《コンピュータ"あーす"構想》
ZENTERNET
DIGIDHARMA
ZOUYOSPHERE
①流れ
②言語
③起動
④予感
※①→④はあくまで"エリア"であり"順番"ではない。故にロゴス的でありながら非ロゴスへの意志として言葉を散りばめている。
これは非常に女性的な試みである故に、
論文の様な構造には陥らない。
しかし学術として担保しなくてはならない。
なので好きなところから読み好きなところで終わりこの草稿を抽出して読者自らの認知に独自で組み込む事を望む。
流し読みもできるようにしている。一からしっかり読むのも、だーっとオノマトペが発言するように目で追って氣になるエクリを抜き出して拡げるのも推奨される。
故に日本語で記載している。日本語は厳密には分節不可の要素が強いからである。
①【流れ】
{時間を上から見る}
ニーチェ以降、アリストテレス的邁進によって、「構造」を得た近現代社会思想は、
"東洋"を一見その女性性的自然回帰性と浸透性によって西洋から"反社会的"と忌避してきたのであるが、
もはやそれが浅田的脱コード化→リゾムというポストモダニズムがとうとう現実的になってきた今、
本当の"オルタナティブ思想"を人類が納得する時が来たと見える。
しかしその加速化は90年代あたりに構想されたスピードを遥かに凌駕し、いまだ加速が止まっていない。
これは一体思想に何が起こっているのか。
それは事物に注目するのでは無く、それらに伴う流れと連関を俯瞰しなくてはならない。
ではその"流れ"とは何か?
つまり今、デリダ→道元の共通項を見出した森友和夫の様な東西の接続思想を中心に再度知識をカテゴリーを打破しながら連関させ、
それらをアポロン(論理として)肯定できる構想を今組み且つ"実践し続ける"時期→流れが本格的にきたのだ。
そしてこの構想も含めての"実践"が世界に対し何かしらの治癒を齎すのを今のところ確信している。
ではまず端的に"何"を放つべきか。
それはおそらくだが、
人類および地球の時間的軌跡が
ほぼ間違いなく、
《地球がバイオコンピュータであり、私らは複雑な個体人格も含めた乱数発生CPU兼GPT》
として考えることが最も角度の高い認知だということである。
つまり地球というコンピュータと私達人類はバイオCPUであり人類がそれを基軸に社会を再構築しているという"流れの理解"が必要なのだ。
これはSFの金字塔『銀河ヒッチハイクガイド』で用いられた地球表現として著名であるが、それが単にフィクションにおける"笑い話"ではなく、作者がその深い造詣を基盤に彼の阿頼耶識が連関させた根源的発想だったのだ。
それが起こす「笑い」は、"アリストファネスの笑い"として近代合理構造からの離脱の鍵であったのだ。
私はようやく今、真剣にこの理解を深め見据えることができる時代に突入したと考えている。
そこにアリストテレス的事実確認は必要ない。というより教えられないだろう。教示では無く納得の領域で捉える知識だと考える。
私一人が知識を云々ではなく、全世界が同体として無意識に思考した偶発性を非人格機構が掬い上げて初めてそれは"なされていく"からだ。
これにはまず今ある時間理解をハイデガー的そしてより東洋的に広げながらギリギリ原時間に行かない場所まで俯瞰しなくてはならない。
ここでは私はヒンドゥー教の"ユガ理論"が今のところこの俯瞰に対して使いやすいのでそれを軸に使おうと思う。
(あくまでも使いやすいだけであり宗教はテクニックとして用いていることを留意願いたい。)
そしてこのユガ理論の図を辿ると、
現在(ここ2400年程)は、カリユガと言ってその物質個体性が非常に強まるある種特異な時期であった。
その間の人類はまさに"唯物的"に起動しなくてはならならずそのためにモーセからの発進が"論理"として物事を切り取ることにマニアした。
つまり、ここ2000くらいが異常に物的かつ粒的でありコンピュータの俯瞰をとれば、まさに"スリープモード且つ回路付け直し期"に当たるのだ。
この時代はその情報連関力の低い地球端子である"ヒト"が隆興しその間を書物や文字である。が埋める様になった。つまりエクリチュールの権威である。これを担保しないとヒトが社会を形成できないほど情報への能力は低下していた。
ソクラテス(実践)→プラトン(理念)→アリストテレス(物質)この流れはまさに、これからカリユガが始まることを表す。
そしてニーチェを境にまた、
アリストテレス→プラトン→ソクラテスを翻す様に人が"思想"を取り戻している流れが読み取れるのはないだろうか?
