フェミニズム:その炎上のコア

フェミニズム炎上の根本原因とは、孤立した人間のうっ憤である。

私も含めて、自分を性愛の市場に置けない男女が、他者の性愛に関して、揚げ足をとり、あげつらっているというのが実情だと思う。

私は、現在彼女もいない独身であり、仕事の終わりにpixivでエロ絵を探すのが大好きなしょうもないおじさんだが、おそらく、令和と晩婚化によって、私のようなおじさんや、おばさんは、増えたのだろうと思っている。

よくよく考えてみてほしい。例えば誰かフェミニストに喧嘩を吹っ掛けた時、誰か他のフェミニストが応援に来ただろうか。少なくとも、この5年、そんな助け合いの状況など、私は見たことがない。

フェミニストと徒党を組んでいる看板をかぶってはいるものの、実際、彼女ら一人一人は孤立無援なのである。

Twitterや、SNSの普及によって、世界は確実に以前より、多くのコミュニケーションを生み出した。24時間知っているフォロワーやアルファスピーカーの適格な、あるいは過激な投稿がTLをにぎわせている。

それでは、なぜ、我々はその輪に入れなかったのだろうか。

かつてスティーブ・ジョブズはインターネット時代の「人気者」を3種類に分類した。

・絵が描ける人間

・音楽が作れる人間

・プログラムが書ける人間

である。おそらく最近はこれに「動画を作る人間」が入ると思う。

そう。残念ながら、このどれも、我々にはできなかったのだ。


かつては我々のようなしょうもないおじさんは、しょうもないなりに、それなりな女性と肩を寄せあって暮らすことが出来た(らしい)

だが、大学進学や、24時間流れ続ける情報と知識によって頭でっかちになり、肥大したプライドを持つ我々は、もはや、他者と心を丸くし、理解や共感を得るようなコミュニケーションを図ることが難しくなってしまったのである。

漫画の些細なセリフに「私は共感できない」と怒り、神経をやられてしまうのがその証拠だろう

今、一度、大量の情報を捨てることが必要ではないか。

本来、我々は、しょうもないなりに、良質なコミュニケーションを図ることがかつて出来たのである。

絵を描くと心が癒される。他者との比較ではなく、そう思うのだ。

何か、自分を助ける活動を、他者の比較とではなく、する必要がある。

孤独で弱い我々には、幻でも救いが必要なのだ



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?