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vol.2 ニートから教わること学ぶこと

[時局 2006 2月号 掲載]

 働きたいのに働ける職場が見つからない、働きたいのに仕事や職場を探そうとすると立ちすくみ、立ち止まってしまう…。働かないのではなく、働きたいのに働けない若い人たちがいま、この日本にたくさんいます。フリーターと呼ばれる人たちは、パートタイマーやアルバイトを時々するけれども、正業に就いていません。ニートと呼ばれる人たちは学校に通っていないのに就職はしておらず、職業に就くための訓練も受けていません。

 青年期は自己を見つめ、自己を探る時期であり、誰でも試行錯誤をしたり挫折感を味わったりして成長します。ふとしたつまずきから家に閉じこもったとしても、ほんの少しドロップアウトしたとしても、目くじらをたてすぎるのは如何なものか、と思います。そうは言っても、フリーターやニートと呼ばれる状態が長引けば長引くほど、社会の輪に入り難くなります。具体的には、正業どころか生業にも就き難くなります。自己実現につながるライフワークどころか、食べていくためのライスワークにすら就けなくなっていくのです。

 社会の中にいながら、社会から離れたところで生きている若い人たちと出会うたびに、「海の上のピアニスト」という物語を思い出します。彼の名前はナインティハンドレッド・T・D・ レモン。1900年、レモンの箱に入れられて、豪華客船ヴァージニア号に捨てられ、船員たちに拾われた彼は、海の上で育ちます。やがて、ヴァージニア号のピアニストとなり、陸の世界からも注目を浴びながら、一度も陸にあがることなく、海の上で生涯を終えていくのです。

 彼はたった一度だけ、恋をしました。そして、3等船室の乗客だった彼女を追って、陸へあがることを決意します。親友のトランペット吹きから譲られたコートと帽子を着て、下船のタラップに立った時、彼の目に映ったのは高いビルが限りなく街並みでした。世界はあまりにも広く遠く、両足は一歩も動かなくなりました。彼は知ります。自分の知る世界は88のピアノの鍵盤だけ、自分が生きる世界は海の上なのだ、と。

 やがて、ヴァージニア号は廃船処分されることになり、ダイナマイトが仕掛けられます。けれども、彼は船にとどまります。船と一緒に海へと消える人生を選んだのです。ピアノしか知らず、海の上でしか生きられない人生、そんな人生があってもよいと思います。それも人生なのだと思います。けれども、もし、彼があの時あのタラップを降りていたら、ニューヨークの片隅で暮らす美しい少女ともう一度出会い、もしかしたら恋をして、子どもを育て、新しい人生を歩き出していたら、と思うとせつなくなります。

 働きたいのに働けない若い人たち、まるでタラップに立ちすくむ「海の上のピアニスト」のように、広くてかぎりがない世界に踏み出しかねている若い人たちが教えてくれるのは、世界は広くてかぎりがなくて、畏れや不安に満ちているということです。おそらく、海の上のピアニストの時代よりも畏れや不安が増しているからこそ、世界に踏み出せない人たちも増えているのでしょう。

 ファーストフードのように、すぐに作れる、すぐに味わえる暮らし方、働き方を“ファーストライフ”“ファーストワーク”と呼ぶのなら、ファーストライフ、ファーストワークによって、私たちは自分を大切にしたり、他者へ敬意を払ったり、生きている世界に感謝することから遠ざかっています。社会的な成功や蓄財をめざすのではなく、自分と他者と世界を大切にするような“スローライフ”“スローワーク”が時代のさきがけになりつつあることを、私たちはフリーターやニートたちから学べます。

 そして、この世界に畏れと不安が増していても、多くの人たちはそのどこかに居場所を構え、粛々と生きています。居場所が見つからなくて悩む人たちも健気なら、自らの居場所で生きる人たちも健気です。私たちはそれぞれに、この世にたったひとつの存在として、一生懸命に生きているのです。たったひとつの存在としての自分を主人公にして生きる人生を大切にしたいし、大切にする社会を築きたいと願ってやみません。

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