仮説検証という言葉に逃げる癖をやめる

私は2017年にスタートアップで働き始めて、その時「リーンに始める」みたいな単語が大流行していた気がしており、その中で「小さい仮説検証を繰り返すためにMVPを作成し何度も顧客にあてる」みたいな言葉が何度が出てきた。
検証すべき仮説に対してできるだけローコストで検証すべきというのはその通り。
ただ最近、仮説検証という言葉が便利すぎてその言葉に逃げていることが多いなあと感じたので書く。

仮説検証をせずに正解を出す人

今まで働いてきて、自分がちまちま仮説検証を繰り返している間に正解っぽい何かに辿りつているセンス良い人がいる。
その時は、天性のセンスとか、経験によるものみたいな抽象的な言葉に逃げていたが、よく動きを見ているとそもそも「検証すべき仮説とそうでない仮説を上手く分けている」と感じた。

検証すべき仮説とは

1. 検証しないとわからない

例えば「このUIにしてユーザーの課題Aが解消され予約率がどう変化するか」は検証しないとわからないケースが多いなと思う。

2. 検証によって分岐が発生する

例えば「セグメントAとセグメントBどちらがユーザーとして多いかを確かめれないと決めれないUI」とか。
それならまずセグメントAとセグメントBのユーザー数を検証しましょう。とかなりそう。
まあこれもAが多いと決めつけて、検証すべき仮説ではないとして進めるとかもできる。


基本プロダクトは仮説検証の連続で、検証するまでわからないことが多い。
その中で、検証すべきでない仮説に対するそれらしい解を出して進めるという活動をもっとしないとな〜という気持ち。
この「それらしい解を出す」というのが実際にやると勇気が必要で、不確実なのに「これはこの仮説で行きます」って言って合意形成をしなきゃダメ。
あと実際はいろんな仮説が依存関係にあったりするので、仮説Aをこれで行くならBがこうなってCが…みたいなケースも多々ある。
まあそれを考え抜くのがPdMの仕事やの〜と最近とても思う。


いいなと思ったら応援しよう!