『次の世代へ心を伝えるために』
海に惹かれて手に取った。遠い記憶の中にある海によく似ている。複雑に入り組んだ岸壁は、おそらくリアス式海岸であろう。これは私の叔母が住む東北岩手の海なのか。タイトルが目につかず、本を裏返すと真っ白だった。あらためてタイトルを探すと、右上に小さく作者の名前と『断崖に響く』とあった。
本作の舞台となっている田野畑村は岩手県の東方一帯にある。北上山系のなだらかな起状が急激にその傾斜を変え、深い谷になって太平洋に落ちるところ。その200mもの断崖は、険しさと美しさで人々を魅了し続けている。海岸の隆起によって生まれた起伏の激しい沿岸地区には集落が点在する。田野畑村を含むこの一帯は、山間部と沿岸の断崖絶壁から「陸の孤島」とも呼ばれたところだ。
田野畑村は1981年に原子力発電所建設の有力な候補地として取り上げられた。その頃の岩手県の電力自給率は低く、将来安定した県民生活の確保と産業の振興を図るためには大規模な電源開発が必要だとされていた。しかし環境庁は「国立公園の中に原発は作らせない」といい、地元の婦人団体や漁民たちの熱心な運動もあり、原発建設を封じることができた。
2011年3月11日、東日本大震災。田野畑村の沿岸部も大津波により壊滅的な被害を受けた。もしこの地区に原発が建設されていたなら、福島以上の大惨事になっていただろう。この場所から30kmほどに位置する岩手県久慈市で生まれた作者は「私は帰る故郷を失っていたかもしれない」と書いている。
この写真集には、地震と津波によって被害を受けた村の復興までの様子、人々、自然、祭り、漁師、灯籠流しなど、田野畑村の光景が収められている。今もなお残る震災の傷跡からは、復興までの道は厳しいものだったことを感じさせる。この村を走る三陸鉄道は、津波によってほぼ全線が流出し、復旧には3年ほどかかった。この三陸鉄道のホームで微笑む少女の写真からは、一度失われた光景が今再びここに戻ってきていることに、安堵の気持ちと嬉しさを抱かずにはいられなかった。作者もきっと同じ気持ちだったに違いない。
登場する管窪鹿踊りは田野畑村で継承されている勇壮華麗な伝統舞踊である。鹿踊りは岩手県と宮城県に広く伝えられている郷土芸能で、山への感謝と命の供養、五穀豊穣を祈る芸能として、踊り継がれているものだ。
悲しいときこそ祭りが必要だと、祭りの太鼓と掛け声が深い谷に響く。神輿は迎える人々もまばらな震災被害の傷跡が残る道を進んで行く。
表紙の断崖の光景からは、自然と共に生きることの厳しさがうかがえる。その厳しい自然と向き合うたびに人々は結びつきを強め、独自の文化を育んできた。タイトルにある「響く」には、祭りの太鼓や掛け声が断崖を抜け遠くまで響き渡るように、人々のつながりや文化がどこまでも続いていきますようにとの願いが込められている。昔、西の地域を中心とした時代には、辺境の地として見られていた東北だが、ここには次の世代へ心を伝え、命をつなぐ人々がいることを忘れてはならない。