学びの場としての舞台芸術——二つのワークショップ
この夏、若い世代を対象とした二つのワークショッププログラムが実施された。「Meet the Artists」 山本高之「イクトゥス」と 「アート・キャンプ for under 22 Vol. 7 ヒューマン・ビギン:アシタナニスル?」。「アナザーエナジー展:挑戦しつづける力―世界の女性アーティスト16人」の関連プログラムとして実施されたこの二つのワークショップは、それぞれ6歳から10歳と16歳から22歳の参加者たちが、様々な分野のプロフェッショナルな大人たちとの関わりを通してチーム全員で一つの作品を作り上げていくものだ。
森美術館アソシエイト・ラーニング・キュレーターの白木栄世氏は、これらのプログラムはコロナ禍によって「学び」の現場で制限がでてしまっている若い世代に「アーティストがイメージする世界を参加者と共有し、言葉では言い表せないさまざまな思いをその他の多様な方法で表現すること、また、その思考過程を他者と協働することで「自分らしさ」を再発見し、それを大事にすること」を届けるためのものだったと語る。
新型コロナウイルス感染症の拡大により他人との接触に制限が課せられる今だからこそ、見知らぬ大人や他の参加者とともに共同作業をするワークショップという場は、より得がたいものと言えるだろう。precogと森美術館、そして森ビル株式会社(「ヒューマン・ビギン」共催)の協働によって実現したプログラムはどのようなものだったのか。precogの担当者のコメントとともにその概要を紹介する。
「Meet the Artists」 山本高之「イクトゥス」
子どもの会話や遊びに潜在する創造的な感性を通じて、普段は意識することのない制度や慣習の特殊性や個人と社会の関係性を描き出してきたアーティスト・山本高之氏。今回のプログラムで山本氏は「魚の性」をテーマに、子供たちとともにミュージカルをつくるワークショップを実施。歌詞や衣装、大道具などを子供たちが自ら制作、その成果をミュージカルとして発表した。
「魚の性」がテーマとはどういうことだろうか? 実は魚のなかには成長する過程で、あるいは環境にあわせて性別が変化するものがいる。群のなかでの体の大きさで性別が決まったり、1日に20回も性転換をしたり。これはあくまで一例だが、性に関する魚の生態は思いがけず多種多様なのである。もちろん魚は魚、人間は人間であり、魚の性について知ることがそのまま人間の性について知ることとつながっているわけではない。それに、今回のワークショップの対象年齢は6歳から10歳。性に関する意識はまだまだ未分化な状態にある子供たちだ。今回のワークショップはあくまで、自分の知らない世界があるのだということを知り、子供たちがそれについて自ら考えるためのきっかけとしてある。
全8回のワークショップの初回はオンラインで実施。顔合わせからスタートし、魚の研究者である神田真司氏(東京大学大気海洋研究所 海洋生命科学部門 准教授)と飯田敦夫氏(名古屋大学大学院生命農学研究科 助教)による「魚の性」についてレクチャーへと進んでいった。タツノオトシゴの出産映像などを交えつつのお話と魚の不思議さに子供たちは興味津々。子供たちはそれぞれ、ここで興味を持った魚についての歌詞を書いたり衣装を作ったりしていくことになる。
2回目のワークショップは3組のグループに分かれての歌づくり。あっこゴリラ氏、額田大志氏、テニスコーツのさや氏と植野隆司氏という3組の全く異なるタイプのミュージシャンたちが子供たちのことばをもとに作曲した曲をそれぞれ持ち寄り、ワークショップを通して子供たちとともに歌を作り上げた。お面や衣装、大道具や小道具を作る回では芸大生やボランティアスタッフなどもワークショップに参加。子供たちは普段の生活のなかでは接する機会のないであろう様々な大人の助けを借りながら本番に向けて準備を進めていった。
今回のプログラムはコロナ禍での、しかも10代以下の参加者を対象としたワークショップということで感染症対策にも一層の気を遣いながらの実施となった。ワークショップはグループごとに部屋を分け少人数で実施。空気の入れ替えや消毒の徹底はもちろん、子供たちの行動や相互の距離に常に注意を払えるようスタッフを配置してワークショップに臨んだ。precogで制作デスクを担当した佐藤瞳は「感染症対策は子供たちの安全と親御さんの安心のためのものですが、同時に子供たちの自由のためのものでもあります。そうやって子供たちがのびのびと創作に取り組める環境を実現することが今回の主催者の仕事でした。」と振り返る。
