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サバイバー

人類は間違えることを愚かだというなら、愚かさは克服されていない。ユヴァル・ノア・ハラリが言ったような克服はない。2010年代の熟したグローバル期は80年代バブルが世界で起きていたようなものだった。

今回の間違いは、「目的達成のためにはどうしたらいいのか」という自由の思考方法だ。(これに対抗する考え方が、目の前の状況を選ぶことだ)

大企業が「これはなにがあっても契約を取れ」という指令を出して、それに向かっていくことも「目的達成のためにはどうしたらいいのか」の思考だ。握力の強い界隈では、表面下にこういった空気は残っているのではと思う。

個人でいえば、自分の信念が絶対だという態度。状況を自分軸で好意的に考えていき、自分の他者も説得させて目的まで通過しようとする。

近代が始まった時、脱魔術化が始まり、現代は科学の時代だった。現代後の21世紀が始まり、再魔術化が始まった。「目的達成のためにはどうしたらいいのか」民間機が貿易センターに激突した。

自分で見る自分と、鏡に映る自分との違いが判断できていない。鏡に映った姿は自分だと理解することができる機能があるが、それは自分本体ではない。自分など自分では半分わかるわけがないものなのに。

テクノロジーに目を狂わされている。誰も彼も。誰一人取り残さないためには、強引な握力に気が付かなければならなかったのに。流れはそれとは逆に行った。

インターネットは情報の場というよりも、実際には半分治療の場だったのだ。人間心理の健康で考えれば。あったかもしれない人生、過去につかみ忘れた人生を成仏させる情報が人間に必要な情報なのだ。

ヨーロッパ周辺ではそれはバイブルが担っていた。日本は文芸が担っていた。ストーリーや活字から離れすぎた人類は愚かさを取り戻した。「わかりやすい」は依存を生んでいた。感情が意識上に浮上してしまった。コントロール不能な人々だらけになった。

総統を支持した者たちは無数にいただろうけど、その時が来たら自分は違う、悪いのはあいつだといって知らん顔をする。インフルエンサーと興味のコミュニティの墜落は20世紀にもあった。

心的外傷を与えるような映像が見られる。インターネットによる治療があるはずなのに。表面的な勢いのこの状況でどう選択すればいいのか。サバイバーはこう考えているのではないだろうか。

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