現代と瞑想 番外編

OSHO(バグワン)の弟子をサニヤシン(sannyasin)と呼ぶ。サニヤシンとは出家者という意味のインドの古い言葉だが、バグワンはこれを、ネオ・サニヤシス(新出家)として新たに捉え直し、世間から逃避してしまうのではなく、世間に在ってしかも世間を離れているという新しい出家者の道を提唱したのである。サニヤシンになると新しい名前を授けられ、探求の道が始まる。私の道の出発点も、まさにここであった。師は日本の禅に、多大な期待を寄せていたといって良い。私がいま禅の道にあるのも、この師の教えによるところ大である。

このサニヤシンと呼ばれる人々の中には、いわゆる有名人も結構いるのだが、ある友人とやり取りをしている中で、今日ふと一人の人物を思い起こしたのである。その人物をDとしておこう。それを物語ったら、さぞかし驚くべき話になるのではなかろうか。

私が学生の頃のことなのだが、当時OSHOの瞑想センターは、すでに日本にも何箇所か出来ていたと思う。私が東京の瞑想センターに出入りして、瞑想に励んでいた頃である、その人物Dに出会ったのは。私より10歳ほど年上で、中肉中背、頭は天然パーマがかかって、丸い眼鏡をかけており、ジョン・レノンを思わせるような風貌であった。このDもやはり懸命に瞑想に取り組んでいた。

卒業が近かった私は、卒論に「禅の建築」ということをテーマにしていたため、ある時京都に一週間ほど滞在して、いろいろ調べた事があるのだが、その時の滞在先は、京都の瞑想センターに頼んだのであった。1983年の事と記憶する。するとそこには、そのDがやはり滞在というか、住み込んでいたのである。
「ああ、ここにいたのですか」 「やあ、君か」
この滞在中、毎朝のダイナミック瞑想をともに行った。
この時、ある古参のサニヤシンで一癖ありそうなのが滞在していて、Dと一悶着あったのである。その古参は瞑想中、ルールに従わず自由に(勝手に)動いていた。Dが注意したのである。すると古参は怒鳴った。「バカヤロー!瞑想に決まったルールなどあるか!」
その古参がいなくなったとき、何人かで話し合っていたのだが、Dは怒っていた。自分の中の手に負えない怒りを問題にしているようだった。私はふと言った「誰が(ここを強調した)怒っているのだろう?」しばしの沈黙の後、皆で笑ったのである。この当時からすでに生意気な事を言っていた私である。
私が滞在中、京都のセンターは引越しの準備を行う事になり、一日私も手伝うことになった。引っ越し崎の簡単な大工仕事のようなことであり、私はDと組んで何とかやりおおせた。楽しい一日であった。

そのような京都滞在から東京に帰ってきて幾許もない(1~2ヶ月後くらいか)ある日、新聞の一面に目を遣ると、何となしに見たことがあるような顔が載っている。わが目を疑った。何とあのDである。タイトルにこうある、「爆弾犯・加藤三郎逮捕」と。
テロリストで、神社本庁爆破事件をはじめ、7件の連続爆破事件等を引き起こした加藤三郎が、京都で逮捕され東京まで護送されてきた、その東京駅での写真であった。このときの彼は、もはやすでに爆弾犯の面影はなく、取り囲む報道陣に静かに合掌して応えていた。犯罪者の逮捕劇にしては異(い)なる光景である。
5年間の逃亡生活の間に、もしかすると始めは潜伏先として、瞑想センターを利用していたのかも知れない。しかしダイナミック瞑想等のカタルシス、また静かに自己を見つめる瞑想によって、Dはその精神に一大変革を起こしていたのである。
逮捕が近い事も予期していたのか、逮捕時も穏やかに捜査員に応じたのである。
取調べを受けると、事件の事よりも、師OSHO(の教え)に出会えたことを嬉しそうに語るばかりだったという。
Dの起こした事件で負傷者は出たが、死者が出ることはなかったのだが、その事件の重大性から、殺人罪並みの量刑である懲役18年が科され、若い時期の多くを刑務所内で過ごした。2002年12月に釈放され、現在岐阜県内で自給自足の生活を送っている。

Wikipediaに彼のことが出ている。興味のある方はご一読いただきたい。

(ALOL Archives 2012)

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