった数々の失態から政権担当能力の低さを指摘され、支持率が低下する。
 政権を務め始めた安倍政権は解釈改憲による集団的自衛権の容認から2015年の安全保障関連法案の強行採決、2017年共謀罪、2018年働き方改革関連法案といった権力の濫用になりかねない数々の法案を可決し続ける。加えて、絶えず起きる閣僚の失言や辞任の数々、総理大臣自身にかけられた森友学園問題・加計学園問題・桜を見る会問題等の数々、さらには官僚による公文書改竄や廃棄・隠蔽といった汚職の数々が浮き彫りになり、政治に対しての信頼の失墜が更に加速したことは言うまでもない。
 「民主党」の下野した2012年の第46回衆議院議員総選挙では、野党勢力の最大勢力は「民主党」であった。しかし、議会第3党に位置づけた「日本維新の会」は「民主党」に残り3議席と近づき、二大政党の一角を担う政党が定まらなくなった。
 続く2014年の第47回衆議院議員総選挙では、「民主党」が57議席から73議席と伸ばし、「維新の党(2014~2016)―日本維新の会の後継―」が41議席と差が開いたものの、得票率では18.33%と15.72%と大きな差があるわけではなく、二大政党の一角が明確になったとは言えない状態であった。
 2016年、野党再編の兆しが現実となり、「民主党」と「維新の党」が合流し「民進党」が結党された。「維新の会」の一部は「おおさか維新の会(2015~2016~)」を結党する。同年に迎えた第24回参議院議員通常選挙では、悔しくも議席を大きく減らしたものの「民進党」が第2党として結果を残し、「おおさか維新の会」は第5党で落ち着いた。「自由民主党」に対抗する政党として、「民進党」の重要度は上がった。
 そして、大きな激震となった2017年の第48回衆議院議員総選挙。小池百合子代表(在任:2017.9~2018.5)によって結党された「希望の党」への「民進党」の衆議院側の合流が、前原誠司代表(在任:2017.9~10)によって決められる。しかし、小池百合子代表のリベラル派排除発言によって、希望の党合流組と新党結成組、無所属(民進党に党籍を残しておく)組の三パターンに分かれ選挙戦に挑むこととなった。「民進党」は党籍を持ち無所属の衆議院議員と、民進党所属の参議院議員が混在する形で存命するも、民主党時代に一度獲得した二大政党の一角としての存在感は全くなくなってしまった。しかも、台風の目であったはずの「希望の党」は野党第二党に落ち着き、野党第一党には新党として結成された「立憲民主党(2017~)」が位置づいた。両党は、50議席程度となり、また二大政党の一角としての存在は現れなかった。
 2018年、「希望の党」と「民進党」が合流をし、「国民民主党」が結党されると、「民主党」の正式な後継政党は「国民民主党」となった。しかし、衆議院においても参議院においても野党第一党になるわけではなく、離党者も続出して小規模政党止まりとなった。対して、「立憲民主党」は旧民主党議員の入党の数々や2019年の第25回参議院議員通常選挙によって躍進をしたことで野党勢力の中では頭ひとつ出た存在になった。しかしながら、現在でも二大政党の一角と言い切れるほどの存在感ではない。
4. “第三極”と呼ばれる党の数々
 ここまでで見たように、日本における二大政党は確立されていないことがわかる。“55年体制下”の「自由民主党」と「日本社会党」の対立軸は、政権に居座り続ける「自由民主党」と政権交代を実現できない「日本社会党」の睨み合いであった。“55年体制”が崩壊した1993年の非自由民主党大連立政権では、「自由民主党」と対峙する太軸となる党の存在はなく、非自由民主党大連立政権からの「日本社会党」の離脱、さらには長きにわたるライバルの「自由民主党」との連立などを経て、二大政党としてのアイデンティティを完全に失った。2009年に政権交代を実現した「民主党」は、このまま定着する二大政党の一角と期待されたが、下野後は野党第一党でいることが限界である印象を与えた。加えて、他党との離合集散を繰り返して作られた「国民民主党」は二大政党の候補ではありつつも有力な政党とは言えず、野党第一党を担う「立憲民主党」も「自由民主党」を脅かす対抗軸とは未だ言えない状態である。
