生まれる子供 与えられるもの
私は来年子供を産む予定ができた。
日に日に変わる身体に向き合いながら、将来へ向けての準備や計画を立てるための話し合いに追われている。
そんな子供を産むという事を想えば想うほど、父方の祖父はとても凄い人だったと記憶を遡っている。
祖父は天草から東京の船関連の会社に入り、祖母と出会い都内で暮らしていた。
幼少期から大工の父に色々習っていたようで手先が器用、狩猟が得意でよく小田原の辺りへ雉や兎など獲ってきては、剥製にしたり食したりしていたそうだ。
母は生き物を捌くのを嫌がる祖母の代わりに、羽をむしる手伝いなど、調理できるところまで祖父の手伝いをする思い出話をよくしてくれた。
祖父は背が高く、185cmくらいはあった。顔はクリントイーストウッド監督に似ているイケメンで、祖母はいわゆる"東京のお嬢さん"だったが、九州出身の会社員だった祖父に出会いイケメンすぎて恋に落ちてしまうのも納得できるカッコ良さだった。
そんな祖父はお酒を飲むのも大好きだったが、孫娘の我々(姉と私)のことも大好きだった。
昔ながらの宴会が好きな家で、宴会中暇する子供たちの元へやってきては「来ると聞いたから」と自作の竹蜻蛉やコマやら、写真が好きだったのでカメラを見せてくれたり撮影したりと。
新しいオーディオを買ってカラオケしてみたり、LP盤のアンパンマンの映画を用意してくれたりと、子供たちが楽しめるようにといつも何かしら用意してくれて大好きだった。
私が大学生の時に祖母が病気で亡くなり、1人暮らしとなった祖父はその数年後に自宅で心筋梗塞が起こり亡くなった。
一人暮らしをしていた祖父は、全くボケていなかったが念の為、と訪問介護を受けていて、その振る舞いはとても紳士的でスタッフに人気のお宅だったそうだ。
自分で掃除も好きで料理も好き。お酒も好きで煙草も好きだった。
旅行が好きで70超えたくらいで、1人で牛タンを食べに仙台へドライブしてしまった時には驚いた。
なんでもできる人で、怒ってる姿はほとんど見たことがない大好きな祖父だった。
私はあんな人になれるだろうか。
大好きな祖父。私ももらった愛情をあんなふうにあげたい。