現代と瞑想12 真髄

人間の身体の動きに、生命の美を見出そうとする西野皓三氏の探求は、五十歳を超えて、西洋の動きの極致であるバレエから、東洋の動きの真髄である武道へと移って行った。しかも趣味で武道を始めてみようというような程度の事ではない。始める以上、武道を極めるというところまで行こうと決心したというのである。社会で一つの成功を収め、すでにそれを守るような年齢に達していた男の、何と言う決断であろうか。つねに青年の質を持ち続けていた人なのであろう。

若い頃に聞き知っていた、合気道の開祖・植芝盛平翁という不世出の武道家の話を思い出し、まず合気道を始めた。「向こう五年間、稽古は一日も休むまい」として、あらゆる仕事を断っての専念ぶりであった。あまりの熱心さに、道場主の植芝吉祥丸が直接に手ほどきをしたという。語り継がれるような上達ぶりで、毎年昇段し、数年後には紘武館の師範として迎えられている。
まだ二段だった頃、のちの足芯呼吸につながる決定的な体験があったという。長い経験を持つ高段者と立ち会い練習をしていた時のこと、西野氏が技の掛け手になって行おうとすると、ふいに高段者はその逆を取り、非常に危険な技を掛け返してきたというのだ。その危機の中で、瞬間的に足の裏からエネルギーが立ち昇ってくるのが感じられた。その状態で気張らずに息をフッと吐き、意識を手に送った。気が付くと、その高段者は目の前に転がっていた。
その頃、西野バレエ団のスタジオには汗臭い武道家たちが集まるようになり、西野氏と取っ組み合い・殴り合いのケンカのような事を始終行うようになり、関係者たちは眉をひそめたという。

その頃からである、太気拳の澤井健一氏にも師事し始めたのは。澤井氏は、中国拳法の王向斉(おうこうさい)から太成拳を学び伝えた唯一の日本人であり、日本でそれを広めるにあたって、太気拳と称する事を許されたのである。澤井氏は、大山倍達氏と親交があり、その関係で極真の空手家の中にも、太気拳を学ぶものが昔から多かったのである。
しかし西野氏ほどに真髄を極めたと思われる人を私は知らないのである。

澤井氏が西野氏について語った一文がある。以下「西野流呼吸法」から抜粋してみる。

   ※

 西野さんは年齢を感じさせない不思議な弾力のある身体を持っている。これはまさに青年の資質である。私が自ら手を取って一対一で教えるということはまずない。西野さんのひたむきな情熱と真摯な態度、そしてそのすぐれた素質に免じて、特例として個人指導をしてきた。
 私は、戦前の中国で名実ともに最高峰の名人で「国手」とまでいわれて国民から畏敬された王向斉老子から、命を賭して太気拳を会得した。太気拳の稽古はあくまで実践組手で、血みどろの凄まじさである。血気盛んな若者でも、音を上げない者はめずらしい。前歯が折れて飛び、鼻筋がひん曲がってしまう者も少なくない。体力と気力を限界まで鍛え上げるのである。武術の本当の強さは、実際に闘ってみればすぐ分かるのだ。
 太気拳はたゆまぬ努力を長年積み重ねても入口さえつかめないほど、奥深い。西野さんには異例のこととして四年で免許を与えた。天分を認めたためである。さらに、私の心にとまったのは、西野さんがものの真価を見抜く目を持っているということだ。ものが見えるというベースがあってはじめて人はなにごとかをなしえる。
 西野さんはまだ若い。これからが西野さんの真骨頂を発揮するときだ。この太気拳の真髄は、数少ない高弟によって伝えられるだろう。西野さんはまさしくその一人である。私が死んだ後も、その真髄を伝えてくれると確信している。
(引用を終わる)

   ※

武道に限らず瞑想においても、真髄を極めるとはどういうことであろうか?
西野氏のように、またたくまに真髄を極める人もいれば、何年何十年かかっても一向に極められない人もいる。ほとんどの人は後者なのだろう。
逆に言ったら、何故我々(の多く)は真髄に近付くことさえできないのだろう。我々は初めから自分を見限っているのだろうか。才能がない自分のような凡人には、到底そんなことは無理だと。あるいは充分な熱意と、それを継続してゆく意志そして実行が欠如しているためなのだろうか。あるいはまた、余計な枝葉に拘泥している故なのであろうか。人の眼とか評判ばかりを気にしたり、権威にすがって足れりとしたり、自分の足りない点を他のせいにしたり、皆これ枝葉の事象には違いない。
西野氏がどこかで語っていたと記憶する。その人のプライオリティー(最優先にすること)がその人の人生なのだと。何をてさおいてもそれを真っ先に行う事、そしてエネルギーを傾注することのできるものがあるかどうかということなのだろう。
ここで私はかつて紹介した西野氏の言葉を思い出す。「楽しくて楽しくて仕方がない。これが生きているということなのです。」 西野氏の武道修行は、基本的にこのようなことが底流としてあったのではなかろうか。新たな体得、発見が嬉しくて仕方が無いために、やりおおせたのではないかと。こういうところに天才の天才である所以がるのだろう。

関山慧玄禅師(無相大師)の遺誡に次のような言葉がある。
「汝等請う其本(そのもと)を務めよ。」
「誤って葉を摘み枝を尋ぬること莫(な)くんば好し。」

(ALOL Archives 2012)

澤井健一氏と西野皓三氏


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