白隠さんは無字を悟って、三百年来自分ほど痛快に徹した者はいないという自負を抱くに至った
悲しいかな、私の如きは、無字で見性することは出来ず、もう公案を変えましょうと言われた程度であった
後年、円覚寺派の安玄老師に参じた時、このことを話すと、老師はいかにも可笑しそうに笑われた

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