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小説:叶える

私はスペースのない町が苦しかった。しかし私自身も周囲の人たちも、スペースがないことに気がついていなかった。都心部へ通勤する人が多い新興地で、越してくる前はここがいいと思っていた。

きれいな住宅街と高架後に新しくなった新駅舎は確かにある。ただ旧街道はこれまで通過地点だったからか、町中はいつでも渋滞している。そして宅地と商業施設の開発が過剰だ。道の接続が混乱していて、信号があってもなくてもほぼ譲り合いと割り込みの日常がある。

昼夜共に、移動にストレスを感じる生活は想像していなかった。そんなイメージは伝えられていなかったからだ。また、企業が見せた爽やかなイメージがそのうちに幻滅したように、興味のない人にとっては特にブランド感はない町だったと気づいた。

イメージが拭えないと、実体験を取り込むのに抵抗がかかるのは当然だろう。日頃から心理的に振れるのは、イメージにとらわれているからなのかもしれない。


それにしても、この町を移動していると頭が働かない。合理的に作られた町だから、なにか目に入るたび、意味やイメージを見せられる。

雑草がないのが都会的だと感じる人が作ったのかと思えるような、無機質なデザイン空間だ。しかしなぜか、偉そうな目で見張られている気になってくる。今どきはこうなんですよと押し付けられているみたいだ。

プレイスとして合理的に作られたので、スペースがない。抜け目がない。いいようにいえば、よく出来すぎている。

空が見えているけれどすっきりと見渡せない。空を見せてくれとはっきり望まなければ意味とイメージに阻まれてしまう。信号ですら、看板や建物の意匠に負けて、ここにあることを知らなければ見過ごしてしまうだろう。

モールの駐車場は右折が禁止されていた。一つ前の交差点を曲がらなければならなかったようで、どこかに書いてあったのだろう。しかし目に入るさまざまな看板や植え込みが色だらけで、奥行きを感じることが難しい。色によるパースペクティブの混乱が起きる。この空間はフラットなのか立体なのかよくわからなくなってくる。奥行きのない薄っぺらい町。もっと手前なのか向こうなのか説明ができない。特定の意味にピントが合わなくても不思議ではない。


のんびりした暮らしだと想像していたが、都心から離れただけのようで、昆虫でいうなら触角を奪われたような日常があった。察して慣れることが必要で、それは感性の自由化ではないとわかった。

意味と見えない意味、つまりイメージに囲まれた生活では、気持ちも思考も他者につかまれてしまう。その証拠に友人はいつも言葉に怒っている。休みの日でも、常に速読をしているようなファスト頭の暮らしなので、ただの勘が正さになってしまう。

頭が常に外部に接続されてしまい、自分用に働かせる時が持てない。虚ろな目をした人が多いのも当然だろう。


私は子供たちのことを考えると、この町がどういうものなのか浮かんできた。ここに生まれ育って将来もここにいる人はどのくらいいるのだろうか?人が住んでいるのに、なぜかここの歴史が始まろうとしていない。私自身、土地の歴史を意識することなく、住みやすさだけでどこがいいかを考えていた。それだけでなく私のプライベートに工夫する余地がそれほどないのだから、子供はなにを手に入れるのだろう?無機質な町で、暮らしも生も脳死する。

きれいに見せた欲望を、突きつけられて動く町。欲望が湧かないなんていわせないプレイスにいる。ここまで本音むき出しで出来上がっているのに、下半身自信が下半身ではないとしらを切るような町。股間でできた顔で、自分らしく道徳的にと言いあう人々。非日常は考え事をしたくないとしか考えられない日常。その子孫。

合理的な社会も馬鹿だと思う。当然私たちも合理的になる。そうなればケチりだす。それを動かそうとしたって、あれもこれもと使いたくないし。税収が、国がとかいうけど、お前らだよと。


ここではない人生。どこかにあったはずの、これではない私の人生。潮時だと思った。勘だけど。しかしこの期に及んでもイメージと欲望を切り離せないでいる。

ニオイが苦手なのは画面がにおわないからだし、食べ物の好き嫌いが多いのは味がしない画面の食べ物を見過ぎたからだ。食べたらびっくりする。舌や胃ではなく頭が飢えていただけらしい。強風に気づかなかったのも同じことだろう。

それに、きれいな野菜の画像を見て感動してみせなければならない。自分自身に。これを見てどうしたらいいのだろう?などと考える奴は現代を正気で生きられない。

空だけの画像なんて呑気なものには誰も目も向けないから、誰も見ないものなんて情報時代ではジャンル外でキュレーションされない。空はあっても、意識の下の方で使われていないので気づかなくなる。だから空を意識することは珍しい偶然になったし、空は私の後ろのどこかにある背景と感じられるようになった。

スペースの中で突っ立っている私を写したいだけ。スペースがいい。そのくらいはわかる。そこに私がいたらどうなのか。特に人から見られる私、後ろ姿を見てみたい。スペースと私を見たいし見せたい。

欲望の色が複雑で、本当の欲望がわからない。やる気や集中力が続かないから対処法を身に付けたいのだが、単に飽きやすい性格だとは認められない。そんなイメージはしない。

あったかもしれない私の人生は、本来の私の人生だったそうだ。戻りたいのに進もうとしてきた。このままではたどり着けそうにない。

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