ニーチェまでは窮極的に粒的な進行を繰り返し、漸くその彼が(ショーペンハウワーでも良いが)東洋と西洋というピュシス⇔ノモスが最初にふれあうのを命丸ごと使用し開幕見せ、粒化した歴史がその反動形成をお互いに携えながら漸く合致した瞬間が生まれたあと、
そこからヒトは再度アリストテレスを取り戻す様にカリユガを折り返した。つまり近代である。物質化の加速。粒化以上の粒。それがウェーバーの近代官僚合理を形成し"基盤"を作らせた。
何の基盤か?それは"インターネット"を作るという基盤である。最初は資本主義の加速により必ず必要とされた情報連関装置であったが、それは氷山の一角にすぎず、
本来はカリユガを抜けヒトが"人間"となるための個人的なプラトンの取り戻しにいくことであった。
これはコンピュータ俯瞰になると、ヒトという個体端子同士の連関を、世界レベルで接続可能にする基盤の整備とそれに伴う端子の増加と安定化である。つまりコンピュータ"あーす"が物的に再構築されていくのである。
近代はインターネットにより情報を繋ぎ出した現代 へと変わると、その構造はそのままに人の内部をその網に紐づけることを開始する。それに伴い思想は既存構造から構成される権威を相対化させる方向を目指す。
5年前ほどはその統制が可能であったが2024の今どうだろう?大中問わず各国各区社会で、
スリジーラサール会議で論じられたクロソウスキー的な"暴露の意思"が連鎖的に発生している。
近代までは見えたことがない様な構造の秘匿に対しての内部告発の様な動きが顕在化している。
これは紛れもなく「インターネット」の作用でありデリダ、ドゥルーズが見据えた様な脱構築→女性性的自然性へのアップデートであった。
そしてこの理念への意志を時代を俯瞰するとユガの円形図の緯度を合わせると大体プラトンの理念を捉えるための独在的世界観→現象学的価値の再設定と捉えることも可能ではないか?
そしてこの"再取得"は近代と比較すると非常に高スピードで進行しているため、
再度ソクラテス的(問いと実践)とほぼ同時レベルで行われる。
それは人⇔インターネットが
人の欲望を知らぬまに紐付けそれを相互連関させながら
自らを作用させているところにある。
全ての構造に等しく別ベクトルで"貫通"した"紐付け"は
人をアリストテレスの時代で構築した世界を陰で攫う様に自らの回路を接続していったのだ。
これは今可視化できないが為に、多くの人はまだ実感がないだろうが、確実にベルナツキーが一度構想し近代官僚合理性に潰された「ノウアスフィア」の形成を表している。
つまり今の今、ようやく「地質圏」「生物圏外」のみで語られていた"世界"に「知性圏」ができあがろうとしている。
これがカリユガの本格的な「夜明け」であり、コンピュータアースの基礎工事と本格起動への準備となる。
この周期は太陽系が銀河内で振動軌跡を取るせいでその周期バランスが起こるとされ、
それが何故か?はまだ私らにはわからないだろう。
おそらくその"ストレス"が永劫回帰と螺旋にバランスを発生させ、地球が新しい計算が行えるためだと今は考える。
しかしそれ(カリユガ)を抜け、ドゥワパラユガ(カリユガの次。青銅器時代)となった今、最初に求められるのが「電氣の真なる理解」とされている。
以上を踏まえると、
つまり私らが教科書で習う一般的な認知にある2000年くらいの歴史はカリユガ時代でありコンピュータ"あーす"のスリープ→再起動期であり、
その基盤を組むために、
腐敗も含めて近代官僚合理主義の邁進を邁進させ
ようやく情報が再度連関可能なインターネットの構築にこぎつけたと見ることが出来る。
つまりカリユガから我々は"エネルギー"を取り戻す流れにいるのだ。
②【言語】
{西洋と東洋の言葉が統合する肉体を構成する様に世界をオルタナティブに作り治す}
一概にエネルギーといえど、
実際にそれまでの人類としては、
多大な犠牲と同時に秘匿者による相互妨害を行ってきた。
