秋の夜、ユーミン、ジャコビニ彗星の日

仕事のことを書こうと思ってnoteを開いた。BGMはユーミンの秋セットリスト。『ジャコビニ彗星の日』が流れて5秒、何を書こうとしていたか飛んでいった(あ〜)。

スマホがなかった時代、冬の手前、秋の深い夜、中央線沿いのアパート、ひんやりと澄んだ空気、ラジカセから流れるユーミン。ジャコビニ彗星の日が発売された1979年当時のことを私は知らないけど、どうしてこんなにキューッと締め付けられるような気持ちになるんだろう。懐かしいとは違う…現在から過去を見つめているのとも違う、まるでその時代の中にいるような、そんな感じがする。

何より不思議なのは、ユーミンの曲を聴いていると「わたしは大丈夫、うん」と、ほっとした気持ちになること。たぶん、機微を忘れてないぞ、仕事モードがわたしの全てじゃないぞ、と我に帰れるからだと思う。ユーミンの曲に出てくる女の人たちは、みな自分の人生をちゃんと歩んでいる。傷付きながら、でも他人の人生を生きるようなことはせず、自分の道を自分で選んでいる人たち。想定外の行動力に驚くこともあるけど、彼女らはいつだってチャーミングで、若さゆえの身勝手さがあって、大胆で、傷付きやすくて、一所懸命な、可笑しくて可愛い人たち。

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好きなもの。心惹かれるもの。余所にはその存在さえ知られない、遠い遠い場所に隠してある宝物。そんな存在がたくさんある。

実はこのnote、後半を書き直している。はじめは、ユーミンを聴いているうちにふと「ああ、お気に入りの時間がたくさんあるって、幸せだなぁ」と思い、自分の好きなもの・勇気をくれるもの・ふと我に帰れるものをバーッと書き連ねてみたのだ。でも何かがしっくりこなかった。何だろう、安売りをしているかのような…。大切な人にはそのnoteを見せたくないな、と思った。自分の口でちゃんと伝えたい。これが好き、という気持ちを、もっと丁寧に過不足なく伝えたい、と思った。

それから数日経った頃。毎日チェックを欠かせない【北欧、暮らしの道具店】さんのページにて、ひとつのコラムに出会った。

ーーその作家さんの絵は、あるホテルの紹介記事で知った。写真に映った室内に、彼女の絵が飾られていたのだ。
一目見た瞬間に、心を奪われた。いや、奪われたというよりも、心が元の形に戻ったと言ったほうが良いかもしれない。これまであやふやな輪郭だった心が、すっと正しい場所に引き戻され、正しい形に落ち着くような。
わたしはときどきそういう作品に出会う。音楽とか、小説とか、映画とか。でも、絵にここまで惹かれるのは初めてだったので動揺した。絵なんて買ったことも飾ったこともなく、この気持ちをどう扱っていいのかわからなかったのだ。それでも「この絵はわたしの絵だ」と確信していた。わたしの正しい心の在り方を描いている、わたしのための絵だと。ーー
(コラム本文より)

電車の中で小さな画面を見つめながら、風が吹いた。帰ったらnoteを書き直そう、と心に決めた。

ーー自分が大切にしていることを一枚の絵で表現された。だからわたしは、彼女の作品に惹かれたんだ。ーー
(コラム本文より)

あぁ、この感覚だ。出会ったというより巡り合った感じ。パズルがぱちっと噛み合った感じ。すぅっと心身に沁み込んでくる存在、長い付き合いになるなと直感する存在。

ちなみに私は、ふだんの買い物でも「おや、あそこに良さそうなものがある」とピピッときても、ズンズン直行していけない。わざわざ遠回りをして、様子を見ながら近づいていく(無機物なのに)。ドキドキして一目散には向かっていけないのだ。

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実は今、仕事を探していて、そんなドキドキしてしまう会社に出会ってしまった。HPのトップページの写真と言葉を少し見て、ページを閉じてしまった。ぶわぁっと強い風が吹いたのだ。ふぅと一息、これはと二息、…よし、と三息ついてから、再びページを開いてみた。

どうやって、一緒に働きたい気持ちを伝えようかと一所懸命考えている。楽しい。わくわくする!

う~ん、おわりが分からなくなってしまったから、今日はここでおしまい。

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