舟を岸につなぎなさい 1

「舟を岸につなぎなさい」と題された小冊子がある。
太母さんこと菊池霊鷲(きくちりょうじゅ)さんが、全世界の人々へのメッセージとして、1956年3月3日に早稲田大学の大隈講堂で発表したものである。1950年代といえば、環境問題がまだ人々の意識にのぼる以前の時代であるが、太母さんは早くもここに着眼して警鐘を鳴らしている。そしてこれは人間の根本無明(世界に対する錯覚)がもたらしたものだと説いている。 
第一章から第四章まであるが、今回その第一章目を以下に紹介する。 

第一章 舟を岸につなぎなさい

幾十億の蟻が、笹舟に乗って、近づく滝壷も知らずに流れて行く光景を想像してみて下さい。
蟻達は自分等が笹舟に乗っていることさえ知らないようです。知らないから、協力し合うべきお互いが逆に憎み合い、おとし入れ合い、欲張り合って術策と斗争に夢中です。
舟が滝に達して転落すれば、敵も味方も全滅なのに。
これが人類の現代の有様を端的に絵図面にしたものです。

今、あなた方は戦争を恐れたり、核物使用を憂慮したりしています。実際これらは恐ろしい問題であります。しかしこれよりも、もっと恐ろしい問題を我々が持っていることにお気づきですか。
この問題に気づいたら『戦争問題などで大騒ぎしていられるような悠長な時代はもう疾つくに人類の上から過ぎ去っている』ことに、あなた方は驚ろき目ざめるでしょう。
それ程恐ろしくそれ程重大な問題に全人類は今、当面しています。
この問題を見落としている限り、仮りに今、戦争をやめ、核の問題が解決したとしても、人類の運命は好転したということにはなりません。

何故なら、それ等の問題は『蟻達相互間のみの・・・つまり、舟の上だけでの問題であって、蟻達全部を乗せている笹舟そのものは舟の上が戦争であれ、平和であれ、お構いなしに滝壷に向かって流れ続けている』という大問題とは無関係だからです。

実際にはあり得ないことだけれど、もし世界中が無戦状態になったとしても、人類全体としては、日々確実に滅亡に向つているのです。今日の医学の進歩で、個人の寿命は延びたと思っている人があります。しかし、個人の寿命と、全人類を一括にした寿命は別個のものであります。

ともあれ、全人類の転落という大問題に気付いて、この対策に着手しないかぎり、世界が何を協定し、何を実行しようと『転落の運命はそのまゝたゆみなく進んでいる』というわけであります。

大切なことは、舟を岸につなぎとめ、上陸可能ならしめて、悲劇的運命から、まず絶縁することであります。
此処でいうところの
 笹舟とは何か
 流れとは何か
 滝とは何か
 岸とは何か
お聞きなさい、これこそ人生の出発に於いて確かりと心魂に銘記しておくべき肝要の問題でした。

さてお聞きなさい。
山河草木、禽獣蟲魚、大地大海空気大空、日月星辰等、当然人間も含んで一切万物は、もともと綜合的一連の大生命体であります。これは三千年も前から解っていました。それなのに一般には今日まで、これを明確に意識されることなく来ました。
綜合的一連体であるから一切万物は、一物も洩れなく他から他へと密接な相関々係にあって、どれが尊く、どれが卑しく、どれが必要、不必要というべきものではありません。なのに人類はいつの間にやら、人類は独り尊く万物から超脱しているか、或は万物と対立しているかの如く錯覚しています。それで自然征服など突拍子もないことを平気で言つたりしています。

この錯覚こそ人類罪悪のそもそもの根源、つまり、むさぼり、怒り、ぐち、を生む母胎の根本無明であります。
この錯覚の上にでーんと乗っているのが、国を問わず、人種を問わず、人類全体であります。
その錯覚の笹舟に乗って行動して来た人類は、何をしていようと一切錯覚の連続帯であって、その連続帯が何千年来に巨大な流れと化して、今日では人類を逆に其の流れの上に翻弄するに至りました。

滝というのは、錯覚の連続帯である所の「流れ」は当然、行きづまりの断層に至ることをいったのです。
岸、一連の生命体であるところの万物間には、おのずからなる相関々係と、その関係を調整するための、自からなる大秩序があるわけであります。永遠不変の大秩序が。この永遠不変の大秩序のことを、岸といったのです。
この大秩序を的確に識別し、これに順つて生活することを以つて、舟を岸につなぐというのです。

この永遠不変の大秩序から逸脱することなく人生を運営して行く、という最大にして最要の第一義を、少数の例外は別として、世界中の政治は今日迄、取り上げていなかったのです。
この第一義に起点をおいて、人生の進行方向を大回転しない限り、今後も引続き、どんな努力が払われようと、徒に転落の滝壷に急ぐばかりであります。
ともあれ一切の問題は、笹舟を岸につなぐという一事に傾注されるべきであります。

いいなと思ったら応援しよう!