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東洲斎写楽 / メトロポリタン美術館
ファンタジー、何をどのくらい選ぶか
日本社会における重要とされる単位の変化について
ピラミッドの順番は天辺から、
戦前:国、企業、個人
戦後:企業、国、個人
バブル崩壊後:個人、企業、国
だと思う
現代は、個人が頂点にある社会というと聞こえは良いが、単に企業が力を失いやむを得ず個人と入れ替わっただけでは?
企業に希望が持てないならば、個人として希望(生きがい)を持つ必要が出てくる
人間だけがファンタジー無しの現実を生きることができない
信仰心があまり無く、共同体も強く機能していない現代の日本個人にとってめちゃくちゃ難しいことではないだろうか
そのためかファンタジーを供給するビジネスがとても盛んである(ここには酒やギャンブルも含まれる)
趣味や娯楽を振り回しただ生まれて死ぬという事象をデコり続ける
あるいは、使命というファンタジーを作り出し自分に信じ込ませ虚無の世界に顔を描く
身の程を知りすぎて夜眠れない人はどうだろう
現実を、どのくらいで割っていくか