「アート・キャンプ for under 22 Vol. 7 ヒューマン・ビギン:アシタナニスル?」
「ヒューマン・ビギン:アシタナニスル?」は世界的に活躍するダンサー・振付家の辻󠄀󠄀本知彦氏と菅原小春氏とともに、ダンスを通して自分らしく生きることを探究するワークショップ。多数の応募のなかから選ばれた参加者9人は5日間の合宿を含む10日間のワークショップのなかで仲間たちと対話を重ねながら一つのパフォーマンスを作り上げる。16歳から22歳の参加者たちのバックグラウンドはコンテンポラリーダンス、ヒップホップ、日本舞踊などなどとそれぞれに異なっており、なかにはダンス未経験の参加者もいた。今回のワークショップは「自分らしく生きること」を探究するものであり、ダンスはあくまでそのためのツールという位置づけなのだ。
初回のキックオフではしかし、辻󠄀󠄀本氏の提案で一人一人がさっそく今できる自分の表現を発表してみせることに。そこで出てきたものが思った以上にそれぞれに表現として成立していたということもあり、ソロの応酬のイメージでパフォーマンスを作っていくことが決まった。
ワークショップの2回目はなんとクライミングのための施設での開催。ダンスとは違った身体の動かし方を体験した後、プロ・フリークライマーの平山ユージ氏の話を伺った。様々なプロフェッショナルたちの体験は、参加者が自らの「自分らしさ」を探るための指標にもなるだろう。ときに参加者たちのよき相談相手としてワークショップに伴走したアーティストの清水文太氏や記録映像の撮影者として参加者たちを追い続けた渡邉寿岳氏。「イクトゥス」と同じように「ヒューマン・ビギン」にも多くのプロフェッショナルが関わっている。
ワークショップの3回目は早くも5日間のダンスキャンプ。参加者たちはこの5日間でパフォーマンスを作り上げなければならない。辻󠄀󠄀本氏と菅原氏はコメントこそ発するものの、プロセスの大部分は参加者に委ねられている。表現分野もジェンダーも考え方も異なる9人が一つの作品をつくることは難しい。precogでプロダクション・マネージャーを担当した田澤瑞季は「踊っている時間よりも考えたり話し合ったりする時間の方が長かったと思います」と振り返る。「参加者たちが話し合って、それをもとに辻󠄀󠄀本さんや菅原さんをはじめとしたプロフェッショナルの人たちに要望を出す。パフォーマンスの発表のための準備はそうやって進んでいきました。たとえばパフォーマンスの場所もそうです。今回のワークショップでは森ビル株式会社にご協力いただいていたので、六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズ、アークヒルズなどの様々な場所を舞台として使うことができました。どの場所でどんなパフォーマンスがしたいのか。参加者からの希望を受けて、担当者が実現のための調整をします。自分たちの考えにプロフェッショナルな大人が本気で応え、事態が動いていくことを目撃すること自体、参加者の刺激になったんじゃないかと思います」。
「アシタナニスル?」の副題の通り、どのように進めていくのかということそれ自体を発見していくようなプロセスのなかで、参加者は徐々にそれぞれの役割を見出し、あるいは互いの「自分らしさ」を知っていく。見知らぬ他人と作品を作ることはもちろん困難なのだが、一方で、関係がまだ定まっていないということは「自分らしさ」を探究するためにはプラスにも働く。たとえば学校の友達とは話しづらいこともワークショップの参加者同士ならば話せるということもあるだろう。親しい関係ではないからこそ、普段の自分の生活からは離れたところで、改めて「自分らしさ」を問うことも可能となるのだ。
学びの場としての舞台芸術
森美術館の白木氏はこの企画を「何もないゼロの状態から、参加者と対話し課題設定を行い、誰も取り残されずプロジェクトにかかわる全員が能動的に活動できる制作過程は、ひとつの舞台をかたちにしていく過程に立ち会うような体験だった」と振り返る。今回のプログラムは長年にわたって様々なワークショップを学びの場として提供し続けている森美術館と、舞台芸術を中心としたラーニングプログラムを実施してきたprecogとの協働によって実現したものだ。precogは今後も若い世代を対象に、単に知識を得るのではなく、対話や体験を通して思考し学ぶための領域横断的な学びの場をつくり提供していく。学びの場としての舞台芸術にはまだまだ可能性があるはずだ。
(構成・文:山崎健太)
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