見出し画像

離婚しているのに世話を焼きあう実両親を見て「夫婦」について考えてみた

厚生労働省が発表した「令和5年(2023) 人口動態統計月報年計(概数)の概況」によると、令和5年の離婚件数は約18万組。

言い換えると、

1000人中、1.52人が離婚

しているんだそう。

このデータを見て「すくなっ」と思ったのは私だけでしょうか。

世間では、3組に1組が離婚しているんじゃなかったっけ。1000人中、1.52人は少ないのでは……

そう思いながら、私の両親も数年前に離婚していることに気づきました。

離婚当時、両親の年齢は互いに60代。今日はそんな父と母と過ごすなかで感じた「夫婦とは?」についてお話しします。

マイクに声が入らない父の歌

父と母とは、年に数回食事を共にしています。

それぞれ別々の家に住んでおり、両親が病気をすることも多くなって付き添いなどに出向くことはありますが、それでも頻繁に会うわけではありません。

しかし、ここ1年くらいはこれまでの数年間より会う機会が多くなってきました。私自身、両親のことが心配になってきているのかもしれません。

先日「カラオケなんて、俺はいいよ。2人でいってこいよ」という父を連れ出し、3人でカラオケに行くことになりました。

詳しく聞いてみると、人生で一度もカラオケに行ったことがないという父。

「歌うの苦手なの?」と聞くと「歌える歌が少ないんだよ」といいながらカラオケで案内された部屋に入ると「長渕を入れてくれ」といいます。

「とんぼ」を歌い始める父のマイクごしの歌声を初めて聞き、あまりの声の小ささにおののきながら、マイクの音量をどんどんあげる私。

ようやくマイクに声が入り始めます。

自分でも歌を口ずさみながら手拍子をはじめる母。部屋にあるTV画面にうつる、長渕のLIVE映像。私は、1フレーズ分遅れて歌う父の声をしばらく静かに聞いていました。

そうえいば、私が小さいころ、鼻歌を歌いながら自転車で保育園まで送ってくれたなぁ。

一人娘にはいつも甘い父。言葉で何かを表現するのが得意ではない父。母と離婚することを承諾した父。

離婚したとき、2人はどんな気持ちでいたのだろうか、とふと思いました。

離婚の理由は、いつも言っていた言葉

父と母が離婚したのは、かれこれ10年前。当時の私は30歳で家庭を持っていました。

「離婚することにした」と母から事前報告を受けたとき「さみしい」とか「悲しい」よりも「え、何を今さら?」という気持ちになったのを覚えています。

それは、たまに本気の夫婦喧嘩をして父が家を飛び出す、ということが何度かあったから。

父は家を飛び出すと、自宅の駐輪場からバイクを押しながらゆっくり出ていこうとします。

すると、当時小学生だった娘の私が走り寄り「行かないで」と泣きじゃくります。その姿を見て、父は家に戻りました。

そのうち

「娘の私が出ていった父の後を追えば、夫婦喧嘩はいったんおさまる」

という図式を私自身が理解しはじめ、大喧嘩に発展し始めると「そろそろ私の出番かいな。よっこらせ」という感じで、スタンバイするときもあったような、なかったような。

そんなふうに喧嘩自体はそこそこ見聞きしていたし「別れるんだから!」という母の言葉も聞いたことがあったので、離婚の可能性がゼロだとは思っていなかったんですね。

だから私は

「わざわざ離婚しなくても、のらりくらりと見て見ぬふりして過ごすこともできるんじゃない?」

「なんだかんだ面倒でも、何かあったときに家に人がいたほうが安心じゃない?」

そんな言葉を母にかけました。

なだめようとする私の言葉に、母は苦虫をかみつぶしたような顔で

「とにかく、一緒の空間にいるのがいやなのよ」

と答えました。

真意かどうか分かりませんが、その言葉を聞いて私は「だとしたら、相当我慢してきたのかなぁ」とぼんやり思ったのを覚えています。

夫婦からフレンドへ

ひとつ屋根の下から一変、60代で互いに別居生活を始めた父と母。

その様子を見守っていると「ごはんをつくりすぎたから、届けに」「役所の届け出が一人ではできないから、付き添いに」「スマホの操作がうまくできていないから教えに」と、頻繁に父の家に出向く母。

離婚してから2度目の引っ越しをした母の「一人で新しい家に暮らし始めたとき特有の『慣れるまでなんか怖い』に付き添って母の家に数日泊まる父。母の病気の入退院の送迎に付き添い、病院と家を往復する父。

頻繁にスマホで連絡を取りあい、「行きたい!」と思えば相手の家に出向き、「これがいいみたいよ」と情報を共有しあう仲になった2人。

それはまるで、「君たちの関係って何なの?」と問われれば「しいていえば、友だち以上恋人未満かな」と答える関係のようでした。

私が実家を出てから離婚するまでの10年間、2人の間に何があり離婚に至ったのかははっきり分かりませんが、今この関係であることが2人にとって心地よさそうなのはなんとなく分かります。

「家族の形はいろいろある」と頭で理解することはあるけれど、自分とは関係のない話だと思っていました。

けれど、両親がそんな形になってみると「おさまる形におさまった」という表現がぴったりくるような気がしました。

「もう、こんなことはないかもしれないんだから」

話は戻ってカラオケ店。

1時間ほど交代で歌い続けていると、母は父に「デュエットするわよ」といい、2人でカラオケのタブレットをのぞきこんで、歌う歌を探し始めました。

「俺は知らないよ、こんな歌は」「歌ったことがないよ」という父に「いいじゃない。もう、こんなふうに歌うことはないんだから」と楽しそうな母。

少し離れた位置から2人を眺めながら私は「夫婦について」考えていました。

離婚しても頻繁に会っている私の両親。この2人を例に考えると、今は互いに

2人でいることを、楽しめるようになった

と感じているんじゃないかな、と思いました。

長年連れ添っていろんな思い出があるから、特別に大切な存在ではあるけれど、その分、ハッピーではない思いもある。離婚したことで、そうした思いを互いに切り離し、これまでにはなかった距離感ができた。

そしてその距離感によって「居心地の良い関係」が生まれた。

そんなふうに思いました。

これは、よくある「夫婦の形っていろいろだよね」というお話。

父と母よ、この話、ネタにしちゃってごめんね。

でもこの話、きっとまた読み返すと思うから。それで許してはくれまいか。


いいなと思ったら応援しよう!