多才ではないけれど、多彩に生きる。
今日は、才能のお話です。
才能(天才)と聞いてあなたはどんなことを思い浮かべますか?私はエジソンとかアインシュタインとか、ショパンとかベートヴェン…笑
もはや異次元の世界の超人みたいなイメージだったので、自分の才能がどうとかはあまりそこに繋げてなかったんですよね。でも、起業してからこの業界では、才能が何かをめちゃくちゃ問われるし、ありがたいことですが、多才ですね!とおしゃってもらえたりするのですが、少し複雑な気持ちになります。
なぜなら『多才だね!』と言われてしまうとなんだか…距離をとられているようで悲しかったんですよね。あれ?なんか嫌味ぽい?マウント取られてる?あれ?ん?落ち込ませちゃった?みたいな感じで「色々できる自分」がすごく嫌だった時期がありました。
ところが、今となっては「多才だね」と言われて素直に「ありがとう」って受け取ることができるようになったの。
そうなったのは私にとって多才とは“多彩”だと言葉にもたせる解釈が変わったからです。多才じゃなくて、多彩です。才能はない。でも彩能はある。
これに気づいたとき、すごく嬉しかったんです。生まれつき備わった才はそんなに大それたものではないけれど。
私には彩(色)がありました。その色は“好奇心”です。あれもこれもやってみたい!っていろんな色を混ぜて色んなことを描いてみてさ。
なかなか綺麗な色にならなくて、焦ったり不安になったりしたけれど、だんだん配色のバランスが分かるようになって、自分の好みの色を作れるようになりました。
この彩って、その人の個性です。多彩とはたくさんの色(個性)を持ち合わせてそれぞれがバランスよく交わっていることです。
私の場合だと「コーチング×デザイナー×バリスタ」という彩が混ざり合って『仕事』になっています。好奇心がなければ色を持つことを知らなければ、私は色を輝かせて彩(いろどり)にすることができずに悶々としていたと思います。
才能が生まれつきのセンスだとするなら、彩能は自分次第でいかようにも色を調整して、自分を表現するセンスです。
コーチングするときもデザインするときも私はその人の色が臨場感もって彩りを放つところまで引き上げます。色はデザインなんだけど、彩りはヴィジュアライズです。
デザインのその先へ。色にどんな光を放たせるのか。
そのヒカリ(臨場感)をプロデュースするのが私の彩能です。