20221106
クリス・ウーは本当にレイプ犯だったんだろうか?
クリスが逮捕されてから2回目の誕生日を迎える今日。気持ちはだいぶ楽になって、クリスの話をしても涙が出たり数日塞ぎ込むこともかなり少なくなった。それでも毎日考えることは同じだ。
去年の誕生日から、事件は驚くほど動きを見せなかった。大まかに見ればクリスの逮捕から何も変わっていないと言える。だから正直なところここに書くようなこともあまりない。それでも誰もが忘れているであろう11月6日という彼の誕生日には、こうして自分の気持ちも少しだけ整理しなくてはと思う。全然面白くない文章なので暇な人だけでも読んでくれると嬉しいです。
クリスが逮捕されてから今日までの間に動きがあったとすれば、一番大きいものは被害者の親友としてクリスの暴露に手を貸していた刘美丽による新たな証言や、被害者がクリスへ金銭を要求したと自慢している音声が流出したこと、あとはようやく裁判が始まったことだろうか。刘美丽の証言や音声は一時weiboを賑わせ、音声の再生回数も1000万回以上だと言われたが、なぜかトレンドに入ることはなかった。そして裁判が始まったとされる6月10日以降判決に関するニュースはない。
事件当時から何度も何度も自分の気持ちと葛藤してきた。クリスにどうして欲しいのか?自分はどんな結末を望んでいるんだろうか?一番自分にとって都合の良い結末はもちろん「クリスは無罪」なのかもしれないが、きっとそうなることは今後有り得ないと言っていいだろう。もう一つ自分が納得のいくシナリオとしては、「スタッフを通じて被害者に仕事をちらつかせ"関係を断りづらい状況"に追い込んだことによる準強姦罪」である。クリスが未成年者と関係を持っていたかどうかは今でも分からない(少なくとも事件当時の被害者が成人であることは確定している)。しかしクリスのスタッフを名乗る人物が若い女性に声をかけていたことは、その人物が偽のスタッフでない限り事実だと言っていいだろう。そして「吴亦凡工作室の新人女優を探している」という名目で声をかけられていた人が数名いるのも確かだ。その先でクリスが彼女たちと関係を持とうとしていたのなら「仕事をちらつかせた」時点で立派な犯罪である。
クリス事件がどうしてこうも捻れているかというと、影響を与えたのがSNSだからだ。中国にはいわゆる週刊文春のようなメディアが無い。その中でどうやって有名人の罪を告発するか?となると方法はSNSで「バズる」しかない。そしてその為に生み出されたのが「決戦書」だ。決戦書がいかにSNSでバズりやすい内容であったかは、読むのも嫌になるようなあの文章を見た人はよく分かるだろう。何より告発されたのが当時トップアイドルだったクリスとなれば、ネットが大騒ぎになるのは確実だ。決戦書に書かれたクリスの悪行は瞬く間に拡散され、投稿から1ヶ月ほどのスピードで逮捕となった。何があろうと勇気を出して声を上げた被害者の告発が軽視されてはいけないし、「被害を受けた」と訴える声を前に「本当かどうかは分からない」「両者の言い分を聞かなくては」などと突き放すのはおかしな話だ。しかしクリスに言い渡された罪状は決戦書の内容に比べると思いの外あっさりしたものだった上に、投稿は逮捕後にしれっと削除されている。世間は彼女の訴えを受け入れてクリスは無事に逮捕された。ではネットから消された訴えは全て本当のことだったのだろうか?クリスが犯した罪は一体なんだったのだろうか?それは裁判が始まった今でも何も分かっていないままだ。
SNSが発達し誰でも簡単に自分の気持ちを発信できるようになって、芸能人はあらゆる発言を指摘されることが増えたように思う。差別、偏見、恋愛観まで、彼ら/彼女らの発言はあらゆるきっかけで炎上する。時代に合わせて価値観のアップデートが求められるようになったのは素晴らしい事だし、SNSを通じて私たちの生活がより豊かなものになるのであればそれ以上のことはない。では、私達ファンはどうだろう?インターネットの普及に伴い、SNSの使い方や彼らの扱い方に変化は出ただろうか?
