仕事の付加価値は“人”がつくる。大橋運輸が「ダイバーシティ経営」を始めるまでに積み重ねた改革の歩み
こんにちは、大橋運輸です。
前回の記事では、「仕事を通じてお客様や地域に貢献する」という企業理念と、会社の概要についてご紹介しました。この実現に向けて、当社では「ダイバーシティの普及」「健康経営の実践」「地域貢献活動」の3つを大きな柱に掲げ、長年力を入れています。
いち中小企業である大橋運輸が、なぜこの3つを大切にしてきたのか。ご質問をいただく機会があります。そこには、現社長の鍋嶋洋行が代表就任以来、真正面でぶつかってきた試行錯誤の険しい道のりがありました。今回は鍋嶋に、会社の歴史について綴ってもらいます。
誰かが立ち上がらないと、倒産はすぐ先だった
初めまして。大橋運輸代表取締役社長の鍋嶋洋行です。
大橋運輸の創業は1954年。愛知県瀬戸市を拠点に、陶器輸送から始まった企業です。私が社員として1998年4月に入社する前は、地元の信用金庫で得意先として営業を担当していました。大橋運輸は、当時の社長の父が創業者。その息子や孫が役員を務める、同族企業でした。私は職員時代に縁があり、社長の娘と結婚したことから物語は始まります。
結婚前は、結婚後も信用金庫で働くことを伝えていました。しかし、結婚から2年後、妻から大橋運輸の決算書を見せてもらったときに、6期連続赤字で経営が債務超過状態であることを知りました。内情は決算書を見る以上に酷く、「金融業界で働いてきた私が会社を立て直さなければ」と決意し、30歳で信用金庫を退職したのです。
社員として大橋運輸に入社後、当時の社長である義父は闘病中だったため、できることは限られていました。そこで、個人で財務改善や業務改善に取り組み、多くの改善提案を役員である叔父たちに提案。しかし、「現状を変える必要ない」と改善提案は承諾されず、一人でできる改善を繰り返す日々でした。そして、経営が悪化していることに気づいていない役員と管理職の影響は、社員にも伝わり、会社全体として危機感がない状況だったのです。
入社して6カ月、このままでは会社がつぶれると判断し、義父に「社長を交代してください」と、直談判しました。しかし、入社間もない娘婿を社長にするのは「周囲が承諾しない」という理由で、最初は叔父と同じ常務を提案されました。しかし、「このままでは会社がなくなる」と義母にも伝えて再度交渉。義父に委任状を書いてもらい、親族に対して社長交代の説明をしました。1998年4月に入社し、同年11月には代表取締役となったのです。
もちろん、同族経営が長く続いた企業ですから、叔父を中心に大きな反発がありました。妻が社長の娘とはいえ、入社してすぐ社長の座をとられるのですから、当然の反応と思います。しかし、債務超過の解決策を尋ねても、具体案は出てこない。そこで、「案が出ないのであれば、私が社長をやります」と説得し、30歳という年齢でしたが社長に就任しました。このとき一番ホッとしていたのが、経理の担当者だったのが印象的です。
価格競争よりも品質向上。従来の形から変化を
ここからが経営立て直しの始まりです。超過債務の解消までに費やした5年は、ただ「社員にとって良い会社にしたい」という一心で働きました。
朝5時に起きてご飯を食べ、5万円の中古軽自動車に乗りながら、営業や業務改善に日々励み、次の食事は22~23時に食べるといった生活をしていたのです。社長の席はパートさんの隣で壁に貼っている黒板のチョークの粉が飛んでくるような場所でしたし、3月の引越繁忙期は株主総会を行った後に作業の応援に行ったこともありました。
1番辛かったのは、社内の価値観の違いです。私が肉体作業をしていると「社長お疲れ様です」と評価されますが、仕組み改善や職場環境の改善など思考的な作業を評価できる人がいなかったこと。職場内の価値観を変えることが、最も大変でした。
