🇮🇳デリーでヒンズー式結婚式🇮🇳
ある日、銀座にあるインド政府観光局にふらっと二人で立ち寄りました。新居にお金をかけていたので、親からもらった「お祝い金」💴で、インドを旅行する予定でした。
日本でお金のかかる結婚式をしないで、代わりにインドで、お坊さんに安くしてもらおいうと目論んでいました。
主人はすでにインドへは2回行っていました。私は18才でインドに触れてから、毎年インドに行きたくて、しょっちゅう「行きたい」と言っていましたが、両親に「一人ではダメ」といつも却下されていました。なので5年越しとはいえ、初インドが旦那と一緒というのは、超ラッキーでした。
このあと、インド舞踊を習いに毎年3ヶ月づつ、4回もインドに行くことなるとは、この時は全く夢にも思っていませんでした…
大体のルート(約1ヶ月)は決めていましたので、観光局には、情報収集のつもりで、立ち寄りました。買ってあってのは、インドと日本の格安の飛行機往復✈️のみで、後は全部現地に行ってから〜どっちみちインドだから、予定通りにいかないし‥(40年前です…)
そこで、いろいろ調べていたら、たまたま、その日いらしてた局長でインド人のダッタさんが、声をかけてくれました。そしてインドで結婚式をしたい!」という話をとても面白がってくれました
私たちの旅行日程とルートを見ながら、ちょうどその頃、自分もデリーに行くから、デリーのインド政府観光局で、日本人向けの「インドの宣伝」ということで、「結婚式をしてくれること」が、いつの間にか決まってしまいました。
それも費用はすべてインド政府観光局もち!旦那の描いていたインドっぽい絵と私のヨガインストラクターとインド舞踊を学び中というのも気に入ってもらえた要因のようでした。
その日は、デリーにある政府観光局で会う日を決めて、ダッタさんのお宅の夕食に招かれました。
後日、ダッタさんのお宅に伺ったら、美味しいインド料理をご馳走になりました。それと、面白かったのは、子供たちが、もうインドでは暮らしたくない〜と言ってたこと。それも汚いから〜。トイレが1番嫌だと言っていた🤔インドに行ったらすぐわかった!
あとはどちらも忙しく、連絡してもダッタさんはつかまらず…で、飛行機に乗り込みました。座席に座って、旦那と「大丈夫かなぁ…」と話していて、顔を上げた途端、なんとダッタさんが飛行機の中を歩いていました!お互い「ワオ!」
そこで、再確認して、「任せておけ!」とのことで、私たちは、予定通りの旅を続けました。
途中、リシケシ(ヨガの里…次回)に行く前に、デリーの政府観光局で打ち合わせをしました。そして、私たちが、リシケシに10日間弱滞在している間に、いろいろ準備してくれていました。
デリーに戻ったら、まずは、女性チームと一緒に、大きなサリー店に結婚式用のサリー(赤に金色の刺繍と決まっている)を買いに行きました。
これは、結構高かったけど、日本に持って帰るために、自分で買ってきました。驚くことに、本当に他は、一銭もかからなかった…感謝…
私の方は、それから、片手2時間ずつ両手で計4時間、「マンディ」というヘナで模様を描く専門の人に描いてもらいました。これは「魔除け」の意味もあり、お祝いごとには欠かせないものでした。その後、朝まで、手は使えなかった…
ヘナで染まった皮膚は落ちやすですが、爪は、染まりきって、全く色が落ちず、爪が成長していく間中、ずーっと染まっていました…
当日は、朝から、また女性チームがきてくれて、髪の毛から着付けまで、何から何まで全てなされるまま…もう完全に彼女たちが楽しんでる〜旦那の方は、あちらはあちらで、なんやかんや、やってたようです。後で聞いたけどすっかり忘れました…
さて、インド式結婚式は夕方スタートしました。私がホテルから連れられて出ると、花で賑やかに飾られた車が停まっていて、乗るように言われたのですが、驚くことに、車の前には、なんと旦那が白馬にまたがっているではないですか!もうびっくり仰天!
そして一体どこに連れていかれるのかと思いながら外をみると、完全にパレードになっている。車の後ろに楽団がいて、その後ろを知らない人々がついてくる〜
この祝ってくれる?人たちに、花嫁側の両親は、ご馳走しなければいけないらしい。それを知ってる人たちが勝手についてくる〜
ホテルに着いたら、なんと、屋上に、ちゃんとヒンズー教式の祭壇がしつらえてありました。もちろんヒンズー教のお坊さまもいらっしゃいました。
お坊さまは、占い版みたいななもので、何やら占ってくださり、仮の親戚一同は騒いでいましたが、私は意味がわからない…ニコニコしてたので、まあ、悪くはなさそう…
そして、その占い板の上に、お米をまいて、神道の儀式のように祭壇の周りをどっちに回ったか忘れましたが、4回、まわりました。三々九度もしました。これはほぼ日本と同じ。ガンジス川の水だから、飲むなと言われて、私は飲まなかったけど、旦那は飲んで、見事にお腹を下した…
後で聞いたところによると、ダッタさんが旦那の両親役で、ダッタさんの友人の、このホテルのオーナーご夫妻が私の両親役、なので彼らの子供達も、その時だけ、私の兄弟姉妹。でもすごく喜んでくれて…なんだ…この幸せ感は…もうワケもなく涙が溢れました。
儀式の中で両親がお祝い金をくれたので、後で返しに行ったら、「いい、いい」と言ってくださった…インド人のお金持ちは、気前がいい…というか、私の両親役は、想像できないくらいお金持ちらしい…
上は私たちの両親役。下はお坊様
ホテルの1階の食事をするところには、パレードについてきた、たくさんの人たちが、座って食事をしていました。全員に定食のようなものを振る舞っていました…すごい…
日本人も混ざっていたので聞いたら、ただで食べられるというので、付いて来た…とのこと…あの〜私たちの結婚式でした〜
その後、景色のいい上階のレストランで、みんなで食事をしました。私はあまりにも美味しい水牛のアイスクリームを食べすぎて、次の日、お腹を下した…
後から、いただいたアルバムです。観光局のカメラマンさんが、当時まだ白黒のフィルムしか使えなかったのですが、記念にと作成してくれました。私の苗字「熱田」がAFSUTAになってますが‥
カラーの写真は、参加してくれた知らない日本人が旦那の弟がわりに抜擢されたので、カメラを預けて📷撮ってもらったもの。
翌日は、朝早くデリーから、ベナレスへ寝台車で移動〜
デリーから、ベナレスに移り、憧れのガンジス川…なのに、川は、あまりにも汚い〜。おまけに半焼けの死体が流れてる〜同じく、そこで沐浴してる人、洗濯してる人、歯磨きしてる人などなど、見てるだけで、吐き気がしてきて、これはどういうことなのか…
考えてもわからないことには、慣れていましたが…しばらくすると、自分もその一部に溶け込んでしまった…
さすがはインド…好きな人と嫌いな人が真っ二つに別れるのもわかる気がする。新婚旅行にインドに行くと、やっぱり、別れるカップルと、うまくいくカップルとどっちかだ…と言われているが、確かになぁ、そうだろうなぁ…
インドの魅力は、いくら時間があっても、語りつくせない…(でも、もう、今は別のところに行きたいかも…)
ヨガの聖地リシケシに続く…