現代わいせつ概説 ~卑猥なものを取り締まる判断の基準~
大雑把に「性的モノ化」理論、致命的な欠陥があるし、コンピューターが普及した現代では適用できない、と述べた。
それでは我々は、エロい表現は規制できないのか、とすると、それは若干違い「わいせつ」という確かな基準が昔から存在しているのだ
「わいせつ図書」の誕生 ~チャタレー体制と法概念「羞恥心」の確立~
恐らく多くの人は高校の公民当たりで習ったことがあるだろう「わいせつ」と表現の自由に関係するチャタレー事件という裁判が行われたことがある。
イギリスの作家D・H・ローレンスの作品『チャタレイ夫人の恋人』を日本語に訳した作家伊藤整と、版元の小山書店社長小山久二郎に対してのわいせつ物頒布罪が問われた事件である。(中途中途しか読んでなかったが、確かに不倫しまくりセックスしまくりだった話だった記憶はある)
その中で最高裁判所は「わいせつ物」の3要件を定め、これを「取り締まるべきエロ」とした。
わいせつの三要素
1.徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
2.通常人の正常な性的羞恥心を害し
3.善良な性的道義観念に反するものをいう
まず、1.は簡単である要はエロくて、性欲を刺激されるものである。
2.もそこまで難しくない。例えば、pixivには処刑フェチみたいなエロ絵も存在するのだが、恐らく一般的な性癖と言えないだろう。普通の人が「思わず恥ずかしいと思ってしまう」くらいの性癖を表現した絵で大丈夫であろう。
前のノートで解説した「性的モノ化の7要件」よりはだいぶすっきりしている。確かに、やはり曖昧ではあるが、関係性や背景の読解なしに、図書や表現に適用できそうである。
3.の「善良な性的道義観念に反するもの」は少し難しい
そして、この際に最高裁では何故、徒らに性欲を興奮せしめるものを社会的に取り締まるべきなのかも、述べているので、あわせて貼っておく。
非常に長くなるが、この際に最高裁が「性道徳は羞恥心によって形作られる人間の本能である」としている。
チャタレー体制下のわいせつ概念とその陳腐化―ろくでなし子事件を素材として―
から引用
チャタレー事件大法廷判決より、最高裁の正当性説明
”およそ人間が人種、風土、歴史、文明の程度の差にかかわらず羞恥感情を有することは、人間を動物と区別するところの本質的特徴の一つで。羞恥は同情および畏敬とともに人間の具備する最も本源的な感情である。人間は自分と同等なものに対し同情の感情を、人間より崇高なものに対し畏敬の感情をもつごとく、自分の中にある低級なものに対し羞恥の感情をもつ。これらの感情は普遍的な道徳の基礎を形成するものである。 羞恥感情の存在は性欲について顕著である。性欲はそれ自体として悪ではなく、種族の保存すなわち家族および人類社会の存続発展のために人間が備えている本能である。しかしそれは人間が他の動物と共通にもつているところの、人間の自然的面である。従つて人間の中に存する精神的面即ち人間の品位がこれに対し反撥を感ずる。これすなわち羞恥感情である。この感情は動物には認められない。これは精神的に未発達かあるいは病的な個々の人間または特定の社会において欠けていたり稀薄であつたりする場合があるが、しかし人類一般として見れば疑いなく存在する。例えば未開社会においてすらも性器を全く露出しているような風習はきわめて稀れであり、また公然と性行為を実行したりするようなことはないのである。要するに人間に関する限り、性行為の非公然性は、人間性に由来するところの羞恥感情の当然の発露である。かような羞恥感情は尊重されなければならず、従つてこれを偽善として排斥することは人間性に反する。なお羞恥感情の存在が理性と相俟つて制御の困難な人間の性生活を放恣に陥らないように制限し、どのような未開社会においても存在するところの、性に関する道徳と秩序の維持に貢献しているのである”
極めてかみ砕いて言えば「エッチなものを見ると恥ずかしい」という感情は人間に存在するから取り締まるべきである、という判決である。最高裁はこれを「羞恥心」としている。そして羞恥心は、人間の根源的かつ、人間のみが持つ品位に由来する感情であり、人間の性道徳は社会にいる個々人の羞恥心によって作られる、としている。
ほぼ蛇足だが、確かに、霊長類の中で性行為を隠す動物は人間だけであり、(他の猿やゴリラ等は、群れの中でペアリングをアピールするために、性行為を群れの中で見せる)動物学的にも一応正しいのである。
余談になるが、フェミニストの人達が「女性蔑視的だ」と感じる感情はおそらく、この「羞恥心」である。表現規制の話で、TPOがどうとか、そういうになるのも、正確に言うならば、「羞恥心」が、「性行為の非公然性」が破られることで発生するからである。
おそらく、彼女たちはヘンテコな理論を叩きこまれたせいでコレを説明できてないのである。(そもそもこれは保守の理論なので、多分党派性で嫌なんだろう)
