CIAとルムンバ暗殺/African Stream
2024.01.17
【CIAとルムンバ暗殺】
#コンゴ民主共和国 の初代首相であり、同国独立の英雄であった #パトリス・ルムンバ の #暗殺 計画が、アメリカによって企てられたのは、今から63年前の今日、1961年1月17日のことであった。
この陰惨な殺人は、アメリカ、イギリス、ベルギー政府による複数の暗殺計画の集大成であり、彼らはコンゴ人に雇われた共犯者とベルギーの実行部隊を使って実行に移した。
機密解除された #CIA の文書により、アメリカ政府は独立前からルムンバの暗殺を望んでいたことが明らかになり、CIA長官はルムンバを「カストロより悪い」と呼んでいた。
率直な物言いの汎アフリカ主義者であったルムンバは、自分の利益はコンゴ国民のものであると主張し、自らをナショナリストであると語った。
彼は、コンゴの人々の生活を向上させるために、完全な独立と天然資源の完全な支配を望んでいた。
アメリカのドワイト・アイゼンハワー大統領は、イギリスの外務大臣であったホーム卿とコンゴの危機について議論していたとき、「ルムンバがワニだらけの川に落ちればいいのに」と言った。
グルジア人の殺し屋と毒薬の専門家を使い、ルムンバの歯磨き粉にスパイスを入れようとしたが失敗。
その後、CIAはルムンバを「共産主義者」に仕立て上げるため、独立後のコンゴの政治状況を通じて裏で糸を引いた。
1960年代の冷戦の最中、コンゴは地政学的に戦略的な国であった。
コンゴは、アメリカの冷戦における共産主義との戦いにおけるもうひとつのチェスの駒であり、CIAは、冷戦という観点から見ればルムンバが中立を保つことを決意していたとしても、西側の忠誠心を確保することに固執していた。
ルムンバと2人の仲間は銃殺刑に処された。彼らの遺体は切り刻まれ、硫酸で溶かされた。
ここでは、20世紀で最も重要な暗殺事件のひとつである、この暗殺をめぐる冷ややかな詳細を思い起こそう。
(了)
【参考資料】
引用元