専門性の大切さに気づかせてくれたリストラ体験
20代の時にショックだったことがあります。IT専門の人材派遣営業マンだった私はいつもあちこち駆け回って、お昼はおにぎりを食べながら移動していたころ。社会の現実を目の当たりにしたんです。
当時、担当していた40代男性になんとかお仕事を見つけようと必死でした。なんどお仕事を紹介しても、仕事が続かず。最終的にどんどん紹介できる仕事もなくなり、やっとの思いで紹介できたのはコピー機の管理のお仕事です。
手取り13万円…
その仕事も結局、コピー用紙の補充すらできないと案件打ち切りに。20代の私にしたら40年という人生の積み重ねってなんかもう人生のプロ。なのに、40年間生きててもそれが「なんとなく」だった場合、こうなってしまうのか。
人生に文句を並べながら、仕事がないと嘆く「いい大人」に私は勝手にがっかりしてしまったんです。大きくなったら、色んなことができると思って楽しみにしていたから、驚きました。
なんの専門性があるのか語れないとそもそも仕事もらえないという現実と、コミュニケーションするチカラがないと40年という月日すら脆いものなのだと愕然としたの。
思い描いた大人像が崩れて、40代男性に私は事実上、解雇を伝えざる終えませんでした。20代の小娘から伝えられる解雇っていったいどんな気持ちで受け止めたんだろう?と胸がぎゅーとなりましたが、どんなに私が頑張ったところで、本人の意思なきとこに、変化はないと気づいたんです。
大事なことを後回しにすると、取り返しのつかない状態になるんだなぁと感じました。そして、この時に思うんです。私もこのままでいいの?20代のときに出会った人生の先輩たちをみて…
幸せな人もいれば幸せじゃない人もいる。
成功する人もいれば成功しない人もいる。
幸せだけど、成功してない人もいたし、
成功しても、幸せを逃したした人もたくさんいる。
じゃぁ、私はいったいどうすれば良いのか。
当時の私が辿り着いたのは、なんの専門家になるのか腹括ることでした。
どう生きるのか自分に問いかけるところがスタートとなり、自分が何者かを理解し、同時に何者でもないことに気づき、その上で「自分の専門分野」つまり「語れる体験」を持っておくことが大事なんだと学ばせてもらったんですよね。
失礼ですが、最初はこの人みたいに40代を迎えたくない一心だったけど。今思えば、この人のおかげで私は自分を理解することにつながったと感じています。
コーチング、デザイナー、バリスタ、スタイリスト、という技術・知識を身につけて「専門性」を開花させるためには、自分という「存在への触れ合い」が欠かせませんでした。
存在へのふれあいとは、日々の習慣です。自分と深く関わることで「自分が本心で望むこと」を知り、それを叶え続けていくためにどれだけの知恵を生み出せるのか。
どんな価値を届けられる人になるのか?内観を繰り返し、いつの間にか、自分を表現し、他人とも分かち合える生き方が自然と身についていったように感じます。
もしも、「解雇を伝える」というリアル体験をしていなければ、40代男性に出会っていなければ、何かの専門家になろうなんて私は思っていなくて、なんとなく社会のレールに乗って生きていたかもしれません。
何より、専門性を身につけることの面白さは格別で、その喜びはなんとも言えない感動があります。
そして、身につけた知識やスキルは“誰がどう使うのか?”が一番重要。
だから私は、純粋で美しい本質にこだわります。この本質に誠実に生きていると、学んだことが一つに繋がる瞬間に出会い、ふるえるの♡
純度が低いのに使ってしまったら、ただの搾取になって人が離れるか、空回りになって自分が枯渇かのどちらか、です。
何かをしたければ、叶えたいことがあるなら、まず自分の状態づくりから♡
後回しにしていることにヒントがあるよ*ˊᵕˋ)੭