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vol.6 生きるから生かされるへ

[時 局 2006 6月号 掲載]

 小学生の頃には、ファッションデザイナーになりたいと思っていました。ピアニストや画家に憧れる気もちもありました。中学校の文化祭で友人たちと自主グループを組み、神話劇『ゼウスとプロメテウス』を演じてからは、女優という仕事に惹かれ、高校では演劇部に属しました。仕事とは興味、能力、価値観を表現するものです。私は芸術の世界に深い興味をもっていましたが、職業にするには能力が足らないと自覚して、芸術の道を選びませんでした。好きなだけではなく、得意でなければ、道を極めることは難しいでしょう。安定した暮らしという価値観が損なわれるかもしれません。その時、その道を選ばなかったことは、私にとって適切な選択だったと思います。

 そんなわけで、私は長い間、自らのキャリア選択について「興味は深かったけれども、能力が不足していたので、芸術家にならなかった」と語るとともに、「来世ではピアニストか画家か女優になりたい」と語り添えてきました。そして、ある時、気づきました。『みんなのキャリアデザイン~なりたい私になるために~』という本を書いた私が「来世では…」と語るのは情けない、来世はないかもしれない、来世があっても来世の私は今生の私を覚えてはいない、来世では「なりたい私」は実現できない、今生で「なりたい私」になろう。

 そして、一昨年の秋、プレイバックシアターという芸術であり社会活動でもある即興劇と出会い、昨年の夏に劇団『名古屋プレイバックシアター』を旗揚げし、私は女優になりました。この劇団は、仲間たちと営んでいる特定非営利活動法人キャリアデザインフォーラムの下部組織として結成したものです。ですから、劇団員たちは即興劇を楽しみながら、社会貢献をめざしています。昨年はニートをはじめとする若年者のキャリア支援を目的として、愛知県、名古屋市主催の各事業において公演いたしました。女優の仕事は職業ではありませんので、生計を支えてはくれないものの、私をより私らしく生かしてくれます。仕事とは人生における様々な役割に伴う仕事を意味します。女優という仕事は私にとって「余暇人」という役割、「市民」として役割に伴う仕事を与えてくれました。

 ところで、私の名刺の肩書は人材開発プロデューサー(2006年当時)です。人々のキャリア形成を促すために、研修をはじめとするキャリア開発の仕組みづくり、仕掛けづくりをプロデュースしています。キャリアカウンセリングもいたしますし、ビジネススキルと呼ばれる職業能力の訓練も行い、私は自らをキャリアアップとスキルアップを両面から応援する教育家と思っています。

 実のところ、人材開発を職業にしたのも、ボランティア団体を設立したのも、劇団を結成したのも、人々がそれぞれのキャリアと人生を豊かに創造するのを手伝いたいと願ったからです。ですから、女優の仕事も教育家という職業も私にとってはコインの裏表です。あるいは、女優でなくても教育家でなくてもよかったのです。芸術や教育への興味、コミュニケーションやプロデュースのスキル、平和にいきいきと暮らしたいという価値観があって、今はたまたま女優、教育家の仕事をしています。けれども、本当に願っているのは、私という存在を、社会をよりよく変える道具として使いたいということです。

 ふりかえれば、幼い頃に教育家になりたいと思ったことはありません。女優になりたいとは思ったけれども、なれるとは思いませんでした。私は自らの意志でこれらの仕事を選んだわけではなく、秘書、コピーライター、経営コンサルタントという職業を経て、気がついたら教育家になり、縁に背中を押されて女優になっていました。ずいぶん若い頃から、私は自らの力を信じ、自らの力で道を拓いてきたと信じていました。今では、私が歩んできた道は、もっと大きな意志によって歩まされてきた道のように思えます。

 道は拓いてきたのではなく、拓かれてきたものであり、拓かれていくものです。拓かれていく道の途にあって、私は一生懸命に歩むのみです。一生の命を懸けるほど、今を踏みしめて歩むのみです。大きな意志はこれから、私を用いて、何を果たしていくのでしょう。生きるから生かされるへ。自己実現とは生かされている命を生きることかもしれません。

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