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Great Wave(北斎)と75歳

少し前に北斎美術館に行ってきました。
すみだ北斎美術館 - トップ (hokusai-museum.jp)
 
江戸時代は鎖国されていたため、日本文化が独自に育まれたと理解していたのですが、意外にそうでもないのですね。
 
知らなかったのですが、以下のGreat Wave(神奈川沖浪裏、新千円札にもなっていますね)は75歳の時の作品だそうです。びっくりしました。
 

北斎の画風はそれまでの集大成

長崎の出島などから来る外国の文化を取り入れることはそれなりに行われており、北斎も洋画の遠近法など西洋の手法を取り入れたことが、の構造に大きく影響を与えたとのこと。また、青色についても、自然素材だけでなく、ドイツで作られた藍色の化学品を使うなどの工夫あり。また、波の飛沫がくるくるとしているところがあると思いますが、これは一時期北斎が中国の画風を学んでいたことの影響なのだそうです。

北斎は早くから人気絵師として名をはせていたものの、やはり富嶽百景なくして歴史に名は残らなかったのではないか、と思います。

でも、若かりし頃から富嶽百景を書くなんて思ってもいなかった。自分が西洋画から学び、中国がからも学び、浮世絵を書きまくり、ずっと絵を追求してきた中で、(半ば偶然、またはセレンディピティ的に)経験したもののが繋がって、それが75歳で富嶽百景を書くときに結実して、大作ができたのだ、ということを知るに至りました。
 
集大成は事前に予測しては作れない(Steve JobsのDotと同じ)
スティーブジョブズのDotが後から繋がる(そのときに、今やっていること、次にやっていることが繋がっていると明確に分からないが、心はその方向にいっている。そして、将来振り返った時にそのつながりが分かるという例の話)という話にも通じるものがあると感じました。また、若いときに成功した、という中で絵師としての向上心を捨てていたら、不自由なく暮らせたかもしれないけど、富嶽百景にはたどり着けなかったと感じます。
 
ビジネスにも示唆があると感じました。

若いときに成功してFIREする人もそれなりにいるかもしれない。しかし、そういう人はきっと富嶽百景が書けないような気がします。また、キャリアを重ねる中で、今まで重ねてきたものが思いもしない形で結実して、自分だけにしかできない作品を作れるかもしれない(ビジネスの場合は、そういった仕事ができ、インパクトを出せるかもしれない。)。

色々な経験を積んできた中で、どうもそれが自分の中で繋がっていないんだよなー、という人も、実はそれが次の一歩でいろいろつながるかもしれない。まだキャリア積み出している人も、最初からどういう自分のGreat Waveがかけるか分からない。そして、それは分からなくてもいいんだと思います。

北斎もその時々で絵師として一生懸命に絵を学び、研究し、表現してきたのであり、それが偶々結実したのがGreat Waveだった。でも、絵が大好きだったのだと思います。そして、誰よりも一生懸命に書いた。絵を描くことは純粋に楽しいばかりではなく、世間から理解されなかったり、(本の挿絵として書くときは)本の著者と揉めた、みたいな話もあったと聞きました。必ずしも裕福ではなかったとも。だから、毎秒楽しいわけではないけれど、でもやっぱり絵師に限りない情熱を注いでいたわけですね。
 
毎秒の楽しさvsバックボーンの楽しさ その延長線上にあるもの
仕事も毎秒が楽しいかは分からない。でも、少なくとも(北斎の絵のレベルかはさておき)バックボーンのところでは楽しく、情熱をかけられるものであってほしいと思います。だからこそ、北斎は75歳になっても書き続けていたわけだし、ここでみんな75歳まで働くべきだというつもりはないのですが、それくらい好きな形で働く、ということはとても素敵なのではないかと思いました(色々価値観がありますが。)。
 
まだ自分のGreat Waveの形も分からないですが、楽しみです。そして、他の人のGreat Waveも見たいし、Great Waveを実現する力にもなって上げられれば素敵だなと思います。

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