六祖壇経より 3の補遺
六祖壇経を抜粋・要約したものをご覧頂いている。
私が見ているテキストは、筑摩書房「世界古典文学全集」の中の、「禅家語録Ⅰ」の一部として収められているもので、それは、宋の時代が終わり元の時代になったころに編纂されたものである。編者の僧・徳異は、失われていたオリジナルな古いテキストを探し回り、編纂が完成するのに30年以上を要した、と序文に書いている。
筑摩書房のものは、原漢文と書き下し文、そして柳田聖山氏による現代語訳が付されている。私は、書き下し文から、できるだけ自分の言葉に置き換えて要約・訳出してみた。できるだけわかりやすくまとめたつもりだが、原書に当たっていただくのが一番良いに決まっている。
六祖慧能の偈について少々。
菩提は本より樹なし
明鏡も亦た台に非ず
本来無一物
何れの処にか塵埃を惹かんや
本来無一物、あまりに有名な禅語である。
しかし、これが本当に六祖の言葉であるのかどうかは、やや疑わしいのである。
もっとも古いとされる、敦煌から見つかったバージョンの六祖壇経においては、この偈が以下のようになっている。
菩提は本より樹なし
明鏡も亦た台なし
仏性は常に清浄たり
何れの処にか塵埃有らんや
よく見ると少しずつ違っている。特に、もっとも重要な句である「本来無一物」が全く別の句になっているではないか。「仏性は常に清浄たり」となっている。
確かに六祖は、「仏性は常に清浄たり」と言っていたかもしれない。これがオリジナルであったように思われる。
六祖壇経は、後世、何度も編集作業を繰り返されている。そうした中で、この「仏性常清浄」は「本来無一物」に書き換えられた可能性がある。ということは、六祖壇経全体にわたって、そんなことが行われたに違いないと疑われるのである。
六祖壇経の成立年代は、六祖滅後、三代くらい後の頃だ、と研究者は考えているようである。
それが六祖自らが語る自伝(第一章)として始まっている。大いに疑わしいと言わねばならぬ。道元禅師などは、六祖壇行を偽書だと決めつけているようだ。
そうではあっても、私の感覚では、その内容の生々しさ、非凡な語り口から見て、六祖その人でなければ語り得ないようなものが、確かに多く含まれているのではないかと思う。
それと、考慮しなければならないのは、東洋の著述における匿名性の問題である。東洋には、古来、著作権などというものは存在しなかった。インスピレーションを得て書かれた言葉は、これは私の書いたものではない、師が私を通して書いた言葉なのだとみなされた。
そのような意味で、「本来無一物」の句は、禅の流れを継いだ法の子孫によって書かれたものだったかもしれない。それがあまりに見事な表現だったために、それは六祖の言葉として置き換えられてしまった。それは六祖の見解をも乗り越えたものだったかもしれない。当の六祖自身も、この語を見たなら、感嘆したであろう。
ということで、本来無一物、これは六祖の真理の言葉だと、そういうことにしておこう。