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現在の地方とヒトの力

実は僕は幼少期から、人が壊す美しいものを守りたかった。それが転じていって、世間から誤解をなくしたいだとか、自分の解釈を柔軟にしたいだとかになってきた。そういった軸のために僕が態度で示すのは「何もしない」だ。

指をくわえているだけのように思われてしまうかもしれないが、少なくとも自分の様子に関しては、いい効果が見つかった。


旅先の町で三日くらい過ごすと、歩いて回れる範囲の気になったところは行ける。一旦、することがなくなった感になる。旅先に対して少し「何もしない」くなったのだ。

そこまでわからない土地だから、できない上にやり終えた状況。何もしない状態だ。そうするとフラットな感じに近づいて、いつもと違う環境で、自分がなにをしてしまうのか、発見される。

その時、いつもの都合があまりないので、自分の癖や能動性が動き出す。そうやり慣れてくると、考えに歪んだ状態から少しでも離れて、本来自分がどうしたかったのか、感じられてくる。


そう考えると、旅先で何もしない、または「半日常」をしにいくということがあまり理解されていないとわかる。また多くの町では、そう過ごせる状況も、場所も作られていないと。

鶏と卵で、どちらが先になるのかわからないが。そう考えていると、地方の町の活性化は、町のために作られているのが見える。


旅行者を呼ぶには観光地化するか、関係人口のように言われるが、関係人口と騒がれる割合を考えたら、まるで実体化しなかった夢のキーワードだったのかもしれない。実際に起きていることはほぼ、生活者に対しての生活を考えていくことだろう。

そこを分解していくと、市民のためと同時に、「都市の人が流入しやすい」ように、洒落た様子にするだとかをやっているように見えた。観光化でもないし、とっつきやすさからの住民募集というか。

地方の「経済区の現代化」といってしまうとイメージが狂うかもしれないが、でも実際の動きはそういった感じがメジャーなようだ。


その線で考えてみると、僕の地理旅のキーワード「都市勘」、が気になってくる。これで見えるもので、何かを考えられる予感がする。町の心が落ち着いている理由を考え、市民の幸せを考えたい。

すでに浮かんでいるものがあって、基本欲求、スキンシップ、そういうものの確保が心の落ち着きを与えるのではと。そう考えて社会を批判的に見ていると、世の中が平和だから人々の心が平和になるのではないと思える。


人生の目的の一つは機嫌良く生きることだろう。それにはスロー化、なにかの減速必要ではないか。プライヴェートでは特に、焦らず本質的なことを探るようにするといいと感じている。

手で作業するときに、一手間を惜しまないとか、集中力を養っておくとか、そんなふうに濃いめにやると良い。また素材には独特の変化速度があるので、素材に合わせたテンポがある。それが細部に宿る微差になる。


「なるべく早く」とこちらの都合を押し付けずに、落ち着いて接することだ。情報も同様。感情が高ぶるものよりも、1話完結的なものよりも、冷静に組み上げられる話を選ばないと。

次々取り入れるのではなく、全体を把握するように、じっくり捉えることが大事だろう。そうではないと、一つの話題が細かくなっていき、無数の話が溢れる。頭の中で収拾がつかなくなる。

ただそれだけで追い詰められた気分になる。やたら知ればいいのではなく、解釈をまとめられる速度に合わせることも大事だ。こんな混乱ふうになったら内面が乱されて、脳内が相当話しかけてこないか?


そうではない状態、そうなれるサイレントな状況に浸り、内面の静かさを感じられるようになってみてほしい。ただ、ずっとそこではなく、いったん冷静に、立ち位置の修正をしてほしい。

それで変化した自分がやっているものは、面白くて努力しちゃうようなもの。静かに、自分だけで、ワクワクとか燃えるとか集中するとか、そういうものだろう。

自分を黙らせる活動が持てているのだ。そうなってみれば、そういうもの以外は本来の自分にはどうでも良かったのではと思える。特に情報には多い。


現代では感情や自由が高価値と語られるが、逆効果になっているのがわかってくる。めちゃくちゃ感情に振り回されている。自由権利のバリアで世間を閉じている。

そういうスタンスではなく、そういう感情や自由ではなく、「好きな事を努力していいんだよ」という価値設定が現代的なものだ。感情を大切にとか自由を手に入れろとか、そういう前に、「好きな事を努力していいんだよ」といったらいいのに。


それが、なりたいものになれる自由だ。自由になるものを選べるということではない。冷静にみると痛いヒトだらけではないか。本人が疑ってなければ一応はいいのだけど。いく前からわかってて僕はそこにいきたくない。

「何もしない」とは何もしない停止ではなく、余計なことをしなくなり、的確なことをしだすこと。

「私の能力とは」余裕でやれることは余裕でやっている。てそれならもう少しやれる余裕がある。そこに燃えちゃって伸びていく。そういうものだと僕は考える。


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