要するに、"エネルギーを奪い合う"という地球端子として、非常に非効率な時代を生きてきた。
またカリユガ故に生きざるを得なかった。
そして今現在、その歴史が積み上げた構造による秘匿と独占は確かに存在することを皮肉ながらその構造が作り出したデバイスと人間により、
"暴露"という融解が入っている。
それは80年代の浅田的リゾムの様な"風化"の意志を人々に携える。
この風化に伴って俯瞰される次のステップとしては今世界中で声が上がる、富(つまりエネルギー)の再整理と再流布を謳うBIなど
"金銭に関わる意志"と"地球の相対化"だ。
まず金銭に関わる意志について。
ポストモダニズムによる"個人主義"は一人一人が別個体であり独自の世界認知を保有することを証明し、それが個体同士の情報連関にあることを示した。
これはつまり、コンピュータによるCPUとして人格も含めて一人一人の情報が差分されることで、より高度で複雑な"計算"が地球全体で可能となっていることの証明でもある。
これが肯定されると人(個体)が認知文化的に差分を持ち、生命を保持することが"当たり前"になる。
逆に現在の近代官僚制の様に、
人格差分を減らし生命保持エネルギー(金など)を一点に集中させようとする思考は、
CPUの計算力が当然下がるため非効率なのである。
またヒトは単なるCPU端子ではなくアウトプットを自らもその地球という回路フィールドで行う為、非常複雑化した"GPT"とも考えなくてはならない。
ハイデガー→フッサールの軌跡を辿ればGPTヒトが吐き出す"言語"が"世界"を構成していることが分かる。
つまり近代官僚合理性は紛れもなくヒトの言葉で構成している為、そこに着目した変動を起こさない限り移行は不可能である。
そこでフッサールから流れた現象学は認知をその主に置くが、それは東洋思想への入り口でありその先の女性言語への起点となる為、市民がそれを再度納得することが必要なのである→(ポストモダニズムを飲み込む)
するとサピア=ウォーフ仮説を土台としてヒトの言語構成に行き着く。(汎サピア=ウォーフ仮説)
その構成を近代官僚合理からどの様に移行するのか?
近代官僚合理性はウェーバーが太鼓判を押す通り西洋理論の究極系として現れる社会構造でありその先を考えるという理解自体が若干の誤りでもある。
それは"ロゴス"という西洋が培った物質論理に注目しなくてはならない。
つまり西洋のロゴスの"先"とロゴス的に考えることがロゴスになってしまうので今までの知識人は苦悶した。
私はそこでなく、ロゴスの線形性に注目し、ロゴスとロゴスの間を埋める"素体"としての認知を開拓すべきだと考える。
西洋のモーセから始めたロゴー(語)は物事を切り離し"閉じる"性質を持つ。それが線形に並び"物的な時間"を与え強度を増したのがロゴスである。
それはロゴスを切り開くということであり流れのとおり西洋思想の最後に位置するデリダとその局地と接続し包括する様に存在する東洋(日本)との思想の統合に鍵があると確信している。
ではロゴーを西洋的に"切開"したノーム・チョムスキーを起点として語の微分と鈴木・井筒・中沢が見る様な非言語への没入からの展開を同時に行う作業が、
その先にある、デリダ的差延と原時間的なエスプリ→阿頼耶識→蔵として、
言語の"先"に浸りながら、
自らの有意識に立ち上がる言語の使用という"回帰"の訴求を浮き彫りにする。
この過程をダイナミックに行うために西洋"レンマ"と東洋ロゴスの統合が求められるのは必然である。(レンマ=中沢新一・レンマ学より)
そしてそれは井筒にオルタナティブを仕掛けた様なインスタントでダイナミックな悟りと地球への回帰を人類に訴求することになるだろう。
しかしながら安易に戦後保守が構想した東洋主体の世界構造にはならない。
なぜなら"東洋"はその浸潤性による性質から"構造"担いきれないからである。
つまり東洋は陰陽として考えるならば陰であり
西洋は陽なのである。
