猫の一声
三里塚記念公園には、巨大なマロニエ(西洋トチノキ)が幾本も聳え立っている。
この公園は中規模ながら、天皇家とかかわりの深い、歴史的な場所として知られている。ここはかつて、宮内庁が管轄する広大な下総御料牧場があった場所で、昭和44年、新東京国際空港(成田空港)の建設のため、御料牧場は栃木県高根沢町に移転した。
同時に国は、隣接する農家の土地をも接収して、強引に建設を進めたために、現在でも、三里塚闘争は終わりを見せてはいない(今なお立ち退きを拒否した農家が空港反対運動を続けている)。
ちなみになのだが、成田空港は、鹿島神宮と香取神宮を直線で結んだ延長線の上に位置している。この公園もまた、ほぼそのライン上にある。いろいろな意味で強力な磁場を持っている土地のようなのだ。
私は仕事の行き帰り、この近くを通る時はよく、この公園のトイレに立ち寄る。
あれは夏の終わりころだったと思うが、その日の朝も、この公園に立ち寄った。車通りの少ない裏道の脇に車を停めて、いつものように裏口から公園に入る。マロニエを見上げながら戻ってくると、私のトラックのバンパーのあたりに、白が少し混じったような黒い猫が、佇んでいた。初めて見る猫であった。近づきながら、右手を差し出して「おいでおいで」の仕草をすると、少しも恐れずに平然としている。人懐こい猫である。大抵の猫は、ピクッと警戒して、いつでも逃げられる体制を取るものだ。
そのまま近づいて、背中をパフパフとやわらかく触った。
私が立ち上がると、猫は「ニャー」と、ひと鳴きした。その声はとても澄んでいて、美しく響いた。
ひと鳴きだけだったが、それは何かを、言葉ではない何かを伝えていた。
・・・それは親愛の情であった。何を求めているのでもない、純粋な親しみが、そのひと鳴きに込められているのが感じられた。こころ洗われるような響きであった。
哺乳類とはこのようなものなのだな、と思った。哺乳類に限らず、生き物はそういうものなのだが、猫や犬のような動物は特に、長い間、人間の友達として一緒に暮らしてきた歴史がある。それは今やDNAの中に蔵されているかのようだ。彼らは、生まれ落ちた瞬間から人間の友達なのだ。
この猫は、親猫から愛を受けて育ったのだ。その親猫も、そのまた親猫から・・・。無量無数の愛の連鎖、そして人間たちからも、とても可愛がられてきた。
猫のひと鳴きの中に、そのような全てが、親愛の情とともに、表出されているように思われたのだ。
マロニエは、朝の光の中、どっしりと不動にして、そのすべてを見守っているようであった。