あるとき、「給与を上げてほしい」と話す社員。私は「同じ果物でも品質を高められたら、価値は高まる。1籠(かご)500円でなく1箱3000円で売れるようにするため、お客様に良い挨拶をする、安全確認を徹底することで、お客様の信頼獲得につなげていこう」と伝えました。しかし、社員から返ってきたのは「お金をくれたら頑張る」という言葉。自分の無力さに、家でお風呂に入っているとき、自然と涙が出てくるような日々が続きました。
大橋運輸が債務超過となった大きな要因として、1990年の規制緩和により、運輸業に参入する国内事業者が大幅に増加したことが挙げられます。扱う荷物の総量はそれほど変わらず、価格競争が激しくなったのです。当社も大手運送会社から業務依頼を受け、自社で仕事を探す意識は低い会社でした。また、役員や管理者に原価を理解できる人が少なく、安く仕事を受けることに価値を感じていたのもあります。安い仕事を多く受けても、社員の業務量に対価で還元できず、社員の不満は大きくなりルールも守れない状況でした。
そこで、より付加価値の高い仕事にシフトする必要性を感じるようになります。まずは「売り上げや事業規模を拡大することが会社の成長だ」という根本の考え方から見直してみました。事業規模を重視してしまうと、どうしても大手企業との取引を優先させる必要が出てきます。ロットが大きいため売り上げは伸びますが、担当者や意思決定者が頻繁に変わることが多く、どれだけ付加価値を出そうとしても、コストが重視されてしまうことが多い。そういった環境では、社員のモチベーションも高まることはありません。
そこで、事業戦略として「ただ安く運んでくれればいい」という企業様の仕事は断るようにし、長くお付き合いができ、できるだけ会社から近い距離にある企業にしっかりと付加価値を提供する形に変えたのです。ここから徐々に会社は変化していきました。
ここでいう付加価値とは、お客様に挨拶をするとか、身だしなみをしっかりするとか、梱包する段ボールをできるだけキレイな形で届けるなど、地道なことばかりです。当たり前のように感じる方もいるかもしれませんが、運輸業ではできていないケースも少なくない。そこにしっかりと取り組めば他社との差別化になると考え、社員に伝えていくようにしました。
すぐに社員の意識を変えるのは難しいため、まず私自らが率先して姿勢を見せようと、会社の掃除を朝にしたり、社員に挨拶をしたりといったことに取り組みました。当時は同族経営の空気が残っていたので、私に同調すると社内で少数派になってしまう。そんな中でも、私のビジョンに共感してくれ、協力してくれる社員が少しずつ増えていくようになりました。朝会社に行くと、すでに掃除が終えられていたときの光景は今でも記憶に残っています。
一方で、事業方針を変える過程では、社員の入れ替えも多く発生しました。既存社員が改革に耐えるというよりは、事業方針に共感してくれ新たに入社した人財が、社内を変えたのです。「離職率を少なくしよう」と盛んに言われる頃でしたが、「成長離職率」が重要だと当時の経験から学んだ気がします。会社が変化するときは、その状況を楽しもうとする人もいるし、受け入れられず去る人もいます。離職者が出るのは決して悪いことだけでなく、ビジョンの実現に向かう組織を作るうえで必要な過程だったと考えています。
多様な人財が集まるほど「できること」が増える
先ほども紹介したように、挨拶や身だしなみなど運輸業における付加価値は、働く人に紐づくものが多いです。人が付加価値を提供するのですから、CS(顧客満足度)を高めるためには、ES(従業員満足度)を高めなければいけないと考えるようになりました。
そこで、次に取り組んだのが「ES推進者」という職種で働く人財の募集です。ただ競争が激化する時代に、優秀な人財を集めるのは至難の業。中小企業の当社は、なかなか新卒採用も応募数が増えないのが現状です。そこで、「週3勤務、1日4時間、午前でも午後でも勤務可」といった形で募集を出してみました。すると、育児中の女性を中心に語学が堪能な方や、もともと大手企業に勤めていた方などから応募が来るようになったのです。