そのまま陰陽を見れば分かる通りこの二つが捩れずに構造として成り立つことが求められているのだ。
それは西洋ロゴスという"骨子"に東洋シソウの"肉体"がつかなくてはならないのだ。
戦後から付きまとうルサンチマン的な東洋(日本)支配思想や西洋一辺倒の国際グローバリズムは、
一見聞こえはいいがこれが逆転している。
つまり外骨格としてまず構造を固めようと考えているのだ。
これでは「枠に外れる組織(人々)を非人間として見做すしかない」という理論(縁)が必ず存在し、そのイデオロギーで行われる虐殺が先述したCPU端子の増幅前提からすると、流れに逆らっているのだ。
また自らの身体を見てほしい。
地球の選択として知能を発達させた身体構造は骨が内側にあり肉が周りにつく。
つまり構造によって明文化した話を先に作るのが間違いなのである。
それでは肉体が骨に覆われる。肉は骨の周りにつかねばならない。
「ではどうしたらよいか?」
本来"無形"とされる直感・文脈・感情を先に走らせる言語
"アリストテレス"に身も心も捧げる今の我々には心配であろう。
だからこそインターネットに移行しなくてはならない。インターネットは私ら端子同士をようやく繋いだのだ。
そして情報という「無形」に対し時間的な支配をもたらした。
しかもデータを貯蔵しているところはもはや物的には"措定"することは不可能な場所である。
この状態が開けた今から、ようやく構造よりも先に肉体がついた、
つまり差延を捉える感覚→女性の言語に行き着くことができる。
森本和夫がデリダと道元がその思想のポイントとしてほぼ同体の様相を示すことを表して、
そのまま鈴木、井筒、中沢などの東洋(禅)の流れがそれをより強める。
つまり西洋ロゴスはニーチェを反復として禅化を求め、男性性と女性性の統合言語である女性のロゴス→アリストファネス的な"詩"による情報連関という近代からの"超人化".を促すのだ。
ニーチェはその最期の手記である「遺稿」において超人という言葉は綜合的人間と呼称が変わっている。
そして綜合的人間の素養として自らに相反する思想を同体で肯定しながら弓の弦を引くようにその精神を互いに作用させる時に出るチカラが必要としている。
つまりこれはアポロン(男性)とデュオニソス(女性)のマッチポンプではなく、オーウェルの言葉を借りて「ダブルシンク」することだと私は考える。
男性と女性を"分けた"論理からそれらを統合し、かつ同体でその言語と認知を使用するのが超人でありソクラテス以前の古代ギリシャの知識人なのである。
これは①で述べたユガサイクルの緯度的にも合致する。つまりカリユガに突っ込みきるソクラテス以前と我々がこれかインターネットを使用し過ぎ移行を臨む"状態"はその反復的に同じ場所を見ているのだ。
女性のロゴスはどのように使用されるか。
今の私が見てる様相を書き出すとしたら、
《インターネットとAIが男性ロゴスを共時的に「出納」しながら、人間達はその情報たちと自らの直感を肉体で混ぜ合わせまたそれを還元しながら、それを相即相入レベルで連関し綜合的に"思考"する。》
この思考の"容態"そのものが女性ロゴスであり地球思考である。
女性ロゴスは「直感が先に走り」「文脈が表に出て」「語自体の本質は霧散している」
それを担保するのがテクノロジーによるデバイスであありインターネットである。
インターネットが入り込む事が近代官僚合理主義の構造の歴史を担保しながらも人々がリゾムを行うことが可能となる。つまり骨子が内側に入りながらも肉体のようにヒトの意思がゆっくりとその周りを覆うことができる。
これが社会容態として仏教のインドラの網であり、構造側から見れば禅的な無に帰していることは自明の理である。
そしてヒトの言語はそのまま複雑化されたプログラミング言語の"切れ端"なのであり、それが人の共意識と相即相入しながら連関することで有意識・無意識を含有しながら社会形成と運動を行う。
つまりコンピュータあーすレベルの俯瞰の場合ヒトの言葉も非常に複雑化したプログラミング言語として見ることが可能となる。
