峨山慈棹和尚伝 9

峨山禅師が麟祥院に住していた頃の日常生活を伝える一文がある。おそらくこれは、晩年にその当時のことを思い出して述懐したものだろう。
それは「峨山曰く」と始まっている。

我、天沢に住すること十年。胡床(こしょう)を天香閣に置き、毎夜其の上に坐す。
 ※天沢; 麟祥院のこと
 ※胡床; 禅牀(ぜんしょう)。坐禅をするための椅子。
 ※天香閣; 禅牀を置いたというのだから、四半瓦敷きの土間になっている建物だったのであろう

三更より四更に至るまで一睡して、便(すなわ)ち起つ。
鐘司(しょうす)木屐(もくげき)を鳴らし楼に上がって鐘を撞く。
那時(なじ)、已(すで)に洗面し了(おわ)って、威儀を著(つ)けて、仏前に詣でて晨誦(しんしょう)す。

 ※三更より四更; 夜12時から2時まで
 ※鐘司; 鐘撞き係りの僧
 ※木屐; 下駄
 ※那時; その時
 ※晨誦; 朝課のこと

毎毎(つねづね)此(かく)の如し。
凡(およ)そ夙(つと)に興(起)きて、精神を抖擻(とそう)し、誦経(じゅきょう)し罷(おわ)って、然る後に、本参の話頭(わとう)を提撕(ていぜい)せんことを要す。

 ※凡そ; 通常
 ※夙に; 朝早くから
 ※精神を抖擻; 心を奮い立たせること
 ※本参の話頭; 今取り掛かっている公案
 ※提撕; 参究すること

切に忌む、空しく光陰を過ごすことを。
而今(じこん)老いたりと雖も、勉焉(べんえん)して怠らず。
何ゆえぞ、黄龍南禅師云わく、老いたりと雖も、寧居(ねいきょ)逸体せずと。

 ※而今; いま
 ※勉焉; 努め励むこと
 ※黄龍南禅師; 黄龍慧南。臨済宗は宋の時代に、黄龍派と楊岐派に分かれる。その黄龍派の祖である
 ※寧居逸体; 楽をしてほしいままにすること

       ※

恐ろしい言葉である。
修行が成ってからも、いささかも手を抜くことなく、生涯にわたって雲水と同様の生活を送っていた事が窺える。
禅を行ずる者の厳しい一面が語られている。
これらの厳しい言葉はいったい誰に向けられたものだったのだろう。これらは御自分自身を戒めるものであると同時に、後を継いで人の師となってゆくべき出家修行者に向かって語られたものだったものだったのだろう。
ちょっとばかり坐禅して大口を叩いている我々(失礼、私です)には到底及ばない世界のように思われる。

(ALOL Archives 2012)

   ※

とは言えである、禅の厳しい側面ばかりを強調するのも問題である。
禅にはお気楽な面もある。道楽・・道は楽しいものでもある。

むかし龍澤寺に置いてもらっていた時、禅堂のリーダーである直日(じきじつ)さんは、山作務の休憩時間に、その辺にゴロリと横になって、私に言われた、
「禅道場などと言うと、どんなに厳しい修行をしているのかと一般の人は怖れているのだろうな。しかしまあ、こんな風にのんびりすることもあるさ」
そう言って笑われたのだった。

昔、バイト先である若者に(もっとも私自身も若者であった頃だが)、坐禅のことを話したことがあった。その時の(ややヤンキーぽい)若者の言葉を私は忘れることが出来ない。彼は言った、
「坐禅?そんなこと、金やるっつってもやらねえっすよ」
なるほど、じっと動かないでいることは彼にとっては、拷問にも等しいものに思えたのであろう。
坐禅や瞑想などと強調するのも考えものである。こんなことは人に勧めるようなものではない。世の中にはいろいろな人々がいるものなのだから。
坐禅をやろうなどと言うのは、余程の偏屈か、変わり者なのに違いない。

我々、峨山禅師の言葉に耳を傾けながらも、それに怖気ついてしまう必要は全くない。我々は誰かの真似をするのではなく、自分自身の道を無理なく、しかし確かに歩みたいものである。



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