峨山慈棹和尚伝 6

写真は妙喜宗績禅師「荊棘叢談」 能仁晃道編(禅文化研究所)
現代語訳、原漢文、注記付きの書き下し文が併記された労作である。

峨山禅師には著書がなかったが、提唱した時の言葉がわずかに残されている。この「荊棘叢談」(けいきょくそうだん)にそれを見ることができる。妙喜和尚にとって峨山禅師は、師匠の師匠になるわけだから、おそらく師の卓洲禅師より聞き及んだ話なのだろう。妙喜和尚の文才によって格調高い名文になっている。以下少し読んでみたい。

峨山和尚、示衆に曰く。

余(よ)、嘗(かつ)て行脚の時、天涯海角に遍歴すること殆(ほとん)ど二十年なり。其の間、三十余員の善知識に参見す。然れども、他、我が機鋒の鋭さを以って我を奈何(いかん)ともせず。
  ※天涯海角に遍歴; 全国各地を行脚したこと。
  ※善知識; 優れた師のこと。
  ※機鋒の鋭さ; 禅の働きが峻厳で、取り付く島がない事。
  ※他; 他人という意味ではない。ここでは彼(等)はという意味

末後、鵠林老漢に撞著(とうじゃく)し、遂に三度、他に打出せらるるに到って、平生の得力、豪髪(ごうはつ)ばかりも用い得ず。
  ※撞著; 行き着いたということ。

爾来、他に服従すること三、四年なり。是の時に当たって、天下、誰か我を打著するものぞ、実に鵠林老漢一人のみなり。

我、他の道徳尊大なるを尊ばず。他の声名四海に洋溢(よういつ)するを貴ばず。他の見処古今に超過するを貴ばず。他の古人の節用 訛(ごうか)の因縁に於いて、一々明了、一々見徹、毫芒(ごうぼう)を遺(のこ)さざるを貴ばず。他の横説竪説(おうせつじゅせつ)、獅子吼無畏なるを貴ばず。他の三百五百乃至(ないし)七八百の徒衆の囲繞(いにょう)して、一仏出世の如くなるを貴ばず。
  ※見処; 仏法に対する見識。
  ※節用 訛; 「用」は「角」の間違い。複雑で難しい事。
  ※横説竪説自由自在に説法する事。
  ※囲繞; 取り囲むこと。

但(た)だ、天下の老和尚が我を奈何(いかん)ともせざるに、他の却(かえ)って悪手脚を下して、我をして三度棒を喫せしめ、我をして進退維(こ)れ谷(きわ)まらしめ、我をして遂に大事を了畢(りょうひつ)せしむることを貴ぶのみ。
  ※大事; 一大事因縁。大事了畢で、修行を完成させるという事。
  ※進退谷まらしめ; 進むことも退くこともできないところに追い込まれた。

誠に知る、此の事極めて容易ならざるを。

   ※

私が初めてこれを読んだのは、まだ二十代の時だったが、何とも不思議な感動を覚えたものだ。禅の世界というのは、いよいよのところは、かくの如きものなのかと思った。
出る釘は打たれるというこの国にあって、何という求道、そして何という出会いだろうか。
品行方正な三十余員の善知識は、総に此れ役に立たず。峨山の苦悩を救ったものは、悪辣の手段を以ってした白隠和尚の大慈悲のみ、といったところであろうか。
南無大慈大悲地獄大菩薩。

(ALOL Archives 2012)

以下私なりに、現代語訳を試みてみることにする。

   ※

峨山禅師は、ある時このように語った。

私は若い時分に、日本各地を行脚して回ること、二十年にも及んだよ。
その間、三十人以上の優れた師たちに参じたのだ。
しかし気性が激しく荒々しい私のような者を、誰もまともに相手にはしてくれなんだ。

最後に、鵠林老漢のところに辿り着いて、三度挑みかかって、三度とも叩き出されたよ。
いつも使えていたはずの実力は、少しも発揮することができなかった。
それ以来、老漢について学ぶこと三、四年であった。
ここにおいて、天下広しといえども、この私を打ち据えようなどという豪のものは、実に、鵠林老漢以外にはいなかったよ。

私は、白隠老師の道の徳が尊いのを貴びはしない。
師の名声が普く轟いているのを貴びはしない。
師の見識が、古今にわたってずば抜けているのを貴びはしない。
師が、古人の複雑で難しいどんな問題(公案)でも、ことごとく明瞭で、徹見し、何一つやり残したものがないことを貴びはしない。
師の自由自在の言説が、畏れのない、獅子の咆哮のようであることを貴びはしない。
三百人、五百人、あるいは七、八百人の学徒たちが常に取り囲んで、仏陀が現れた如くであることを貴びはしない。

ただ私が貴ぶのは、このようなことだ---
天下の立派な和尚たちが、私をどうともすることも出来なかったのに、白隠老師一人のみ、あえて悪辣な手段を用いて、三度も私を叩きのめし、進むことも退くことも出来ない所に追い詰め、どのようにしてか、私をして、遂に仏法の極意を得さしめたのだ。
まことに知るべきである、この事は極めて容易ではないのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?