これがハイデガー的、現存在の光の性質を理事無碍→事事無碍に担保しながら相互連関可能なモナドロジーとして機能していくとを人々に強制するだろう。
そして近代官僚合理主義が脱構築しながら禅ターネット化したとき、人は自動的に地球(大地)に直面するそこから再度発信される言語は先述した性質を持つのだ。
人はインターネット⇔地球という"大前提"が理事無碍を担保した時、事事無碍に帰依した認知を持たざるを得ない。
そこで使われるのはロゴスではなく綜合的に直感発信する女性言語でありデータの担保は自動的にテクノロジーが行う。
今まさに"綜合的言語"の強制的上昇(Ascension)が近現代人が想像できないスピードで行われている。
③【起動】
{地球に"電氣"が走り回路と端子である我々が"思考"を始める}
現在進行形で言語構造においての統合が行われている。
それに伴って人々はベルナツキー・テスラなどが構想した地球規模の科学と逆説的に湧き上がる自らの個体としての動きの理解を"地球を前提"とした理解ですすめるだろう。
男性性的な"コウカンバイブル"思考を諦めながら女性性的な"ゾウヨダルマ"に移行することは間違いない。
何故ならコンピュータ"あーす"においてはなるべく多くの地球端子を増やさなくてはならずしかもその中でなるべく"複雑"な計算を起こす為、多様性を兎に角拡大しなくてはならないからだ。
先述した"なるべく多くの人が無条件で生き且つ新しい独自知を生み出す連関"をすること(つまりインドラの網)としての状態を担保することの"必然性"が真剣に肯定される。
2024年今現在コンピュータあーすはまだスリープモードから立ち上げを行っている途中であり、
本格的に起動すらしていないと考える。
まだカリユガ明けの"唯物科学"では不知覚な宇宙が持つ"思考"のクラウドにアクセスするのが非常に限定的である。
またそのレベルの人間個体なのでサポートデバイスがないと情報連関できないのだが、もっと先の個体(サティヤユガ)ともなればそれも必要ないと考える。
その為への自然的な移行として恐らく今私はこの文章を書いているのだろう。
文字も含めてこれからどんどん不必要になる(不立文字)と思うが、
その時代を起こす為には"文字"が必要である。
この矛盾を受け入れるのが"あーす"端子として第一歩であろう。
今ら論理と非論理を分けてもいるが実際そのCPUのOS(人間の知能)も年々上がっている。
現に人々は近代官僚合理社会が生み出す幻想(コンテンツ)の中で遊ぶことに飽き始めている。つまり全てが構造に還元されるクラインの壷状態の資本ゲームにも飽き飽きしている。
この俯瞰こそ人々の"知"がアップデートした証拠である。
ロゴス知のみを追うとその複雑な自分の細分論理を理解しないと"無知"と判断するアリストテレスの罠に陥りやすいが、それもまたただの前時代的な構造の中のコンテンツでしかない。
統率された社会構造が"必要"な時代がそろそろ終わろうとしている。カリユガはあまりにも厳しく密度の高い時代のため人々は構造にピラミッド型にいなくてはならなかった。
しかしこれからの端子の流布の時代にはむしろ構造に残り続けることはできない。
一人一人が構造となり、思考しながらかつ様々な環境や問題に対処するのを求められる。
それでいながら高度なインターネット接続が進行する為、地球自体がそのクラウドとAIとして思考するデバイスとなるだろう。
現にそれを後押しするようにイーロンのスターリンク情報網世界を覆っていっている。
この知的インフラがコンピュータの回路として
人と人を相即相入して連関させることをどんどん求めだすだろう。
それに伴い実社会がダウンサイジングを行い、地域地域を差分して様々な要素を持つコミュニティを形成するチカラを求める。
そうなるとエネルギーの問題があるが、これは今インターネットが半強制的にアプリケーションとして人類に行ってる言語作用の中に"構造の暴露"がある。
