「チェルフィッチュといっしょに半透明になってみよう」レポート後編
前回のnoteでは、開催に至るまでの話を書きました。今回は開催当日の様子や成果について考えてみたいと思います。
「研究の成果がでない!だから協力してほしい!」
当日のワークショップは、午前の部・午後の部と分かれ、午前は3歳〜9歳、午後は6歳〜10歳の子どもたちが参加しました。ワークショップは以下のように進んでいきます。
子どもたちが保護者の方と一緒に集まり、緊張している子もいれば、走り回っている子もいるなかで、リーダー役の原田拓哉さん、矢澤誠さんのイントロダクションが真剣な面持ちでスタート。
「演劇のなかで半分透明になる必要があって、半分透明になる方法をここでずっと研究しているのだが、一向に答えが出ない。だから力を貸して欲しい」
子どもたちのあたまに「?」が浮かびつつ、どんどん進めます。
ここでまず、ぼくが面白いなとおもったのは、「〜〜をやってみよう!」ではなく「協力してほしい」と嘆願から入っているところです。子ども向けのワークショップって、大人が子どものためを思ってやることがおおいので、「やってみよう〜」とゆるやかに強制している場合があります。そこを、お願いから入り、合意を取ろうとします。
▲頭に「?」が浮かぶ子どもたちに協力を求める俳優たち
イントロダクション 「半分透明」とはどういうことか?
「まずやってみるから、半分透明になれているかどうか、見てみて。」
矢澤さんが実演をして、原田さんが問いかけていきます。
まず、矢澤さんが正面に立って真顔になります。
原田さんが子どもたちに問いかけます。
「これどお?」
「半分透明になってる?」
真顔だから、透明になっているという意味でしょうか。子どもたちは「何どういうこと?」と疑問を持っている子もいれば、まだ緊張している子もいるし、この大人たちが何を言わんとしているのか真剣に考えている子もいれば、全然話に興味を持たない子もいます。
次に、矢澤さんが真横を向いてみます。
原田さんがまたも問いかけます。
「これは、さっきとくらべてどう見える?」
真顔で存在を主張せず、なおかつ正面を見ない。子どもたちからは「見えてる!」「透明じゃない!」といった声が上がるようになってきました。
「じゃあこれは?」といって、矢澤さんはカーテンに半分隠れて見せました。
子どもたちからは「さっきよりは見えない」「でもまだ見えてる〜!」といった声が上がります。
「やっぱりモノさんを使わないとできないみたいだ。モノさんを使ってみるから、見てみて」
と言って、今度は原田さんが実演します。筒状のモノさんに、片足だけ突っ込んでみたり、絨毯にくるまってみたりして、実演していくと、子どもたちが次第に俳優陣に近寄っていきます。
▲茶色い筒状のモノに片足を入れるなどをして、「半透明になる」を試みる俳優たち
▲椅子に並んで一体化しようとするも「半透明じゃない!」と言われる、俳優・矢澤さん。
子どもたちを巻き込んだワークのスタート
このイントロダクションで、午後の部に参加した10歳の子からはこんな言葉が出てきました。
「半分見えないっていうことと、半分透明になるってことは違うんじゃない?」
「透けて見えるってことと、隠れるってことは違うんじゃないの?」
この言葉は、「半透明とは何か?」についての定義をめぐる問いかけになっていました。
「じゃあ、ちょっと君もやってみる?」と、問いかけ、子どもたちを巻き込みながら、一気にワークがスタートしていきます。
子どもと俳優たちが二つのグループに分かれ、活動が始まっていきます。
俳優たちになされるがままに物にまみれる子もいれば、透明人間になりきるかのごとく無表情を決め込む子もいました。
「見える」「見えない」をさぐる子もいれば、なんとなく体を動かす子もいるし、我関せず遊びまわる子もいました。テニスボールまみれになって、すっかりそれが気に入ってしまい、ワークショップが終わるまでずっとテニスボールに埋もれている子もいました。
▲板の隙間から顔をだしたら「半透明になる」のか、試行錯誤する岡田利規と参加者の子どもたち