こうして、性行為の非公然性を軸に、日本と世界のエロい表現に対する体制は決められた。上述の法体制を、論文の著者は「チャタレー体制」と呼んでいる。
話題がそれたが、社会の羞恥心を尊重することで、初めてわいせつ表現は成立すると述べた。だが、その尊重の仕方には差異が存在する。その二つの学説、絶対的わいせつ概念と、相対的わいせつ概念についてみていこう。
絶対的わいせつ ~アソコが見えてればアウト~
絶対的わいせつは、とどのつまり「性器」が見えてればアウトという概念で、現代、日本で60年以上堅持されているわいせつ基準である。
日本のAVがモザイク入りで発売されるのも、これが原因である。
だが、これは最近では陳腐化しているという議論が多い。
AVの話で言えば、このインターネット時代、モザイクなしのエロ動画なんて、海外サイトに行けば幾らでも手に入る。
さらに、近年、この絶対的わいせつとチャタレー体制に真っ向から喧嘩を売る人間が現れた。ろくでなし子とまんこアートである。
ろくでなし子は、自身の女性器を3Dプリントにし、装飾をしたりして、オブジェにした。
そのオブジェはどう見てもエロいものに見えず、性器の可視性のみで、一義的にわいせつを決定するチャタレー体制に真っ向から喧嘩を売るものであった。
そこで、アンチテーゼとして、存在しているのが「相対的わいせつ」である。
相対的わいせつ ~著者の制作目的を考慮すべきである~
相対的わいせつとは、絶対的わいせつと違い、「図書の制作目的と、頒布携帯を考慮すべき」という議論であり、現代ドイツ司法ではわいせつ判断の通説とされている議論である。(余談だが、ドイツはゲームや漫画の規制がヨーロッパ一厳しいことで有名)
相対的わいせつ概念の原義は、「ある文書が猥褻物といえるか否かを判断するにあたっては、その文書がどのような意図をもって作成され、どのような態様で販売されたのかを深く考慮すべきである」というものである。
つまり、図書の制作者がわいせつ3要件を超え、
1.通常人の
2.性欲を徒に興奮せしめ、
3.性的道義観念を乱す
時、「社会の性道義観念と羞恥心の尊重のために」わいせつ図書は取り締まられる。という理論である。
なるほど、確かに、これなら、「きっと子供によくなさそう」的な曖昧な要求でも耐えられそうな規制理論である。
そもそも論であるが、関係性を読み解くという過程を用いる以上、性的モノ化による規制理論も、相対的わいせつ概念に含まれる
だが、日本の司法はこの相対的わいせつ概念を明確に否定している。それが「悪徳の栄え事件」である。
相対的わいせつの否定 ~悪徳の栄え事件~
悪徳の栄え事件とは、かのマルキ・ド・サド伯爵の『悪徳の栄え』を翻訳した翻訳者と出版社がわいせつ物頒布の罪で裁判にかけられた事件である。
この時司法は「いくら歴史的、芸術性の高い作品でもわいせつ性を有する」とし、翻訳者に有罪判決を出している。
相対的わいせつの弱点 ~社会が有する羞恥心ってどう判断するの?~
相対的わいせつは、総合的にわいせつ性を検案することが出来るが、その基準は絶対的わいせつに比べて曖昧である。さらに加えて言うならば、「わいせつ性を有する図書を取り締まる」という正当性は「社会が有する羞恥心」というとても胡乱なものをよりどころとしているのだ。
つまり、最高裁の判決は「これくらいエッチなものは、社会で見せると恥ずかしいという、気持ちは共通で持ってるよね?」という、とても曖昧で胡乱なものを正当性の根拠にしているのであって、この気持ちは時代や社会情勢で変わってしまうのだ。
私の「取り締まるべき」見解 ~取りあえず見せてから考える~
上記のような論だが、まぁ、ある程度支持を得るだろうし、このわいせつ基準によって、世界はエッチなものを取り締まっているのである。
それでは、現実にこの気持ちが世の中に浸透すれば、わいせつ図書は世の中から消えるのだろうか。
そんなことは出来はしないだろう。インターネット社会によって、大量のエロに触れた我々は、性癖というのはとても統一できるものではないと知っている。
であるならば、発表者はどうするか、「発表してから感想をもらう」これ以外に「社会の羞恥心」を判定する方法などないのである。
ある意味、表現の自由が想定した、「思想の自由市場」論の中で「批判されるべきわいせつ性」を探るしかない。
おそらく、これによって、公権力は極力介入するべきではなく、「この作者が描くエロは本当にひどいものだ」という経済的淘汰によって、淘汰させるしかないのではないだろうか。
大多数のセーフとアウト論によって、変動的に判断されるなら、それは裁判官等の個人に判断が委ねられるのは望ましくなく、大多数が利用する、市場(今では恐らくSNSとかだろう)の判断によって、「淘汰されるべきわいせつ」を判断するしかないだろう。
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