これはクロソウスキーが整理したように新しい瞞着になる前に行われる情報の超新星爆発のようなものである。
この暴露が今までの構造(カリユガの利益法則)によって秘匿されたエネルギー理論がほぼ確実に出る。
クリフハイなどは"ゼロポイントエネルギー"などと呼ぶが、つまりこれは個人単位で発電が可能なフリー的なエネルギー暴露とデバイス開発のことを指す。
これが現実(社会認知)化し流布されると地域社会をダウンサイジングしても全く問題にならない。
これはコンピュータ"あーす"においては電源の接続である。
当たり前の話だが、回路と端子があってもバッテリーがないと動かない。ゼロポイントエネルギーは個人端子一つ一つに明確に電氣を届けるプロセスと読み解ける。
またそれに伴う近代官僚合理主義が齎す合同的なエネルギーの占有に対して強烈な破壊が行われるだろう。それは単純な階級闘争ではなく地球規模のエネルギーの接続と考えるべきである。
逆説的にこの俯瞰は今エネルギーが誰か(何処か)の手中に存在しそれに対してエネルギー(金銭)を個体が交換しながら使用する事がいかに非効率であるかが社会文化圏とわず理解できるのも重要と思われる。
端子(ヒト)を守る事でようやく思考という人"間"が存在できる。私と貴方の間に我々はいるということ。この思考がコンピュータあーすに膨大な多様性思考から齎される"データ"を算出させる。そこから発信された社会はピラミッド型を真面目に取ることを止めるだろう。構造はあるが構造はまたない。このダブルシンクを担保するために美しき壮年の女性が論理を使い土地の磁場ごとの体制を築き上げる。
端子(組織)の分割である。
それは今までに担保された情報を人間の感情が己の身体とテクノロジーで混ぜ合わせ、現代算術では計算不可レベルの"偶発"を引き起こして新しい思考を生み出し続ける。
その根源的営みが何を目指すかは私にはわからない。
しかしその偶発性を宇宙のサイクルは確実に求めている。
コンテクストによる膨大な情報交換が日々可能となり、且つそれに加えて膨大に生み出される言語を保存と整理するのはAIがやることで、
我々肉体者はその大地と情報を相即相入することで論理非論理の統合→詩的な脱言語意識共有に至るための進化ができる(再アリストファネス化)
この行程が今の社会から本当に人間の身体と思考の時期になる。
骨が組まれ肉体が覆い、そこに流動を起こし一つ一つの細胞を機能させるように電氣的なエネルギーを流布させる。
このプロセスがただ人々と大地のレベルでテクノロジーで結びながら行われているだけです。
これからのエネルギーの暴露を大いに楽しみにしています。
④予感
{コンピュータ"あーす"は"何"をするのか}
一つわかることはというか私ら市民に強いることは、
2024年現状のインターネットを使用して近代社会までの"価値"の徹底的な相対・平坦化と
それに伴い出てくる旧約聖書的ユダヤ思想の根源に対しての暴露からくる
地球外存在への対処である。
これはクリフハイ・マウロビグリーノがその聖書研究を用いて述べている話で
現状の当てはめから考えればマニ的グノーシス的ではあるがそれが最も科学的な姿勢だと私も同意する。
つまり一神教の神は地球外の存在でありその話を真剣に打ち出すことで
地球と月から始まる"地球外"を拡大・相対化することである。
これは近々暴露されると予測されているがそれを傍においても必ず必要とされる俯瞰である。
なぜならは地球という"世界"の規定があるからこそそのフィールド内で物的な処理をしなくてならないという認知が発生するからである。
これがカリユガ式の物質交換主義に則ると途端に略奪の闘争が人類間で起き続ける。
しかしながら月という存在含めて真にソラを見れば我々はさして当たり前なのだが単なる"地球人"でありそれ以外はない。
つまりこの理解が地球人同士の闘争な完全に"矮小"さを与することができる。