 ここで日本の政治の動きを見てみると、2010年辺りから興味深い点がある。それは、自由民主党系(自民系)でも非自由民主党系(民主系)でもない、さらには最も長い歴史を持つ政党「日本共産党(1922~)」でもない新しいアイデンティティを掲げた政党の存在である。それを“第三極”と呼ぶ。
 2009年、民主党が政権交代を果たした選挙では、渡辺喜美(在任:2009~2013)率いる「みんなの党」が初めて国政選挙に挑み、翌2010年の第22回参議院議員通常選挙では10議席増という結果で躍進を果たした。「みんなの党」は脱官僚・新自由主義・地方分権を掲げ、改革政党の元祖第三極として注目された。
 2012年、民主党が下野した選挙では、石原慎太郎(在任:2012~2013)を党首とした「日本維新の会」が野党第一党に迫る勢いで議席を獲得した。彼らも小さな政府・地方分権を掲げ、行政改革を主張する政党であった。この党は、「結いの党(2013~2014)」と合流し「維新の党」を結党。さらに、「民進党」と「おおさか維新の会」に分裂をすることで第三極としての新たな受け皿を失う。なお、「おおさか維新の会」は改名され、現在の「日本維新の会」となる。
 2017年、急遽結党された台風の目「希望の党」はまさしく第三極と言えよう。自由民主党と同じ保守系政党でありつつも、既成政党の持つ“しがらみ”をなくしたクリアな政治を掲げて初陣を切った。保守政党でありつつも、保守の対立軸である革新(改革)であることを自称した希望の党は、“改革保守”という言葉の矛盾を含んだイデオロギーを旗印に掲げた。政策としては先の二党と似たような形で地方分権・行政改革・規制改革を掲げた。
 いずれの政党にも言えることは、当時の二大政党になりうる存在―自民系VS民主系―の二択ではない新しい選択肢として登場したことであろう。また、中央集権的な現状を打破し、地方分権を実現しようとする点。行政や規制といった部分に対する“改革”を謳う点が特徴であろう。つまり、第三極と呼ばれた政党は、A(自由系)でもB(民主系)でもない、新たな選択肢Cとして躍進をしたのであった。
5. 現在の“第三極”
 以上で見たように、“第三極”と呼ばれる政党は既存の枠組みに戦いを挑むことで独自の存在感を示した。その一方でこれらの政党が第三極から主流政党へとアップしたことはない。いずれの政党も衰退・消滅の道を歩んでいる。
 「みんなの党」は2014年に内部分裂が決定的となり解党。当時党員であった議員は、「自由民主党」「立憲民主党」「日本維新の会」と様々な党に分かれる形で活躍をしている者もいる。結党者である渡辺喜美は、「NHKから国民を守る党(2019~)」の議員と参議院会派「みんなの党(2019~)」を結成し活動をしている。
 「希望の党」は2018年の「民進党」との合流にあたり分党がなされた。しかし、党員の離党や政界引退によって政党要件を失い、現在は政治団体としての「希望の党(2018~)」となっている。
 このように当時大きな話題をかっさらった“第三極”は予想外の結末を迎えているが、この二党と違う現在を歩んでいる政党がある。それが、「日本維新の会」である。
 「日本維新の会」は、前身「維新の党」が「民主党」と合流する方針に反対し、同党を離党した議員によって結党された「おおさか維新の会」が母体となっている。憲法改正・身を切る改革・行政改革・小さな政府・地方分権などを掲げており、自民系・民主系でもない第三極として存命し続けている。本党の強みは、大阪を中心に首長を排出しているため、地方政治においては行政面での実績を生み出している点である。そのため、近畿地方を中心に高い支持を得続けており、自由民主党に対抗する勢力であることは間違いない。
 以上、三党の中で唯一 “第三極”と呼ばれる立ち位置にいるのは「日本維新の会」である。
6. 新たな“第三極”の登場
 そんな中、新たな“第三極”とも言われている政党がある。
 2019年に結党された「れいわ新選組(2019~)」である。本党は消費税廃止・貧困層の救済等をアイデンティティとした左派ポピュリズム政党が特徴だ。
 では、なぜ本党が“第三極”候補であるのか。それは、“第三極”のアイデンティティといえる既存の枠組みに挑む新たな選択肢として主張をしている距離感である。与党勢力に対しては、野党と足並みを揃えて数々の“トンデモ法”や経済状況に対して反発をする一方、野党勢力に対しては「安倍政権と机の下で手を取り合っている」などといった独特の感性で厳しい声も叫び続けている。また、何よりも両陣営を敵対視している一番の理由は、党是とも言える“消費税廃止(消費税減税も含む)”に与党はもちろんのこと野党第一党も賛同してこない点にある。