クリス事件のときに大きく感じたことは、「まだ本当かどうか分からない」噂が一人歩きして事件をどんどん拡大させていくような感覚だ。前述の「決戦書」で事件が大きくバズったあとにクリスを追い詰めたのは同じくクリスに声をかけられたと証言する女性たちの投稿だけではない。悪質なネットユーザーの投稿と、その話題性に目をつけたインターネットメディアによる記事だ。ネットユーザーたちは事件に関する声を上げた勇気ある女性たちの名前をまとめ、写真を掲載し、「吴亦凡と関係のある20〜40名の女性リスト」などという見出しをつけて投稿を繰り返した。ひどいものでは過去にクリスと噂になった女優さんや関係を否定している女性、中には「クリスの中学生時代の初恋の人」のような存在すら危うい人物の名前まで加わっていた。そして被害者女性が訴えていた「自分の他に未成年者を含む7人の女性が被害に遭っている」という内容と混ざり合い「クリスは未成年者を含む20〜30人以上の女性を被害に遭わせた連続強姦魔」だと言われるようになった。その他にも「台湾で12歳の少女を強姦」「LAのファンミーティングでファンの未成年女性を襲った」などの噂が増え、「LAで未成年女性とご飯を食べている」とされた盗撮が弁護士の名前と顔写真付きで訴訟に入るという文言と共に流出したこともある。盗撮は確かにクリスが誰かとレストランにいるときの写真だったが、隣に座るモザイクをかけられた人物はファンなら誰でも知っている親友の男性であった。多くのファンは元画像と一緒に誤解を解こうとしていたが、事件が大きくなり過ぎていたその頃にはファンの言葉を聞き入れる人などほとんどおらず、「洗脳されたファン」と逆に誹謗中傷を受けることも珍しくなかった。ちなみにクリスはLAでファンミーティングを行ったことすらない。
ここで現在懲りもせず追っているKPOPグループの話をしたいと思う。先日彼らのメンバーの1人に熱愛疑惑が浮上した。コンサートが成功した日の深夜、暴露の為に作成された新しいアカウントがツイッター上で彼女と夜道を歩く動画や彼との関係を思わせる女性のブログなどを次々にアップした。投稿者はサセンだと言う。アカウントはすぐに凍結されたが、その後にまた別のアカウントが同じような内容を投稿し、そしてまた凍結された。
深夜にも関わらずこの一連の動きを多くのファンが目撃しており、翌日にはすっかり騒ぎになっていた。そして暴露アカウントの内容をまとめて投稿し、メンバーを中傷するような書き込みが増えた。ちょうど今勢いに乗り始めたグループということもあって、このタイミングでの熱愛疑惑はファンにとってショックであることは理解できる。しかし憎悪に満ちたファンのツイートが更に憎悪を呼び、「彼らの過去のコンテンツが彼女の存在を匂わせているのではないか?」「彼らは昔からファンを馬鹿にしていたのではないか?」という憶測や「交際について議論し他のメンバーと喧嘩になった」などという出所不明の噂まで流れた。それらの投稿は「〜って本当?」「〜らしいけど本当なら最低」という文章でファンから別グループのファンまでが多くのツイートをした。そしてそれらのツイートが更に共感・憶測・話題性を持ち、元は「サセンを名乗るアカウントが彼女の存在を暴露した」事件だったはずが「彼女の存在を隠していたメンバーもグループも事務所もクズ」という文脈にまで発展し、ニュース記事にもなった。
一連の流れを体感して思い出したのは、やはりクリスのことだった。クリスの疑惑は紛れもない犯罪で、熱愛とは訳が違う。しかし彼を追い詰めるような言葉の数々、後出しで増殖する新しい「悪行」、全く別件である過去の噂、これらがとてもないスピードで拡散され、彼らの評判を落としていく様子を見ていると、どうしてもクリス事件の混乱とトラウマを呼び起こさずにはいられず、久しぶりにかなり心にダメージを受けた。彼らの大切なプライベートがファンの興味本位で探られ、憶測で捻じ曲げられ、そして悪い印象を与える。彼らの努力と人生を台無しにする。スキャンダルをネタにしてリツイートを稼ぐ人も悪質で、本人や本人のファンが目にしたとき深い傷を受けることは明らかだ。自分の「推し」が同じ状況に追い込まれたとき、それでも同じように中傷するのだろうか?果たしてそんなものがファンだと言えるのか?愛憎入り混じった感情が憎しみを爆発させ、彼らを更に苦しめる方向に持っていこうとする。自分を傷つけたのだから、自分を騙したのだから彼らも傷ついて当たり前、傷つくべきであるという考え方はとても危険で、それは決して愛ではない。
私たちは「◯◯に彼女がいるらしい」と言われればそうなんだ、と思ってしまうし、「この女性とペアリングをつけている」と言われればどんなにシンプルな指輪でもお揃いかもしれない!と不安になる。ファンとはそういうものかもしれない。暴露アカウントが提示した情報を信じるか信じないかは自分次第だ。嘆き悲しむのもいいだろう。しかしそこから派生した噂話を鵜呑みにしネガティヴキャンペーンに加わるのは、せめてファンである自分は控えたい。憶測をツイートし、騒ぎになってからアカウントを非公開にしたり、投稿を削除する人はたくさんいる。しかしどんなに軽率な予想や思い付きでも一度広まってしまえば例えデマだとしてもそれは一生彼らに付きまとう。デジタルタトゥーになってしまうのだ。アイドルという生身の人間を応援している自覚を、1人の人生を追いかけている自覚を、私達は今一度持つ為にアイドルのファンとして「価値観のアップデート」を行わなくてはいけないように思う。そしてこんな気持ちになるのはクリスで最後にしたかった。クリス事件で私が学んだことはとても大きかったが、学んだのはクリスを好きだったごく一部の人たちだけなのかもしれない。そう思うと悲しい気持ちになる。
そんなことを思いながら今年もクリスの誕生日を祝ってきました。全然楽しくない文章になってしまったけど、私は私がクリスから学んだことを絶対に忘れないし、自分が納得するまで事件について調べ続ける。そしてあのとき話題性に目が眩んで彼を中傷した人たちが事件のその後をスルーしていることも一生覚えてるし今でも強く恨んでるよ。誕生日おめでとうクリス。今日くらいは美味しいものを食べてるといいな。