努力が報われなかった経験
今でも覚えてる。
ひとつひとつのフレーズ。個性的なイラスト。
わたしは幼少期から割となんでもできるタイプやった。
4月生まれという月齢によるものもあると思うけど、頑張ったらできるというのを幼いながらにも経験的に学んできて、一番無敵やったのが5歳前後やったと思う。
時計も読めたし、自転車も乗れたし、顔を水につけるのも怖くなかったし、走るのも早かった。ピーマンだって食べれた。
でも幼稚園に通った中で、ひとつできなかったことがある。
今でもずっと心に残ってる。
私は年中さんの運動会で、スイミーになれなかった。
担任の絵本を読んでもらって、話の内容をクラスのみんなが大筋理解したら、お遊戯の練習が始まったと記憶してる。
私は何にでもなれる。だからスイミーをやりたいと言った。
練習を重ねている途中で、スイミー役が変わった。
私は他の赤い魚たちになった。理由はわからない。
ある日、私は父親の仕事の都合で2ヶ月ほどアメリカに行くと言われた。
アメリカが何かもわからない。
2ヶ月の長さもわからない。
運動会の日はアメリカにいるらしいということだけはなんとなくわかった。
だからスイミーが変わったんだ。
悔しかった。
私が一番上手にスイミーの役をできるのに。
次の日も練習があったけど、やっぱりスイミーにはなれなくて、私は降園バスで泣いた。
バス停になっている自転車屋さんまでお迎えに来てくれてたお母さんに、
アメリカに行きたくないと泣き叫んだことは鮮明に覚えてる。
だけど、アメリカ行きは決定事項だった。
その後、どうやってアメリカに行ったのか、
何をして過ごしたのかはよく覚えていないけど、
家庭教師の先生にpurpleの発音がうまいと褒めてもらったこと、
滞在先のN.Y.のピザが自分の顔の大きさよりも大きかったこと、
N.Y.からナイアガラの滝を見に行く車内で、生後6ヶ月の弟が嘔吐して車が臭すぎたことはよく覚えてる。
日本に帰ってきたら、運動会は終わってた。
今でも卒園アルバムを見るのはちょっといやで。
いまだに母親にスイミーやりたかった話をくどくどしちゃう大人になった。
自分が頑張ったことが報われない。
たくさん練習したのに本番を迎えられなかった。
あの時があるから、今の自分があるとよく言うけど、
やっぱりその当時はすごく悔しくて、
気持ちのぶつけどころがなくて、
ただ泣くしかなかった5歳の私。
なんでもできた私の、初めての挫折の経験。