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過ぎてく日に走り書き

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#言葉

娘の築いた時間と父

「おとうは出てこないで」 小学二年生の娘は、その体に不釣り合いな大きな掃除機を抱えて、せっせと掃除に励んでいる。自分がこれから使うところだけ。 秋晴れの清澄な空気がカーテンレースをほどよく揺らす。ずっとそこに居座るように見えた入道雲はいつの間にか姿を隠していた。 娘が友達を家に招待した。 学区内の保育所に入れず、彼女は誰も友達のいない小学校に入学した。周りは既に友達のコミュニティが出来上がっているなかで、他人なのは彼女だけだった。 学区が違ってもすぐに友達はできるか

1gの愛と1ccのしあわせ

愛してるなんて簡単に言う言葉じゃない。だって愛ってなんなのかよくわからなかったから。好きとは違うように思えた。がんじがらめにされるような、もっとずっとずっと強くて重苦しい感情だと思っていた。 離婚を伝えるワイドショーが結婚会見時の映像を流す。愛しているって言ってた人たちが当たり前のように別れる。 愛という言葉を使う人は無責任で軽い人。そう思っていた。だからプロポーズの時も使うことはなかった。 「愛」とか「しあわせ」とか抽象的で形がなくて、なのに揺るがないような強さを感じ

言葉のお暇

言葉ってとても難しい。だけど相変わらず好きだし、時々呆れることすらある。形も責任もないのに、なんなら空気の振動なのに、どうして胸に響くんだろう。 (最後に追記)書いてたら途中から言葉の話ではなくなりました。コトバは関係ない。本文とは関係ない。 モノを売るために言葉が不可欠な時代だと思う。言葉があってもなくても機能自体は何も変わらないのに、その背景を伝える言葉があるだけで欲しくなる。むしろ言葉がないと買わない。 歌も言葉は大事だ。”歌詞”という単語すらある。同じメロディで