▲走り回っていたと思えば、俳優を「半透明」にプロデュースし始める子どもたち
▲テニスボールと一体化し「半透明になる」を試みている。
▲無表情をつくることで存在感を「半透明」化させている。
「タイムスリップについて研究してほしい」
これまで、俳優を中心に進められてきましたが、途中で演出の岡田利規さんが「博士」として登場します。そこで、こんな問いかけが子どもたちにされました。
「タイムスリップって、ちょっと難しいかもしれないけど、例えば、今は今日かもしれないけど、今日から昨日に行く。それか、今日から明日に行く。夜になって寝たら明日になるけどそうじゃなくて、今、明日に行く。」
「今日にいなくなって、今日から明日に行ったり、今日にいなくて昨日にいたりしたら、その分、半分ぐらい透明になれるだろう。」
「今みたいに、モノさんたちを使って、明日に行ったり今日に行ったりしてみたらいいんじゃないか、という雰囲気が、わかっています」
「なので、次は、それを手伝ってください」
「それでは、研究開始!」
このときから、タイムスリップの研究が始まりました。タイムマシンについて知っている知識から、モノさんたちをタイムマシンの形に組み立ててみるグループもあれば、ライトや鏡を使って自分が移動している様を再現しているグループもありました。
こうして、探究活動を時間まで目一杯行い、最後は今日の活動の様子を写真のスライドショーで振り返りました。
岡田さんからは、まとめの一言として「研究は完成しました!」という言葉を聞くことができました。
▲丸いものを並べてタイムスリップを試みるも納得がいっていない様子…「違う」と思うラインがあるらしい。
大人と子どもは学び合うことができたのか?
この活動を振り返り、子どもたちにとって、大人たちにとって、何が学びになったのか?を考えてみたいと思います。
そもそも、「学び」とは何でしょうか。
ここでは、ある「知識」を持っている人から持っていない人に伝えることとは考えません。その代わりに、知識が共有されているコミュニティの中に参加し、実践を通して知識づくりをすることであると考えてみます。つまり、知識伝達型の学びではなく、参加型あるいは集団による知識創造型の学びを考えてみます。
例えば、セリフの言い方や効果的な身振りの伝え方を、俳優から子どもに教えるのが知識伝達型の学びです。先生が生徒に教え、生徒を評価する「学校の授業」のようなイメージです。
一方で、遊びのような活動を通じて、俳優たちの活動に子どもが参加しともに作品を作り上げていくのが知識創造型の学びです。師匠たちの仕事を手伝いながら弟子が学ぶ「工房」のようなイメージです。
今回は、知識創造型の学びの実践であったと言えると思います。
しかし、興味深いのは、子どもたちが「チェルフィッチュ」の演劇活動に参加したのか、「チェルフィッチュ」が子どもたちの遊びの活動に参加したのかがわからない、ということです。
子どもたちが「チェルフィッチュ」の稽古に参加して「半透明」という新しい知識づくりに参加したのか、逆に、俳優たちが「子どもたち」の遊びに参加して「半透明」という知識を発見していったのか。どちらが師匠でどちらが弟子なのか、絶えず反転しながら「遊び/演劇」の知識創造が行われる現場になっていたと感じます。
ワークショップ後に岡田さんにお話を伺ってみると、「子どもが稽古に参加することは、ドーピングにも似ている。こんなことをやってズルくないか?という気持ちになる」とお話しされていました。
どのような意味で「ずるい」という言葉が使われたのか、僕はいまだにちょっとピンと来ないのですが、稽古の中では見えてこなかった発想の飛躍があったのでしょうか。
大人の活動を刺激する子どもたちの遊びの力。あるいは子どもの活動を触発する演劇の稽古場がもつ力。この二つの力が混じり合うところに、新しい学びの形をみた気がしました。
▲見事な「半透明」化を見せる子どもたち
▲子どもたちの「半透明」化を見て真似をする俳優たち
山吹ファクトリー コネリング・スタディ
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