 「れいわ新選組」は、安倍政権を倒すという点では他の野党勢力と一致しているが、消費税政策について一致ができていないため野党勢力とも一線を画している。消費税を低所得者層にとってはあまりに苦しい罰(消費罰)と見ており、消費税廃止・法人税増税・累進課税増税等によって国民の負担を減らすことを掲げている。ここで一点押さえておきたいこととして、もし仮に「自由民主党」が消費税ゼロの方針を打ち出したとして、「れいわ新選組」が同党と手を組む可能性を否定していない点である。
 「れいわ新選組」は、消費税政策一点において、与野党との距離感を作っている。故に、政策の内容から左派であり、与野党との距離感から“第三極”といって位置付けることは可能であろう。
7. 実際には存在しない“第三極”
 さて、ここからが本稿の本題である。
 本稿は、[1.~3.]において日本戦後政治における二大政党について整理をし、[4.~6.]では“第三極”について整理をした。以上の[1.~6.]を踏まえて私が主張したいこと、それは【現在の日本政治に第三極勢力は存在しない】ということである。
 ここまでを整理すると、現代日本政治には二大政党は存在せず、絶対的な存在の「自由民主党」と二大政党の一角を担うかもしれない「立憲民主党」という二つの対立軸を確認した。また、与党勢力と表現をすれば「公明党」を含め、野党勢力と表現をすれば、「国民民主党」「社会民主党」「日本共産党」を含めた対立軸となることは言うまでもない。対して、第三極には小さな政府を主張する右派系「日本維新の会」、大きな政府を主張する左派系「れいわ新選組」という二本の旗が出た。言うなれば、三つ巴、、、いや、四つ巴とイメージができるだろう。
 しかし、この整理に私は疑問を感じた。それは第三極に対してある。
本来、第三極は既成の二大政党に対抗する新たな選択肢として頭角を現し、二大政党に投票をしたくない人の受け皿として躍進する政党である。しかしながら、現在の“第三極”と言える2政党は既成政党に対抗する政党を自称しつつも、ある特定の政党に対する強い反発政党と見たほうが彼らの行動の分析ができるからだ。
 ここで明言する。現在の日本政治に“第三極”と呼べる選択肢は存在していない。彼らは、特定の政党にコンプレックスを持って活動をしている“コンプレックス政党”である。
8. “第三極”勢力は、コンプレックスで生まれた“反発勢力(政党)”
 それぞれの政党のコンプレックスについて述べていこう。先に一つ述べておくと、両党とも野党勢力に対するコンプレックス政党であることは共通である上で、特にコンプレックスを持っている相手がいるのが特徴である。
 「日本維新の会」は、野党勢力におけるコンプレックス政党であり、しかも日本共産党に対してのコンプレックスは異常なほどに強い。まず、野党勢力におけるコンプレックスは、対民主系政党に対しての批判で見て取れる。
例えば、「野党は何でも反対」「対案がない」「自分らに甘い」といった批判である。実際、野党勢力は各党に差はあるにせよ、法案に賛成している数も多く、また一般的な法案には意見を述べ、対案として示すこともしている。
 さらに、「日本共産党」に対しては、振られたストーカー彼氏のようにベットリとくっつき、ガセや誇張で叩き、必死に揚げ足とりをしている。「日本共産党」を、暴力革命を望む暴力政党と主張をするのが何よりもコンプレックスを浮き彫りにしている証拠です。第48回衆議院議員総選挙の党首討論では、松井一郎代表(在任:2015~)が志位和夫委員長(在任:2000~)から「共産党ウォッチャー」と表現をされるほどである。
 「日本維新の会」は、2012年の頃のような勢いはなく、与党の自由民主党に対抗し野党の民主系に代る新しい受け皿としての可能性を大きく後退させた。与党の不祥事に対して、見て見ぬふりをしたり、野党に対しては何でもかんでもイチャモンをつけたり、そんな“かまってちゃん政党”へと成り下がった。故に“第三極”としての立場を失ったと言わざるを得ない。
