知でもなく不知でもない
知でもなく不知でもない
Neither Knowing nor no-knowing
ボーディダルマが質問されて、「不識」すなわち「知らん」と言い放ったというのであるが、これが古来、禅の上での一大問題になっているのは多くの人の知るところになっている。
インドに生れた哲人、J・クリシュナムルティ(1895-1986)は度々、「観察者が即、観察されるものであるというような観察の中には、時間が存在しない」と明言している。クリシュナムルティにとって、「時間」とは「思考」のことであり、また自己が「断片化」することとイコールである。
こういった事を初めて耳にする人には、なかなか理屈めいていて、何とも取っ付くことが出来ないかも知れない。
要するに、分別心を以ってしては、真実を会得する事が出来ないと言っているのだろう。
スポーツでも何でも、ああこうと迷いだしたら試合に勝てない、無心で臨んだら素晴らしい結果が出た、というようなことを考えたら糸口が掴めるのではないだろうか。
「知」の葛藤に悩む人は古来からあったようである。
禅には次のようなエピソードが伝わっている。
中国・唐の時代、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん ;778-897)禅師がまだ一青年僧だったとき、師の南泉普願(なんせんふがん ;748-835)禅師との間でなされた問答である。
※
趙州「(究極の)道とはどういうものですか?」
南泉「平常心(びょうじょうしん)が道だ」
州「どのようにそれに向かったらよいのでしょうか?」
泉「向かおうとすると、かえって道から離れてしまう」
州「向かおうと努めないで、どうして平常心が道であると知る事ができましょうか?」
泉「道は知にも属さないし、不知にも属さない。
知はこれ妄覚であり、不知はこれ無記(空虚な観念)である。
本当に不疑の道に達すれば、ちょうど太虚(大宇宙)が廓然(からりと広いこと)として洞豁(深淵であること)であるようなものだ。
どうして是非分別ができようか。」
この言葉を聴いて、趙州は一瞬のうちに悟りに至った。
※
ここで「無記」というのは、無記答ということで、ブッダが形而上学的な質問に対しては沈黙を守って答えなかった、ということを言う。
こんな公案を私が云々するつもりはないのだが、自分のことに関して若干思うところがある。
わたしも20歳くらいの頃までは、いろいろな勉強をして頭で考えて行けば、何か絶対的な原理が見つかって、人生を確立することが出来るのではないかと考えていた時期もあった。これだ、確立できたぞ、と思って喜ぶのだが、次の瞬間には崩れ去っている、といったことの繰返しだった。
瞑想を始めて、その全体が瓦解して行ったのは言うまでもない。瞑想では、良い考えも悪い考えももなく、考える事自体が障害であったと理解されるようになる。
ところがである、このことにあまりに固執し過ぎると、考えるということを忌み嫌って、あたかも自分が自分の頭脳に敵対するかのようになる場合がある。また「知」を否定するあまり、おかしな意味不明の言動に走る人も時々見受けられる。こうなると目の前の川に溺れるのを避けるのあまり、後方の川に転落するような悲喜劇を演ずることになる。
この公案を見て思うのは、そのあたりの消息についてである。
知・不知の葛藤を一足飛びに飛び越えて、太虚に身を投げ出す時、それをどういい得るのだろうか?・・「不識!」
参考までに、原文(漢文)の書き下し文を以下に載せてみる。
無門関第十九則「平常是道」(びょうじょうぜどう)
南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道(どう)。泉云く、平常心是れ道。州云く、環(かえ)って趣向すべきや否や。泉云く、向かわんと擬(ぎ)すれば即ち乖(そむ)く。州云く、擬せずんば争(いか)でか是れ道なるを知らん。泉云く、道は知にも属せず、不知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶(なお)大虚の廓然(かくねん)として洞豁(とうかつ)なるが如し、豈(あ)に強いて是非す可けんや。
州、言下に頓悟(とんご)す。
(ALOL Archives 2012)