現代文明に思う
先日プリンターを買い換えた。と、こう言ってしまえば何でもない事のようだが、この事で大いに思うところがあった。
10年近く愛用してきたC社の複合機能プリンターであった。コピーも自宅で取れるようになり、あらゆる画像もデータ化して取り込むことができるし、写真の現像もしなくて良いようになったということは、大変便利になったことである。
何年か前に故障して大修理を行ったのだが、今回とうとう使えなくなってしまった。もう部品の保存期間が過ぎて、これ以上の修理はできないのだという。どこがダメになったのかと言うと、廃インクを貯蔵しているインク吸収体というのが一杯になってしまったということだ。他はすべて機能しているのに、買い換えるしかないというのがメーカー側の説明だった。どうしようもない。
この機会に古いプリンターを自分で解体してみた。はずせるネジを全部はずしながらバラバラにして、素材ごとに分別してみた。思った以上に大変なハイテクとメカニズムが使われていて、何がどうなっているのかほとんど理解できない。一つ一つの金属部品、プラスチック部品、そして電子基板、これらを製造するのにどれだけの頭脳労働・製造の労苦・ばく大なエネルギーを要したことだろう。そうして安く売り捌かれ、わずか数年使われて、あとは粗大ゴミとして放擲されるのである。(家電のリサイクルと称していくらか回収する試みはなされ始めたが)
使い終わってどのように処分され、結果としてどれだけの負荷を環境に与えるかということに少しも思いが致されていない。少しばかりの便利さと引き換えに、一体この機械はこの地球に何をもたらしたであろうか。
製造する側だって本当はそんな事には気づいているのだろう。しかし給料を貰って家族を養い、家のローンを払って快適な生活を続けるためには、目をつぶるしかない。地球がどうなろうが知ったこっちゃないのである。そんなことを考えていたなら、他社や新興国との競争にも太刀打ちできなくなる。そうして仕事場を失って都会の片隅のホームレスにでもなるのが落ちである。
私はここに現代文明の姿を見る思いがする。このプリンター機械の内部機構には、どこかに地獄の臭いがする。仕方なしに生産に従事している人々の自殺の気配が感じられる。大げさな物言いだろうか?
こんなことのために、さらに原発のエネルギーが必要だという。
我々の都市を見てもまた然りである。国は何百兆もの借金をして、巨大な構築物を造り上げてきた。いかに威容を誇るも、それらは遅かれ早かれ、巨大な廃墟・ガラクタの山と化すに違いない。首都高を見ても、わずか50年で使用に耐えないほどに劣化してきている。莫大な資金と労力をかけて、千年くらい持つならまだしもである。今なお作り続けられる巨大なコンクリートの塊は、現代文明の墓標であろうか。生き残った人は、瓦礫の都市を放棄して山中に赴くようになるかも知れない。
無節操な物品の乱造、大量消費、大量廃棄、そして環境の劇的な改悪、これらをはじめとする人間の所業は、やがて人類をこれまでにないような苦難、そして滅びへと追いやることは明白なことのように思われる。
我々の文明は発達したのではない、きわめて未熟で愚かな段階にあるのだと言えるのではないだろうか。
(ALOL Archives 2013)