インターネット以前、カリユガの闘争はイデオロギー同士がぶつかりどちらかが"死滅"するまでその地域とともに激突が行われる手法である。
ここから闘争を統合するためのリバイアサンに移行しようやく虐殺をもっと強大なイデオロギーで抑制していた。
この闘争形態が、ノウアスフィアが出来上がった昨今において、
線形のイデオロギーをぶつけ合わせてどちらか強大な方が生き残るというやり方は不可能となったのだ。
なぜなら一つのイデオロギーに対しその一要素ごとに反対のイデオロギーが影を潜めその流動は誰かが感知しているからだ。
つまり線形に"なれない"ので虐殺が行われない。
個体は担保され続ける。
この時に起こるのはそのイデオロギーのぶつかり自体が陳腐化することである。
しかしそれだけでは人に蔓延るルサンチマンの部分もカバーしきれていない。
つまり物質世界における差異の恨みの亡霊からくるぶつかりの意志
これをカバーする為にはより俯瞰されたイデオロギーが必要にならなざるを得ない。
この為に地球と宇宙の相対化からくる宇宙規模の意志による地球人としての自覚と宇宙存在に対するルサンチマンの発散。
その為にこの宇宙存在、現代の言葉ではElohimというホモサピエンス以外の人類への対処を構築するべきなのである。
これがいるいないは合理構造の秘匿が強すぎる為に現状の市民内でアリストテレス的判断を下すのはナンセンスとなる。
このような強すぎる秘匿に対しての用いられる知識接続は数学における解析接続的な様相と取るであろう。
つまり今まではエビデンスAとエビデンスBを二次元面的に集合論に落とし込み物事を分別することで認知していく。
しかしながらインターネットが情報を保持し、それぞれの現存在がそれぞれの文脈で物事を照らす今では、
構造によって秘匿された情報Aに対してその秘匿されていない情報B〜Zを外堀を埋めるようにはめて行き消失したAを推論から導く情報認知が可能となり、それが現在日本でも叫ばれているクロソウスキー的暴露の意思と繋がっている。
おそらくは混乱は今年→来年に大きく深まりながら人は怒りを振るわせてこの瞞着に振動を起こす。
これは情報であるインターネットと物的世界の現社会が相即相入してるから行われる"行動"でありインターネット情報と行動が同体となる瞬間でもある。
そしてこの情報プロセスは今用いらているこの二次元的文字からの進化、つまり"球体言語"への道程であり、今現在の物的世界で発話される言語とインターネットが相即相入することは、
一見各々の言語を使用しながらも世界言語として混ざり合うという様相をもって進行していくだろう。
つまり一見それこそ日本語が英語化するような見た目があるが、逆説的に英語もまた日本語化していく。
それが英語という構造言語を主体にさまざまな地域の言語が混ざり合いながら"英語"自体に禅性をもたらすであろう。
それがインターネットのマスの言語を包括しながら骨と肉として連動し、より効果的で女性的なロゴスを生み出していく。
その中で既存の認知は地球意識として接合し取捨選択を全世界の人々が自動的に自浄と増殖を繰り返しながらその言語性を洗練し続ける。
この反復が人々を強制的に悟らせ、地球から認知を発信させることは必然である。
そしてドゥワパラユガすら超えた人類は最早言語を持たずに"地球"として駆動可能な行動体となるだろう。
地球は何を計算し、何をもたらすのかは不明である。
ただ太陽系は確かに高密度期のカリユガを抜け、
銀河中心の高度なエネルギーをよりフリーに浴びることが可能となってきた。
その中で思考形態する"地球"。
そしてその中を移動思考しながら発現させる"人間"。
これらが今ある書物の中の言葉をゆうに抜け出してその身を自由にしながら新しい"理"を創造するのは最早夢事ではないことは断言する。
この知=Qを授けてくれた「17.1.10.6」へ愛を込めて。
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