 次に「れいわ新選組」であるが、彼らは“民主系”に対するコンプレックス政党である。彼らの党是は“消費税廃止”であり、減税・廃止に慎重な自民系・民主系とは違う新しい選択肢を示していることは間違いない。しかし、山本太郎代表(在任:2019~)はAERA(2019年6月24号)において“消費税”廃止のためならば誰とでも手を組むとも取れるような発言をしている。すなわち、彼らは第三の選択肢になるために存在するのではなく、既存の政党に方向転換を促すことを目的としている。その目的が達成できない時、第三極として既存の政党に戦いを挑む構図だ。
 では、一体どこに“民主系”に対するコンプレックスがあるのか。それは、山本太郎代表が度々言い続けている「野党の尻を叩いて目覚めさせる」という言葉の中にある。山本太郎代表は、野党勢力の国会対応について度々批判を連ねている。「机の下で手を握っている。それは立憲民主党」「(トンデモ法に対して)本気で抵抗しろ」「野党は本気じゃない」といった批判を何度も繰り返し、れいわ新選組支持者の中では「立憲民主党は第二自民党」などという悪質なガセが述べられているレベルだ。これらの発言から推測できることとして、山本太郎代表は与党対応をもっと激しく厳しくやれという思いがバックにあるのだろう。例えば、本会議・予算委員会に出席せずに反対しろ、などといったところか。
 このことから、山本太郎代表を含めた「れいわ新選組」の特徴は、①与党に対する本気の抵抗は会談・話し合いに乗らないこと、②貧困層を救う“消費税廃止”こそが最も優先の政策、ということである。そして、①②と反する行動を取る野党勢力は、「れいわ新選組」にとって邪魔な存在である。故に、何度も繰り返す的外れな批判や挑発、さらには現役議員のいる選挙区への候補者擁立等に隠しきれないコンプレックスが現れるわけである。
 「れいわ新選組」は、まず“民主系”に対抗することで既存の野党の評価を下げ、自らの評価上げにつなげることで“自民系”と戦う新たな軸として台頭することを目指しているのが現実的な分析結果だ。
9. コンプレックスのデメリット
 以上を踏まえて、「日本維新の会」は「日本共産党」のコンプレックス政党、「れいわ新選組」は「民主系」のコンプレックス政党であると整理ができる。
 コンプレックス政党は、二大政党で受けきれない新たな選択肢の“第三極”になるわけではなく、コンプレックス対象の政党よりも優位に立つことがアイデンティティとなっており、現時点では本気で政権を奪うような振る舞いが見えないのが本音であろう。
 では、コンプレックス政党のデメリットは何か。それは、コンプレックス対象となっている政党の存在こそがコンプレックス政党の存在意義となっている点である。極端に言えば、対象が存在しなくなった時に自身の存在意義を見失うか、はたまた新たな対象を生み出すかである。コンプレックスに囚われる者は“自立”から遠ざかる。“自立”から遠ざかった者に、何かを達成する力も、大きな責任を背負う責任力も存在しない。
 彼らは、自立した政党ではなく、寄生をした政党である。彼らに秘めたる力があり、政権担当能力・存在感を示すならば、コンプレックスからの脱却が不可欠だ。
10. 最後に
 日本現代政治の抱える課題とは何か。
まず第一に、日本の現代政治において、“第三極”の存在うんぬんよりも、「自由民主党」一強の現状を打ち破ることである。それは、二大政党にこだわる必要はなく、2012年のように野党勢力が張り合う状態で与党を脅かす形でも構わない(当時は野党全体の議席数が極端に少なかったが)。さすれば、少しずつ議席の変化も生まれ始め、国会が常に緊張感を持った状態を生めるだろう。
第二の課題として、本当の意味で既存政党に対する不満を受け止める政党の誕生である。それは、時に“第三極”と呼ばれたものであるが、三でも四でも関係ない。新しい選択肢を生むことこそが既存政党に緊張を生み、大胆な改革や修正へと動かすことに繋がる。特定政党に対するコンプレックスで活動をし相手を蔑むことで優位に立った気になってしまうナルシスト政党ではなく、冷静な態度と熱い政治活動で【AでもBでもない、新たな選択肢C】を明示できた時、初めてその党の存在意義が生まれる。
 今の日本政治に必要なのは、【緊張感】。その緊張感を生むのは、一強状態の打破と新たな選択肢を提示できる大きな野党政党であり、“第三極”と表現をされる複数政党の存在なのかもしれない。

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