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🇮🇳印度古典舞踊④ウマ先生🇮🇳


ある日、ウマ先生の生徒さんのアランゲトラム(名取襲名披露みたいなもの)をすることになり、私も準備の手伝いをさせてもらいました。


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メイクもアイラインが独特です。髪の毛もいろいろ飾りをつけて、生花も飾りつけます。ヘアーバンドあたりにつけるのは、もろに「太陽」と「月」の飾りです。飾りはゴールド色が基調です。

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バラタナティアム は巫女さんの踊りなので、髪は腰まで長くて(付け髪もある…)三つ編みです(ヘビを表すともいわれていますが…)



ちなみにオリッシーダンスの方は、髪はアップにして、飾りや生花を飾って色っぽくて素敵です。衣装が似ていても髪型でどちらのダンサーかがわかります。こちらは飾りはシルバー。東インドのオリッサ州の独特のかすり模様。


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南インドのタミルナドゥ州のバラタナティアム の衣装は、6メートルくらいある1枚のシルクのサリーからできています。テーラーでサイズを測ってもらい、自分用の衣装を作ってもらいます。


出来上がりは、ブラウス、パンツにプラス3〜5に分かれていて、デザインをいろいろ選べます。


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ある日、ウマ先生に、舞台用の衣装を作るところに連れて行ってもらいました。その当時、マドラスで2軒しかありませんでした。



この時期は、一番混む時期でしたので、大変でした。デザインを決めて、受取りの前に、仮縫いをしたりして確認しないといけません。



一番最初は期限ギリギリまでできあがらくて、飛行機のチケットを見せて、この日までにできないと、お金を払いません!みたいな交渉もせざるおえませんでした。2回目からは、お土産で釣りましたが…


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時間を守らないのは、インド人の常でした。スタジオで録音するときも全員集まるのに1時間はかかった〜スタジオは時間で借りてるのに〜でもウマ先生は、慌ててないからいいか〜結局時間オーバーしても、そっちも適当だった〜


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先生が、いつも一緒にやる楽団を集めてくれて、習った踊りの曲を7曲くらい、先生の歌と楽器の音楽を一緒に録音しました。


私は、録音している部屋から、少し離れたところで、習った踊りを合わせています。踊りを見ながらの方が、やりやすいとのことで。


日本で、テープで踊れるように録音してきましたが、思ったより、ずっと大変でした。(この時はまだCDはなかった…)



バラタナティアム はカルナータカ音楽という南インドの古典音楽に合わせて踊ります。ステップに合わせて細かなリズムをリードする小型のシンバルに歌手(=踊りの先生担当)、ムリダンガムと呼ばれる両面太鼓にバイオリン、竹笛の編成が一般的です。

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もちろん、この楽団の方達全員に、謝礼を払いました。結構しました〜。衣装も高いし、インド人の金持ちの子女しかできないのは、よくわかります。(もしこの値段で日本だったら、確実に私はできません〜)


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こちらは、北インドのタブラー(高音用:tabla)とバーヤ(低音用:baya)という2種類の太鼓です。指を駆使し複雑で多彩な表現が可能です。日本ではこちらの方が有名です。



ちなみに、踊りとは関係ありませんが、昔、一世風靡した、私も大好きな、インドが誇る世界的シタール奏者、ラヴィ・シャンカール(Ravi Shankar)

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1966年にラヴィ・シャンカールに出会ったジョージ・ハリスンは、彼の音楽に深い感銘を受け、そのキャリアを通してインドの古典的な音楽スタイルを自らの作品に融合していった。2人は生涯の友であり、良き共作者でもあった。



他に、歌舞伎風のダンスは男性ばかりですが、他の踊りも、ダンサーには男性もいます。オリッシーの大先生は男性でした。(伝説のダンサーでした) 

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でも劇場で見たとき、最初、髪もないし、気持ち悪かったのですが(ごめんなさい…)いつの間にか、引き込まれてしまい、プロはすごいと思いました。



もちろん若いイケメンくんもいます。彼らは、そのうち、教える先生になります。当時、男性の踊りの先生は結構多いようでした。


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マドラスにはバラタナティアムの4年生の学校「カラクシェートラ」があります。 私が2番目に教わった先生はここを卒業しました。


私が、高校生から教えっていた生徒が、日本の大学にいかず、この学校に入学しました。


私がやりたかった夢を叶えてくれて、ものすごく嬉しかった‥彼女が卒業して、日本で公演をするとき、旦那がいろいろ準備して手伝いました。私は赤ん坊の娘を抱っこして、ウルウルしながら見ていました…


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その時は、なんか大きなことを成し遂げて、一つ役割が終わった感じがしました。


この後、私は、踊りとヨガのクラスを全てやめて、シュタイナー教育の教員養成に行くことになりますが…(神道の先生に手放さないと次は掴めないと昔、言われていました…)まだまだ後のことですが‥



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旦那には、「インドから帰ってくると、いつも性格がきつくなる…」と言われていました。性格がキツくなるのではなくて、 <YES NO >をはっきりしてるだけなのですが…すぐまた、曖昧に戻りましたが…


最初は日本に帰ってくると、少し休みを取っていましたが、ほっとくと、きつかった生活の反動で、日本で気が緩みすぎて、何もしたくなくなるので、2回目からは、行く前から、クラスの予定を入れておきました。ちゃんと休みも適当に入れましたが‥。



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その当時、日本に電話するためには、中継ぎがあって、インドの交換台で、日本につないでもらうのに、1時間以上待たされました。そしてさらに、値段がすごーく高かったので、話すのは3分以内!


❶インドについてすぐに「無事ついた」❷2ヶ月目くらいに「元気でやってる」❸帰るまじかに「予定通り帰る」の3回しか電話は、できませんでした。


手紙はその頃、届くのに、2週間かかっていたので、リアルタイムの情報交換はまず無理。手紙では、話が噛み合わないのですが、まぁ、急ぐ用事もなかったので、まああいいか…と



何回目かの、インドにいる時に、昭和天皇がなくなり、いつの間にか「平成」になっていました。

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そういえば、娘が高1でニュージーランドに3ヶ月留学した時は、フェイスブックに初めて登録して、カカオトークでリアルタイムで、それも無料で話せて、なんという時代だ〜と愕然としたのが昨日のことのようです。


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まだLINEがなかった気がします。どういうわけか、この時は、これが1番つながりやすかったので‥その後全く使っていまいせんが‥


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そして、先生から、「今度日本に帰ったら、踊りを教えてもいい」とお許しが出て、「ステップの教え方や踊りの教え方」も教わりました。すぐに手紙で伝えたら、私が帰るまでに、踊りの披露の場を用意する準備をしてくれていました。

これから、日本で活動開始です🇯🇵




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