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田舎出身の純ジャパが清華大学に入学した話②

こんにちは!你好!Bonjour!
プラギャです。

本日は前回に引き続き、清華大学に入学するまでのお話を共有させていただきたいと思います。

①巻をお読みでない方は、ぜひぜひこちらからお読みいただけると嬉しいです↓

上海の家族に育てられて

撤退により一緒に移住してきた家族と離れることになった私は、
とある現地のご夫婦に引き取られることになりました。

そのご夫婦は様々な事情で親と過ごせない子供の世話を十年以上続けている、いわゆる里親でした。
ひとまず高校を卒業するまで、私の世話をしてくれることを快諾してくれました。本当に恵まれていたと思います。

家族がいたころは市の中心地に住んでいましたが、里親に引き取られてからはかなりローカルな地域に住むことに。
外を歩いていると外国語が聞こえてくるのが当たり前だったエリアから、
なんと標準語であるマンダリンではなく、方言である上海語ばかりが耳に入ってくる、そんな世界にやってきました。

中国の方言、特に南方の方言は標準語とは全く異なります。
もちろん引き取られた当時は上海語は全くわかりませんでしたが、
彼らの話す言葉をじっと聞いて真似することで少しずつわかるようになっていきました。

例えば食事の時、「エビ(標準語:シャー)をください」というと、「エビ(上海語:フー)が食べたいのね」とエビをよそってもらう。
それで、エビは上海語でフーというのね…という具合に覚えていく。

彼らの元を離れた今でも、年に2回は上海に会いに行っていますが、上海語が聞こえてくると、地元に帰ってきたかのような安心感を覚えています。

と、大好きな語学に話がそれかけましたが、
里親夫婦は私を本当の子供のように大切に育ててくれました。そして、私が勉強に専念できるように、全力でサポートしてくれました。

コロナ禍で様々な制限がある中ではあったものの、里親夫婦の暖かさに救われ、孤独が少しずつ解けていくことになります。

いい大学に入りたい

そんな私も、大学の進路を考えることになります。
高校卒業後は、日本に帰国し、漠然と国内の大学に行くことを志望していました。

これは日本と中国両方の考え方の影響を受けた結果だと思っていますが、
当時はとにかくいい大学に入らなければ…と思っていました。

今思えば、そもそもいい大学ってなんだ。という話になりますが。

当時は若気の至りでした。目指せるところまで目指してみよう、と東京大学文科三類を第一志望に決めたのは高校2年生が始まったころ。
総合大学として幅広い分野の学びのチャンスがあること、そして何より語学好きの私としては、トライリンガルプログラム(TLP)はあまりに魅力的でした…

そこから私の受験スイッチが入ることになり、合格を確実なものにしたい、とばかりに突っ走っていきます。

ありがたいことに現地の予備校に通わせてもらい、月曜から金曜まで学校が終わると毎日授業か自習に通いました。
これまた勉強に勉強を重ねる日々

でも目標に向かって勉強するのはまたやりがいがあると感じることで、学校が終わると予備校に直行。夜の11時半に予備校から家に帰ってきて、そこから課題をこなして就寝。朝6時に起きるような生活でも非常に充実したものだと感じていました。
睡眠時間が足りなかったのはつらかったけれど。

そんな時、高校の担任からある声がかかりました。
「清華大学、受けてみない?」

中国の大学を受けてみる

清華大学…自分が受けられる大学なんですか?
というのが一番初めの反応だったことを覚えています。

私の高校は10年以上前から外国籍の生徒を受け入れていましたが、
上海市内の有名大学である復旦大学や交通大学への進学実績はあっても、
中国全体、そしてアジアのトップ大学である北京大学、清華大学への実績はほとんどなく、特に清華大学は前例がありませんでした。

外国籍の生徒は、中国国内の生徒とは入試方式が異なり、
書類審査→筆記試験→面接のラウンドをクリアしていく必要があります。
正式なデータはありませんが、当時清華大学の外国籍受験者の合格倍率は約10倍と言われていました。
そして当初高校からは、清北(二大学の総称)の合格枠を勝ち取れるのは、中国にルーツがある人や、小さなころから中華圏に住んでいる人がほとんどだという話を聞いていたのです。

自分のように、せいぜい高校から中国語の勉強を始めた純ジャパが太刀打ちできるような相手ではないと。
でも担任の先生は、私の語学力、学業成績、そして課外活動の業績を見て、これならチャンスがあるかもしれない、ぜひ挑戦しないか、と声をかけてくれました。

日本と中国両方の大学を受けるのは面白いかも、と純粋に思いました。
せっかくなら、挑戦してみたい。
中国の二大大学の合格を、留学生活の集大成にしよう。
そして、清華大学と北京大学の合格通知書をもって日本に帰国し、東京大学を受験しよう。

こうして、私の大学受験のルートが決まりました。

ちなみに進路のことは全て自分で考えさせてもらえており、
このことを日本の両親に連絡すると、そんな簡単なものじゃないだろう…という反応が返ってきたのを覚えています(笑)
里親夫婦の方は決定に驚きつつも、あなたならきっとできる、と挑戦を応援してくれました。

その後待ち受けている最大の試練を、私は当時知る由もありませんでした。


②巻では、主に高校2年生の時のお話をさせていただきました。
第二の家族との出会いや、進路の決定など多くの出来事がありましたが、
ここからプラギャの生活が180度変わっていきます…

ご興味を持っていただけたらぜひ次巻もお読みいただけたら嬉しいです。

それでは本日はこの辺で失礼します🙇‍♀️

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