キサーゴータミーのものがたり
仏典の中に次のような説話が伝えられている(ダンマパダ・アッタカター)
ブッダ在世当時、このような話が実際にあったものと考えられている。以下、大事な部分を要約してみる。
キサーゴータミーという女性が、幼い子供を亡くしてしまった。
この女性は、子供が死んだという事が認められず、火葬を拒み、その亡骸を腰に抱え、子供を治す薬を求めて、家々をたずね歩いた。
それを見かねた人が、キサーゴータミーをブッダのもとに連れて来た。
彼女は尋ねる「あなたは私の子供を治す薬を知っていますか」
ブッダ「そうです。知っています」
「それはどのような薬ですか」
「ひとつかみの白カラシの種を得てごらんなさい」
「どこに行けば得られますか」
「かつて誰も死んだことのない家から貰ってくるのです。そうしたら治してあげましょう」
「わかりました」
キサーゴータミーは、死んだ子を腰に抱えて、村の家々をたずねる。
しかし、死んだ人のいない家を見つけることはできなかった。
「ああ、死んだのは、私の子供だけではなかったのだ」
彼女はブッダのもとに戻って来る。
「どうですか、ひとつかみの白カラシの種は得られましたか」
「いいえ、とうとう得ることはできませんでした」
その時ブッダは、あらためてこの世界の道理を説き、次の偈を述べた
「子供(や家畜)に気を奪われて
心が執着している人を
死はさらって行く
眠れる村を大洪水が流すように」
これを聞いた時キサーゴータミーは、ひとつの悟り(の入り口)に達した。
彼女はブッダに出家を願い出る。
後にブッダは、灯明の炎を前にして、彼女にこのように語った、
「ゴータミーよ、かくの如くこれら衆生は灯明の炎の如く生じたり滅びたりするのです。
涅槃に達したものだけは生滅が知られることがありません。
このように涅槃を見ないで百年生きるよりも,涅槃を見て瞬時を生きる方がよりすぐれています。」
これを聞いてキサーゴータミーは、完全な悟りに達した。
※
以上がキサーゴータミーのものがたりのあらましである。
「あなたは私の子供を治す薬を知っていますか」という彼女の質問に対して、ブッダは「知っています」と答える。これは明らかに嘘である(真実だと言って、子供の死を科学的に証明したりはしない)。しかしこういうところが本物の師であるところの所以なのであろう。正気を失って聞く耳を持たないキサーゴータミーには、まともな何を言っても通じないことを、師はよくわかっている。人々の愚かしさ、迷い、悲しみ、苦しみを知り尽くしている。(おそらく自らが過去生においてあらゆる愚行を繰り返してきたのに違いない) それでも何とかならないかと、ブッダはついにアクロバットの奇行に出た。そのことによって、キサーゴータミーは少しずつ少しずつ学んでゆく。ついには、子供ではなく、彼女自身を生き返らせてしまう。ブッダというのは、稀代の詐欺師だ(笑) ただしその詐欺は、人から本物でないものを奪って、真実(の生)を与えると言う詐欺だ。後代、法華経が譬喩を語るようになるのは、ブッダのこのような物語が元になっているのであろう。禅が、「賊」の譬えを用いるのも、この系譜に他ならない。
ブッダの嘘には、真実以上の真実がある。それは愛の真実である。
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