🇮🇳印度古典舞踊⑥【菩薩のまつり】
ある日、貫実先生のダアマ・ヨーガ道会で知り合い、夫婦共に友達になった面白い福井のお坊さまAさんと、旦那が話していて、福井でイベントをする話が進んでいました。この後、Aさんの呼びかけで、福井のお坊さまたちがたくさん集まりました。
ブッダが説教をするところを、仏教学者の紀野一義氏が講義して、前後に印度舞踊を入れて、ブッダをお迎えして、お送りするようなストーリー仕立てとなりました。お坊さまたちも出演して、般若心経をおとなえする場面もあったり…
リハーサル風景。今度も舞台監督をFさんが引き受けてくださいました。舞台上の大蓮華は、旦那作で花びらが動くように作りました。仏塔や月がスクリーンに映るように、細工したり。
リハーサルの後も、お坊さまたちやお手伝いの皆さんと色々と、夜遅くまで話しをしたりして、数あるイベントの中でも思い出深いものの一つです。ブッダガヤの仏塔や満月もうまくスクリーンに映し出せて、旦那作の2対の曼荼羅も大活躍しました。
「開敷華」から娘を生む40歳まで、ヨガのクラスと、印度舞踊のクラスと、踊りのイベント、年に1回のヨガの合宿、スワミをお呼びする会などなどで、目一杯、好きなことをやってきました。
イベントは大きい、小さいに関係なく、声をかけてくださところには、日程が会う限り、ギャラの大い少ないも全く関係なく、全て引き受けようと決めていました。
そのおかげさまで、縁が縁をつないでくれて、年々イベントが増え、生徒さんの数や出番も増えていきました。
1991.5.5新宿東長寺
1991.5.22 池見酉次郎(日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。)
森下敬一博士の国際シンポジウム
時にはインド音楽の方々と。
大宮のインド料理レストラン
友人の結婚式、「ホピの予言」の上映会の前座、浦和仏教会、友人のインドカレーレストランは何回も、デイサービス、ロータリークラブ、そして飯島貫実氏のお葬式(玄明先生のお寺にて)などなど呼ばれたところには、どこにでも。
旦那が教えにいっていたカルチャーセンターの「仏教画」のところで「ゴスペル」を教えていた先生と意気投合。
(作曲:ベートーヴェン、作詞:玄奘三蔵、編曲と歌:つのだ☆ひろ。 つのだひろが、ベー トーベンの「第九」のメロディーで、ゴスペル風に般若心経を歌い上げる)
この「般若心経」の曲をその先生と生徒さんたちが歌うのに合わせて、私が踊り、生徒3人が手伝いで参加。
私は、ちょうどウマ先生に、インドで「バグワン の般若心経の英語訳」に振り付けをしてもらったものがありました。
でもその時は、なんと栃木の矢板に娘と住み込みで、「シュタイナー教員養成講座1年コース」を受けていたところでした。
同じ日本とはいえ、ガラケーもあまり繋がらないくらいの山の中(この頃iphone、パソコンを使っていなかった‥)準備が大変でした。
クリスマスシーズンで、信州に帰る時期にうまく日程が入ったので、戻ってから、生徒さんたちと合わせるために猛練習。でも私にとって、これが大きなイベントの最後となりました…
芸名は、「マ・亜土夢・プラチッタ」。バグワン からいただいたサンニヤスネームの「マ・プレム・プラチッタ」と、旦那に初めて会った時につけられたあだ名の「アトム」のミックス。(ヨガ道場の中を目一杯動き回っていたとのことで、つけられましたが…)
そのアトムが、いつの間にか、亜細亜(アジア)の大地の夢を舞うということに進化したということで…今でも信州の昔の友人たちはアトムと呼んでくれてます
信州にヨガスワルパナンダジをお呼びして。生徒さんたちや、友人のミュージシャンたち、みんなでスワミを歓迎しています
埼玉県の別所沼公園のすぐそばの中浦和の小さな家を売って、信州安曇野に移って「インド古典舞踊とヨーガの会 恒河沙」の活動も目一杯やって、ある日、不思議なことに遭遇しました…続く…