この出来事が、ダイバーシティ経営に舵を切る直接のきっかけとなりました。当社はそれまでフルタイム雇用の男性が圧倒的に多くを占めていました。しかし、多様な人財が多様な働き方で関わることができれば、人材不足の解消につながるだけでなく、それが結果的に付加価値になるのではないか。そう考え、短時間勤務だとしても、正社員になれる制度を導入したり、マネジメント業務やプロジェクトの責任者を任せたりするようにしました。
当初は既存社員からの反発を懸念しましたが、逆に会議での発言が増えるようになりましたし、短時間勤務者にとっても仕事のモチベーション向上につながったようです。
またESの向上に向けて進めたのが、社員が長く健康で働けるようにするための福利厚生の整備でした。福利厚生であれば、中小企業であっても、頭を使えば、大きなお金を掛けずに知恵で理に適ったものを提供することができます。例えば、旬の野菜を定期的に届けたり、禁煙のサポートをしたりなど(詳細は今後の記事でも紹介できたらと思います)。
他にも、2018年からは管理栄養士を採用し、定期面談や相談窓口の場を設置し、きめ細かい健康指導を全社員に実施しています。管理栄養士の社員も短時間勤務で入社し、今ではフルタイムで活躍。健康指導と事務仕事のマルチタスクをこなす頼もしい存在です。
このように短時間勤務人財の採用を皮切りに、多様な層を受け入れる間口を広げ、ダイバーシティ経営を積極的に進めました。社員の割合は2021年12月現在、女性21%、外国人が6.9%、障がい者が5.52%、高齢者が5.9%を占めています。カミングアウトをしているLGBTQの社員も複数部署におり、個々の特性や得意分野に応じて能力を活かせる社内環境を整えていきました。これにより、人材不足の解消や離職率の低下、業務や教育環境の改善など、さまざまな課題を解決し、より大きな成果を実感できるようになったのです。
おかげさまで、経済産業省「新・ダイバーシティ経営企業100選」の認定をはじめ、対外的に評価いただけることも多くなっていることは、とても嬉しいことだと感じています。
仕事も、人生も楽しんでもらえるような企業に
現在、私が大事にしているテーマは「仕事と人生を楽しむ」です。社長になってから23年目。最近までは「仕事を楽しんでほしい」と考えていましたが、それぞれの得意を持ち寄って助け合い、仕事だけでなく、人生も楽しめる環境を整えていきたいと思っています。
私が若かった頃は、どんなにガムシャラに働いても、やりたいことが出てきたし、体力も持続しました。また、がむしゃらになって頑張れたのは、信用金庫の7年間で積み上げてきたものを無駄にしたくなかったこと、「負けたくない」という気持ちが強かったからです。
だからこそ、成果につながっていった部分はあるものの、当時は身体も心もカスカスとなってしまい、整体やマッサージに行っても疲れが抜けなくなっていました。食事をそんなにとっていないにも関わらず体重は20キロ太り、血圧は200くらいまで上がっていたのです。そんな経験が、今の健康経営やダイバーシティ経営を始めることにつながっています。
良い人財が集まれば、さらにお客様や地域に貢献できる。そして、良い仲間が集まれば、1人だとできなかったことが実現できるようになります。また、社員の成長に応じて、当社が一貫して取り組んできた地域貢献活動もより進化していくでしょう。
この先は少子高齢化や人口減少がさらに進んで、前例のない地域課題が次々と出てきます。でも、自治体だけに解決を任せるのではなく、地域に根差す企業として色んなチャレンジをしていくことで、仕事と人生両方を楽しめる環境をつくりたいと思っています。
そのためには、まだまだ同じビジョンを持つ仲間が必要です。当社に興味を持ってくださった方は、採用ページをご覧になってもらえると嬉しいです。
また、ビジョンに共感して下さった方で、公開されている求人にはマッチしないものの「挑戦したいことがある」「自分の経験やスキルを活かせるか確認したい」という方向けに、オープンポジションも用意しました。
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